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■第12話「ブックレイの選書」
その夜、誰も来なかった。
シャフトオブライトには、今日も無数の本が並んでいた。
誰かが失った物語。誰かが見逃した記憶。
けれど、この夜だけは、誰の足音も響かなかった。
棚は静止し、紙の音も止まっていた。
まるで“息を潜めている”かのように、空間そのものが眠っているようだった。
書庫の中央に、ひとりの影が立っていた。
ブックレイ。
彼は変わらず、衣の隙間からページをのぞかせたまま、光の柱の下に立っていた。
だが今日は、なぜかその姿がわずかに揺れて見える。
紙でできた外套が重く感じられ、彼の背から伸びる“文字の影”が、ほんの少しだけ色褪せていた。
彼の顔には表情はない。けれどその瞳──“言葉の集積”でできた瞳だけが、いつもより深く沈んでいた。
「……物語を、渡す者に、物語は要らないと思っていた」
言葉が空気に混ざり、ページのように漂う。
返事はない。もちろん、返す者などいない。
それでも、彼は歩き出す。
あの光の束──“全ての物語の源”と呼ばれる縦のラインへ向かって。
その途中に、小さな棚があった。
ほかのどれよりも古く、ほこりの積もった、薄い本が一冊だけ置かれていた。
ブックレイはそれを手に取る。
それは、誰の物語でもない。
表紙には文字がない。中身も白紙──ただ、最後のページだけに、こう綴られていた。
> 「これは、“物語を渡し続けた者”の、最初で最後の選書である。」
彼はその本を、そっと胸元に収めた。
書庫の光がひとつ、またひとつと消えていく。
風はない。けれど、ページがめくられる音だけが残っている。
夢か現かもわからないまま、シャフトオブライトは再び沈黙に戻る。
だがその沈黙の奥で、小さな“物語の目覚め”が、確かに灯っていた。
ブックレイが最後に選んだ物語。
それはきっと、まだ誰にも読まれていない“物語の始まり”だった。