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「あ~、社食が外の建物にあるっていいよね~」
「開放感あるよね~」
同期のみんなとそんな話をしながら、唯由は社食に向かっていた。
研究棟など、他の建物の人たちも同じ社食なので、社食はそれらの真ん中の緑に囲まれた場所にあった。
ほぼレストランだ。
レストランの近くは並木道になっていて、いい天気の日に歩くと気持ちがいい。
……まあ、どしゃ降りの日は自分たちの建物から遠すぎて最悪なのだが。
「私、なに食べようかな~」
「私、決めるのめんどくさいから日替わり~」
などと話しながら社食の入り口までいった唯由はぎくりとした。
何処かで見たような人たちがちょうど出て来たところだったからだ。
「お疲れ」
と白衣を着ていない蓮太郎が唯由に気づいて言う。
「おっ、お疲れ様です……っ」
「お疲れ様です~っ、雪村さんっ」
強張った唯由の挨拶とは真逆の愛想の良さでみんな挨拶している。
蓮太郎、紗江、初めて見た感じのいい若い男の人、そして、何故か唯由の方を見て、にんまり笑う研究棟の事務員さんたちがいた。
それぞれに挨拶し、すれ違う。
みんな社食の入り口の短い階段を上りながら、蓮太郎たちを振り返っていた。
「初めて社食で雪村さんに会ったね~。
ラッキー」
「やっぱ、昼時間ずらしてるんだ。
でも、我々はこれ以上早くは来れないよね~」
などと話している友人たちに、あの~と唯由は訊く。
「みんな、王さ……
雪村さん、知ってるの?」
「あの人知らないとかあるの?
この会社にいて」
……ありました、私。
「雪村さんって、グループの会長のお孫さんなんでしょ。
変わり者だけど研究所のエリートで、すごいイケメンって、入ったとき、すぐ先輩たちに聞いたよ」
あ~、そういう情報も女の先輩たちとお茶するとき出てたかもしれないけど。
なにせ、秘書は、やり手のお姉様ばかりだ。
一緒にお茶していても、まだまだ緊張激しく、世間話など、なにも耳に入ってこないのだ。
「でも、雪村さんって、滅多に研究棟から出てこないから、存在を疑われている絶滅危惧種みたいな扱いだって、先輩たち言ってたけど」
範子が言ってみんなが笑う。
確かに~、ほぼ見たことない、とみんな言っていた。
「私、そんな手に入りそうにないイケメンより、手頃なイケメンがいいなあ」
自動ではない小洒落た木製のドアを押し開けながら正美が言う。
「手頃なイケメンって?」
となんとなく問い返した唯由の頭には、この間アパート近くの八百屋で見た、お手頃価格、と書かれたたくさんの小さなメロンが浮かんでいた。
「あ、ほら、あの人とか。
道馬さん」
広い社食の中、正美が指差した先には、スーツが似合って、笑顔が素敵な長身イケメンの人が立っていた。
なにもお手頃そうじゃないですけどっ!?
と思ったのだが、単に、社交的で、話しかけやすいのだと言う。
確かに……。
王様、なにも話しかけやすそうじゃないし、お手頃そうじゃない……。
コンパで近寄るなオーラを出して、ほぼ男性陣としか話さないまま呑んでいた蓮太郎を思い出す。
愛人探してたんなら、もうちょっと愛想良くした方がよかったのでは、と思いはしたが。
蓮太郎の性格をそこそこ知った今となっては、女性に、にこやかに応対する蓮太郎がまったく頭に浮かばない。
誰彼かまわず、
「おい、そこの下僕たち」
とか言い出しそうな人だからな……。
そう思ったとき、さっきの道馬がこちらにやって来た。
「国松さん」
と道馬は正美に挨拶しに来た。
「こんにちは。
今からお昼?」
「あ、はいっ。
そうなんですっ。
ここメニュー多いからなににしようか迷っちゃってっ」
お手頃とか言ってたわりに正美は緊張しているようで、返事する声も高くなっていた。
微笑ましく眺めていると、道馬が、おや? という顔をした。
「君、何処かで会ったことない?」
と唯由を見て言う。
「道馬さん、またですか~?」
と正美が笑った。
どうやら、よくそう言って、女性に声をかけているようだった。
だが、道馬は、いや~という顔をし、
「ごめんごめん。
今日は、ほんと」
と言った。
じゃあ、いつもは嘘なんですか……?
