テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
起き上がろうと自分の腕を支えに、体重をかけながら上体を起こした。
”彼”の声がする方を、恐る恐る振り返る。
「おい無理すんな」と八木が背中に手を添えた、その様子を無表情で眺める坪井の姿が目に入った。
「な、何で坪井くん……」
顔を見て、自分の口からその名を呼んで。
あの夜の冷たい声と笑顔、冷え切った自分自身の身体。
瞬時によみがえって、真衣香の声を震えさせた。
目に映る姿は、これまでと何も変わらないというのに。 感じ取る印象が、変わってしまったのか。 その姿を直視できずにいた。
「いや……コピー機の修理、どうなってんのかなって下でうるさいから聞きに。そしたらお前倒れたって言うから」
「誰のせいだっつーの」
真衣香が答えるよりも前に八木が割って入った。 その声はからは刺々しい雰囲気を感じる。
「え? 何がです?」
貼り付けたような整い過ぎている……、そんな笑顔で坪井が言った。
真衣香はこの笑顔を知っている。 そう強く感じた。 あの夜、真衣香に酷い言葉を投げつけた、その時の笑顔もこんなふうに作り物みたいな笑顔だったと、強く印象に残っていだからだ。
(多分、笑う気がないのに表情作ってる時なんだよね)
もっと柔らかく、少年のよう、朗らかに笑う姿もあったことを思い返しながらハッとして、小さく左右に首を振った。
早く、忘れてしまいたいから。
もう、どの坪井が本当なのか。真衣香が耳にしたどの言葉が、偽りなのか。思い返したところで何もわからないから。
全て、忘れてしまいたいと願っていたのに。
「何がですって、お前なぁ」
笑顔を貼り付ける坪井に気を取られている間に、八木が怒気を大いに含んだ声で坪井に凄んで見せた……ような雰囲気を感じたので慌てて顔を上げて口を挟む。
「か、風邪です八木さん! 倒れたの風邪……」そう大きな声を出したのでゲホゲホと大きな咳が出た。
「え、声……どうしたんだよ。立花、風邪引いた? ごめん、やっぱコート追いかけて渡せばよか……」
「坪井くんやめて。今、会社だから。そんな話しないで」
心配そうに言って、一歩、真衣香が座るソファに近づこうとした坪井に、拒絶の意も込めてきつく言い放った。
どうせ、本心は心配なんてしていないんだろう……。 さすがに、そう思ってしまったから。
「……だな、ごめん」
立ち止まった坪井が謝る。悲しそうに目を伏せる意味がわからない。
(悲しいのは、私じゃないの!?)
そんな憤る気持ちさえ、申し訳なく感じてしまうような、表情を見せられて。また心があの夜に舞い戻ってしまいそうだ。
しん……と静まり返った、その沈黙を突如鳴り響いた着信音が途切れさせた。