俺はなぜ、立ち入った診察室で空色の旦那に間違われているのだろうか。
それより、めっちゃショックで……目の前が真っ暗になった。
落ち着け。冷静に。
俺の脳内は医師の一言で結構なパニックを起こしていた。
というのもつい先程、空色に付き添って診察室に入った。夜間診療の受付をして診察してもらえることになったまでは良かった。最初の検査をするために、救急の診察室に呼ばれて空色が一人で入って行った。俺は外の待ち合い椅子に腰かけて、診察が終わるのを待っていた。
診察が終わったら空色を自宅へ送って行こうと思って。
暫くするとなぜか俺も診察室に一緒に入れと言われた。その時、彼女とは他人です、なんてわざわざ言わなかったし、俺と空色の関係を説明するややこしくなるから黙っていたのが悪かったのか、空色の傍に座らされて、彼女の妊娠について一緒に聞かされた。
問題は、俺が旦那やと全員に思われていることや。だから診察室の中に入って来いと言われたのだと理解した。したけど。
いや。ちょっと待ってくれ。
そりゃ結婚もしていて旦那もいるから、夫婦生活もあって当然で、旦那の子供を妊娠するのはごく自然なこと。
どうして俺は、この世の終わりみたいにショック受けてるんやろう。
自己分析した結果――それは、彼女があの爽やか旦那と別れてフリーになるかもしれないという、ありえない夢を、もしも万が一ということを、心のどこかで期待していた。
妊娠したとなれば、もう絶対、相当な事情が無い限り、彼と別れたりすることは無い。
空色と仲のいい旦那がDVや不倫をするとは思えない。子供も無条件で可愛がりそうだし、なんも問題なく穏やかで素晴らしい家庭を築いていくだろう。
結果、俺が空色の心に入る余地は一ミリも無くなってしまった。それがとてもショックだった。
決定的に失恋した、と理解した。
医師から言われた。『妊娠反応が出ています、詳しい検査は産科で、《《ご主人》》と一緒に、二階へ行ってください』――俺が空色の本物の旦那やったら、どんなに幸せだろうか。叶わない夢を思い描くと余計に気分が沈んだ。
弁明をする暇が無かったので、旦那に間違えられたまま仕方なく二階へ行き、彼女の診察が終わるのを待った。
簡単な診察が終わったのだろう。エコー写真を片手に彼女は診察室を出て来た。そして二人で夜の病院を歩いた。
「ご自宅まで送りますね」
「あ、いえ。もうこんなにしていただいて…本当にすみません。近いので歩いて帰ります」
「いけません。また倒れたりしたらどうするのですか? 遠慮せず送らせてください」
このために俺は待っていた。たとえ失恋したとしても、彼女が大切なことには変わりない。車で送ればあっという間の道のり。もっと彼女と長く一緒にいたいと後ろ髪引かれる思いをしているのは、どうしてだろう。
ぐちゃぐちゃになってしまった自分の気持ちがわからない。
俺はいったい、どうしたいのか。
「身体、お大事になさって下さいね。くれぐれも無理はしないように。今夜は光貴さんがいらっしゃらないでしょうから、もし律さんが困ったら、遠慮なく私を頼って下さい。それでは、お休みなさい」
現在午後九時前。爽やか旦那は多分まだライブの真っただ中。あのギタープレイだったらライブは大成功だろうな。ギターの腕前は抜群やったから。
ライブはそろそろ終わるだろう。今、アンコール辺りで大盛り上がりしていそうだ。打ち上げもあるだろうし、今日中に帰宅は難しいと思う。空色は一人で大丈夫かな。俺がずっと傍についていたい。でも、そんなことはできない。
「お気を付けて」
家の前まで送ろうか迷ったけど、空色が恐縮しているから俺が彼女を見送ることにした。手を振ってマンション内に入るまでは、と。
彼女の姿が消えたが、俺は車内で待った。空色夫妻の住まいは角部屋で、大開通から窓が見えている。部屋の灯りが点いたら自宅へ戻ろうと思って待ったが、五分経っても灯りは点かなかった。急いで電話をしたけど、コールのみで彼女は電話に出ない。
「チッ」
思わず自分のアホさ加減に舌打ちした。あれだけ顔色悪く、辛そうにしてたのに、遠慮せずに家の前まで送れば良かった!
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