と思う唯由に、道馬が言う。
「うん。
確かに何処かで会ったよ」
間違いない、と道馬は言い切る。
「なんかちょっと印象違うけど」
と言うので、ああ、と唯由は頷いた。
「じゃあ、それ、たぶん妹です」
「妹さん?」
「蓮形寺月子じゃないですか?」
すると、ああ、ああ、と道馬は笑った。
「そうそう、そんな名前だった。
妹さん、元気?」
「はあ、たぶん」
と唯由は曖昧な返事をしてしまう。
いや、逃げるように家を出てから、月子がどうしているか知らないのだ。
というか、実家の情報は耳に入れないようにしていた。
だが、そこで道馬は、あれ? という顔をする。
「待って。
じゃあ、なんでこんなところで働いてるの? 蓮形寺さん。
すごいお嬢様だよね?」
ええっ? そうだったの? という顔をみんながするが。
「いえいえ、お嬢様なのは、月子だけです。
私と月子は年の近い腹違いの姉妹でいろいろと……」
あ~、という顔をみんなにさせてしまった。
「なんかお家騒動?
ごめんごめん。
余計なこと言って」
ほんとごめんね、と言いながら、道馬はトレーを手にしたまま去っていった。
お手頃なイケメンかは知らないが、いい人だ、と思いながら唯由は道馬を見送った。
「ねえ、れんれん」
蓮太郎がリラクゼーションルームの椅子で寝ていると、紗江がポーションタイプのコーヒーミルクを手に呼びかけてきた。
もう、れんれんになってる、と思いながら、蓮太郎がそちらを見ると、紗江はミルクの容器を開け、手の甲に塗りながら言う。
「さっき、アイスコーヒー飲んだとき、これ、使わないまま、テーブルに忘れてたの思い出して、とりにいったんだけどさ。
道馬くんと姫が話してたよ」
姫とは、唯由のことらしい。
「なんで姫なんですか?」
と訊くと、
「え? れんれんが人生で初めて見つけたお姫様だから」
と紗江は言う。
「……愛人ですよ」
あるいは下僕、と思いながら蓮太郎は言ったが、
「姫は蓮形寺家のお嬢様なんだってさ。
蓮形寺って名前、聞いたことあるなって思ったんだよね。
れんれんち付き合いあるんじゃないの?」
と紗江は言う。
「いや、あんまり家と家との付き合いとか興味ないんで」
「話聞きかじっただけだけど、継母とか継妹とかに家を追い出された感じだったよ。
シンデレラなのかな? 姫」
と言いながら、紗江は蓮太郎の手にもあまったミルクを塗ってくる。
すべすべになるんだよ、とか言いながら。
蓮太郎が起き上がり行こうとすると、首根っこをつかんできた。
「はい、休憩終わり。
仕事に戻って」
姫のところに行こうとしたでしょ、と言う。
「大丈夫だよ。
姫、タフな人だよ。
目を見ればわかるよ。
っていうか、今は家じゃなくて、外にいるのなら、継親子になにもされてないじゃん」
いや、それはそうなのだが……。
「色恋沙汰より、まず仕事。
仕事終わったら、応援したげるから、はいっ」
と急かされる。
意外とまともなことを言う人だ……。
蓮太郎はおとなしく仕事に戻ることにした。
唯由と予測変換を眺めていたとき、『つ』で『月子』と出たので、誰だと訊いたら、妹だと言っていた。
あのときの困ったような顔を思い出し。
この狭いアパートで幸せ、と言っていた顔を思い出す。
もし、仕事が早く終わったら、なにか美味いものでも持ってってやろう。
……迷子にならずにたどりつけたらだが、と思いながら、蓮太郎は長い廊下を歩いていった。