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穏やかな笑顔を浮かべながら佇む木場先生を見て、私は思わず驚きの声を上げる。
『え!? 木場先生が相撲部の顧問だったの!?』
「ああ、そうだよ。そんなに驚くことかね?」
『ええ、そりゃあ、まあ。普通、こういうのは男性教師がやるものだと思っていたので』
「これには色々と深い事情があるのだよ。そんなことよりも、三人中に入りたまえ」
『三人……?』
まただ。どうやら木場先生は私達を三人と認識しているようだ。
そういえば、まだ何か違和感があるような……?
「あの、木場先生? さっきから誰と会話しているし? それにあたしたち、二人なんですけど」
静川さんの言葉を聞き、私の中にあった違和感の正体に気付いた。そして、それに気付いた瞬間、とてつもない衝撃が全身を駆け巡った。
今、私、精神世界にいるはずなのに、普通に木場先生と会話をしていたわ⁉
私達を三人と認識し、そして身体の支配権のない魂だけの存在になっている私と普通に会話している。これはつまり、木場先生は私が見えているということなのだ。
私が精神世界で激しく動揺していると、木場先生はクスリと微笑みながら右人差し指をこめかみに当てながら話しかけて来る。しかし、その口は閉ざされたままだった。
『詳細は後でな』
木場先生の声が直接私の頭の中に響いて来る。そして、彼女は悪戯っぽくウインクをした。
「何だかよく分からんが、面白そうなことになりそうだのう」
雷電丸にも木場先生の声が届いていたらしく、楽しそうに顎を撫でながら呟いた。
すると、背後に人の気配を感じ、私は振り返る。沼野先輩がやって来るのが見えた。
「二人とも、そこで何をしている……?」
沼野先輩は木場先生を見るなり顔を強張らせた。
驚き立ち止まる沼野先輩に気付いた木場先生は、はろはろ、と呟きながら沼野先輩に手を振った。
「あ、なんだ。沼野先輩を入れて三人だったんだし」
「って、木場先生が何故ここに!?」
「顧問が部活動に顔を出すのが、そんなに変かね?」木場先生はちょっとだけムッとした表情で言う。
「いえ、ですが、貴女がオレ達の前に顔を見せるのは神事の時だけだと思っていましたので」
『神事って何のことかしら? そりゃ、相撲は元々神事だけれども?』
『それらを含めて全て説明するよ、高天双葉君』と、木場先生は再び直接私の心に話しかけて来た。
私達が部室の中に入った後、木場先生は得意げな顔をしながら自己紹介を始めた。
「改めて、二人には自己紹介をしておこう。私が相撲部の顧問を務める木場アザミだ。よろしくな」
木場先生はいつものミステリアスな雰囲気ではなく、陽気な近所のお姉さんみたいなノリで話していた。保健室にいる時の木場先生は何処かミステリアスで謎多き美女というイメージだったのだが、今の彼女は別人のように思えた。
「高天君については沼野君から色々と話を聞いている。静川君も入部を希望かね?」
「はい! あたしも双葉っちと一緒にお相撲さんをしに来ましたし!」
「ならば、二人には入部試験を受けてもらおうか。言っておくが、私の試験は厳しいぞ?」ふふん、と木場先生は眼鏡をくいっと上げながら不敵な笑みを浮かべた。
「ええ⁉ 試験なんて聞いていないし! ど、どうしよう、双葉っち」静川さんは狼狽えた様子で私の腕に手を回してくる。
試験って何なのかしら? 男子部員ならともかく、女子にも試験が必要だなんて聞いたことがないわ。
「まずは静川君からだ。質問其の一。料理は得意かね?」
「料理? あたしの家、父子家庭で、いつもご飯はあたしが作ってますけど?」
「合格!」と、木場先生は右手の親指を上げながら叫んだ。
「やったし! 厳しい試練を乗り越えたし!」静川さんは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら頬を染めた。
『何なの、この茶番劇は?』
私は目の前で繰り広げられた茶番劇を前に頭を抱える。私の中にあった木場先生のミステリアスな美女像は完全に消えてなくなってしまった。
「では、次に高天君だが……力試しをさせてもらおうかな?」
「それは構いませんが、どのように?」雷電丸は両腕を組みながら首を傾げる。
「もちろん、相撲で……と言いたいところだが、土俵は女人禁制だったな。ならば」
木場先生はそう言いながら白衣の袖をまくり上げると、近くにあった机の上に右肘を置く。
「腕相撲で勝負しようじゃないか」
「腕相撲とな⁉ それは面白そうじゃの!」
雷電丸は破顔すると、木場先生の手を掴もうとする。
すると、沼野先輩が雷電丸の肩を掴んだ。その表情には何故か険相が浮かんでいた。
「高天、怪我に気をつけろ。いいな?」ごくり、と沼野先輩は唾を飲み込む。何故か彼からは緊迫した空気が漂っていた。
沼野先輩は雷電丸が木場先生に怪我でもさせられないか心配なのだろう。
それは当然だろう。だって、沼野先輩自身が雷電丸の力を体感していたのだし、私の婿候補を百人も投げ飛ばした悪夢の光景を目の当たりにしたのだ。本当はこの勝負を止めたかったに違いない。
『そうよ、雷電丸。木場先生に怪我をさせないように気を付けるのよ』
「双葉よ。そういう意味ではない。錦は《《ワシに怪我をせぬよう》》に、と言ったんじゃ」
『どういうこと?』
「すぐに分かる」
すると、突然、雷電丸の顔から笑みが消失した。全身から闘気のようなものが立ち昇り、まるで取組前の力士のような真剣な眼差しを浮かべていた。
「お手柔らかにお願いするよ」木場先生は柔和な笑みを浮かべながら呟く。
「校長室で儂の腕を掴んだ時から感じておったよ。この女狐めが」にやり、とほくそ笑む。
それはどういうこと?
