「仕方ありませんね。お酒は少しだけですよ」
レモンスカッシュが入ったゴブレットに高級そうなウィスキーをついでくれた。お酒が投入されたことで私は満足した。
「乾杯しましょうか」
新藤さんはロックグラスに先ほどのウィスキーを注いだ。
「はい、乾杯です」
グラスを重ね合わせて乾杯した。
ゴブレットの中身を少し含むと、コクがあってまろやかな味わいにレモンの爽やかな香りが広がった。ほのかな酸味とウィスキー独特の苦みが調和していて美味しかった。
見たことも無い未知の銘柄。そのため一度も口にしたことのないウィスキーだ。豊潤で奥深な味わいがするので、恐らく熟成された年代物のウィスキーだと思う。その独特のボトルは深いグリーンで気高く、タワーマンションの最上階に住む者の気品とプレステージを象徴しているように思えた。
「おいしいです」
「それはよかった。さて、律さん。どうしてこうなったのかお話できますか?」
「ええと……」言葉に詰まってしまう。なにから話していいのかわからない。
「こんなになってしまうまでお飲みになった理由、辛い話を誰かに聞いて欲しいからですよね?」
図星だった。観察眼の鋭い人だからごまかせない。
「実は、光貴と大喧嘩しました。ライブ当日、光貴に詩音の死産を知らせた時、彼、私の想像以上に怒りだしてしまって、ちゃんと知らせなかったこと怒鳴られてしまったんです。それを未だに引きずっていて……そのことを責めてなじってしまいました」
「そうでしたか。それは、お辛かったですね」
「はい……彼を気遣う余裕が私にはなくて。自分のことでいっぱいでしたから……でも、もう少しわかって欲しかった。光貴のためだけに頑張っていたつもりですが……ひどく滑稽に空回りしていて。急に訃報を聞かされた状況から出た言葉や態度だということはわかっています。彼は悪くないのに……ひどいことを言ってしまいました」
涙が滲んだ。受け取ったグラスの中身を飲み干して呟いた。「もう酔って記憶もなくなって、消えてしまいたいです」
「律さん。落ち着いて下さい」
髪を撫でてくれる手は、小さい子をあやすような優しい手だった。
「今日…光貴が……久々に早く帰って来てくれました。話し合おうと思ったのですがうまくいかなくて。その時彼に言われました。『落ち込んでばかりいたら詩音が浮かばれない』とか『もう一回頑張ろう』と。だから思わず叩いてしまいました。許せなくて……」
涙がぼろぼろと零れた。
「あの日のことが消化できないのです。私の行動はみんなから責められました。家族は仕方ありません。非難されることは覚悟していたつもりですが、想像以上に堪えました。でも、一番はやっぱり……光貴にわかってもらえなかったことが辛くて……」
「そうでしたか。律さんの優しいお気持ちを光貴さんに理解してもらえなかったのは、大変悲しいことですね」
やっぱり新藤さんはわかってくれる。一番にわかって欲しかった光貴よりも、新藤さんが――
「辛い中、律さんはよく頑張りましたよ。私だけが知っています。あの選択は間違っていませんでした。律さんは立派なアーティストでした。だからどうか自分を責めないで下さい」
新藤さんの優しい言葉に誘発され、声を上げていっぱい泣いた。
私にも非があるところはわかっている。それでも、もっと光貴に寄り添って欲しかった。
泣きじゃくる私を新藤さんが温かく包んでくれた。
本当に優しい人。私を抱きしめる身体が意外に逞しい。やはりスーツは着やせするんだ――達観したところからこの現状を冷静に見つめている自分がいた。
暫く泣いた。新藤さんに「落ち着かれましたか?」と声をかけてもらった。
「もうだめです。もう無理です……」絡み酒になっているのはわかっているのに自分で止められない。
「どうしたら元気になってくれますか?」
元気になる……それは白斗の歌を聴く以外にない。
落ち込んだ時、友達とケンカした時、憂鬱な時、一番辛かった、RB(本人たち)の解散の時もCDの白斗の歌を聴いて、ジャケットか雑誌の白斗を見つめて、辛い気持ちを落ち着けた。
詩音の時も、白斗の歌に救われた。
でも白斗にはもう逢えない。逢えないからこそ余計に逢いたくなる。
「RBの白斗に逢えたら、元気になると思います」
冗談のつもりだった。酔った勢いでわけのわからないことを言った自負はある。でもまさかこの冗談が本当に人生を狂わせてしまうとは、夢にも思わなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!