テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ウルル
#ご本家様とは一切関係ありません
ウエハース鈴木
4,268
翌朝、目が覚めたとき、らっだぁはすでに起きていた。
ぺいんとは布団の中でしばらくじっとしていた。ここがどこかは分かっている。昨日のことは覚えている。でも体が動くまでに、少し時間がかかった。
「起きたね」
らっだぁが言った。責める声ではなかった。ただ確認するような、静かな一言だった。
「……はい」
「お腹減ってる?」
ぺいんとは少し考えた。空腹かどうか、正直よく分からなかった。体の感覚が全体的に鈍かった。
「……分からないです」
「そっか」
それだけだった。責めなかった。変だとも言わなかった。らっだぁはただ頷いて、窓の外を見た。
静かだ。
悪くない静かさだった、とぺいんとは思った。誰かと同じ場所にいて、何も言わなくていい静かさは、初めてかもしれなかった。
それから数日が経った。
ぺいんとは少しずつ、館の中を動けるようになっていた。らっだぁの部屋から出て、廊下を歩いて、また戻ってくる。それだけのことが、最初はひどく遠く感じた。でも今は少しだけ、できるようになっていた。
館は広かった。どこに何があるのか、まだよく分からない。知らない気配がある方向には近づかないようにしていた。
その日も、ぺいんとは廊下を歩いていた。
角を曲がった瞬間、足が止まった。
廊下の先に、誰かがいた。
いや、誰か、という表現が正しいのか分からなかった。人の形はしている。でもその背中から、いくつもの何かが伸びていた。細長くて、うねうねと動いている。洗濯物を干しながら、それを複数同時に動かして、次々と作業をこなしていた。
(なに、あれ)
体が固まった。声が出なかった。ただ見ていた。
「あ」
相手がこちらに気づいた。振り返った。穏やかな顔をしていた。背中から伸びているものは、今もうねうねと動いていた。
「ぺいんとくんだっけ。らっだぁから聞いてたよ」
普通の声だった。あまりにも普通の声だった。背中から何本もの触手を生やしたまま、何でもないように話しかけてきた。
「俺コンタミ。よろしく」
ぺいんとは何も言えなかった。
コンタミはそれを気にした様子もなく、また洗濯物の方に顔を向けた。
「見た目びっくりするよね、まあ慣れるよ。これ便利なんだよね、両手が何本もある感じで」
触手の一本が洗濯物をぱんと叩いて伸ばした。また別の一本が、次の洗濯物を手に取った。
「何か用だった?」
「……いえ」
やっと声が出た。掠れていた。
「そっか。じゃあまたね」
コンタミはそれだけ言って、また作業に戻った。
ぺいんとはしばらくその場に立っていた。心臓がまだ少し速かった。でも、襲われなかった。何もされなかった。ただ普通に話しかけられた。
(普通に、話しかけられた)
それが何か不思議なことのように思えた。
ぺいんとはゆっくりと、来た道を戻った。
部屋に戻ってから、ぺいんとはらっだぁにそのことを話した。
「コンタミさんに会いました」
「そっか」
らっだぁは特に驚いた様子もなかった。
「怖かった?」
「……少し」
正直に答えた。らっだぁは頷いた。
「まあそうだよね。あの見た目は慣れるまで時間かかる」
「らっだぁさんは、慣れてるんですか」
「もう長いから」
それだけだった。それ以上は聞かなかった。聞けなかった、というより、今はそれで十分だと思った。
らっだぁはまた窓の外を見た。ぺいんともつられて窓を見た。深い緑が続いている。あの暗い森が、昼間はこんな顔をしているのかと思った。
悪くなかった。
「怖かったけど」
ぺいんとは言った。
「何もされなかったです」
「そうだね」
らっだぁが言った。当然だというように。でも嫌な感じはしなかった。
「ここにいる奴らは、お前に何もしないよ」
静かな、でも確かな声だった。
ぺいんとはその言葉を、しばらく胸の中で転がした。何もしない。そんな言葉を、誰かから言われたことがあっただろうか。
「……はい」
小さく答えた。信じられるかどうか、まだ分からなかった。でも、信じてみてもいいかもしれないと、少しだけ思った。
それから、また数日が経った。
コンタミとは廊下で何度かすれ違った。そのたびに、触手の一本がひらひらと手を振るような動きをした。最初は思わず身を固くしたが、三度目には少しだけ、会釈を返せるようになっていた。
自分でも不思議だった。
怖いはずなのに、怖くなくなっていく。正確には、怖いという気持ちはまだあるのに、それよりも「何もされない」という事実の方が少しずつ大きくなっていく感じがした。
ある朝、食堂に行くと、レウクラウドがいた。
「おはよう」
レウクラウドが言った。穏やかな声だった。
「……おはようございます」
ぺいんとも返した。自分から挨拶を返せたことが、少し意外だった。
レウクラウドは何も言わなかった。ただ、いつものように食事の準備を続けた。ぺいんとは少し離れた場所に座って、その様子を見ていた。
「今日は何が食べたい?」
唐突に聞かれた。
ぺいんとは少し固まった。何が食べたいか。そんなことを聞かれたのは、いつぶりだろう。いや、そもそも聞かれたことがあっただろうか。
「……なんでも」
「なんでもはなし」
レウクラウドが笑った。責めている笑い方ではなかった。
「好きなものがあるなら、作るから」
ぺいんとはしばらく考えた。好きなもの。そんなことを考えたことがなかった。与えられたものを食べるだけだったから。
「……甘いもの、が好きかもしれないです」
言ってから、少し恥ずかしくなった。そんなことを言っていいのか分からなかった。
でもレウクラウドは「そう」と言って、また鍋の方に向き直った。
「じゃあ今日は少し甘めにするね」
それだけだった。
ぺいんとは自分の手を見た。膝の上に置いた手が、さっきより少し落ち着いていた。
コメント
1件
うわ、第2話めっちゃ良かった…!ぺいんとが少しずつ館に慣れていく感じがすごく丁寧に描かれていて、読んでてこっちまでほっとした。 コンタミさんの初登場シーン、触手が動いてる描写なのに「怖い」より「あ、この人悪意ないんだ」って伝わってくるのがすごい。 らっだぁの「何もしないよ」っていう台詞、短いのに重みがあって刺さった。それとレウクラウドに「甘いものが好きかも」って言えたぺいんとの成長がじんわり来たわ…! この館、不思議なのにあったかい。続きすごく気になる🔥