私は今朝の一件を思い出す。そう言えば、雷電丸ってば木場先生に逆らおうともせず、素直に言うことを聞いていたわよね?
今考えると不思議な出来事だった。いつもの雷電丸なら聞く耳もたず武田市議をそのまま窓の外に放り投げていただろうから。それに、あの時の雷電丸はとても嬉しそうに笑っていた。
「あの時、儂はアザミに掴まれ身動き出来ない状態だったんじゃよ」
『そんな、まさか!?』
「こ奴は強い。恐らく、儂が今まで出会って来た者の中でも断トツじゃな」と呟きながら雷電丸は嬉しそうに嗤った。
そして、雷電丸は右肘を机に置くと、木場先生の右手を掴む。
二人が手を掴み合った瞬間、両者の鋭い眼光がぶつかり合いピリピリとした空気が部室内に漂った。
何が起きようとしているの⁉
私はまた思い違いをしていた。木場先生はやはり謎多き美女だった。今まで見たこともない陽気な一面ですら、彼女が数多く持つ仮面の一つに過ぎなかったのだ。そのことを私はすぐに思い知ることになる。
「それじゃ、あたしが審判を務めるし!」
静川さんははしゃいだ様子で二人の手の上に自分の手を置くと、
「よーい、ドン、だし!」と言いながら右手を高々と上げた。
次の瞬間、常人でも目視出来る程の闘気が二人から放出された。
まるで部室内だけに嵐でも吹き荒れているかのように風が渦巻く。ビリビリと雷みたいなものが発生し、それが二人の放出した闘気がぶつかり合う衝撃波だと私は何故か瞬時に理解した。
そのすぐ傍にいた静川さんは、二人の闘気の放出の直撃を受けそのまま壁の方角に身体を吹き飛ばされた。
しかし、静川さんが壁に衝突する寸前、沼野先輩が彼女の華奢な身体を抱き止めた。
「何が起こっているし!?」驚愕に顔を強張らせながら、静川さんの悲鳴が木霊する。
静川さんに激しく同意するわ⁉ 今、私達は何を見ているの⁉ 確か二人は腕相撲をしていたはず。
これではまるで中二病バリバリの異能力者バトルじゃないのよ!
雷電丸と木場先生の均衡し膠着状態に陥っていた。どちらの腕もピクリとも動こうともしていなかった。
「女だてらにやるな、アザミとやら!?」
「君もな!? 名も無き強者よ!」
雷電丸と木場先生は互いに引きつった笑みを浮かべていた。二人が嗤えば嗤うほど、闘気の奔流は強まり部室内に発生した嵐は激しさを増していく。
『何が起きているのよおおぉぉ⁉』
目の前で繰り広げられる異次元の戦いを前に、私は叫ぶしかなかった。
「君は素敵だ! こんなにも私を昂らせてくれるのだからね。だが、それだけに残念だよ」
「何がじゃ!?」
すると、木場先生は突然闘気の放出を止めた。たちまち部室内に吹き荒れていた嵐は止み、勢いを失った木場先生の右手が今にも潰れそうにミシミシと音を立てていた。
一瞬、雷電丸は動揺を顔に出すも、すぐに攻勢に打って出た。一気に木場先生の右手を押し倒そうと右手に力を込めた。
雷電丸の勝ちだ! と私が思ったのも束の間、木場先生の手は机につく寸前で止まっていた。
「今の君では、絶対に私には勝てない」木場先生が静かに呟くのと同時に、彼女の瞳から蒼い光が迸る。
次の瞬間、何かが激しく砕け散る音が響き渡った。
見ると、二人が腕相撲で使用していた机が粉々に砕け散っていた。
そして、床で仰向けになって倒れている雷電丸の姿があった。
木場先生は床に倒れている雷電丸を見下ろしていた。それは彼女の勝利宣言の様に見えた。
「私の勝ちだ」木場先生はそう呟いた後、もたれるように椅子に座り込んだ。呼気が荒い。相当疲弊している様に見えた。
『雷電丸が……負けた⁉』
雷電丸が背に土をつけている光景を初めて見た私は、何故か驚きよりも悔しさが込み上げていた。
まさか、あの雷電丸が木場先生に負けるだなんて。頭の中が真っ白になってうまく考えがまとまらなかった。信じがたい光景を前にして、私は思わず目を背けそうになった。
雷電丸は仰向けに倒れながら、右手を天井に向けて伸ばした。
「久し振りの光景じゃの」
雷電丸は力一杯に拳を握り締めると、ニカッと満面に笑みを浮かべた。
「これだから、人生は面白い!」
嬉しそうにそう叫ぶと、雷電丸は倒れたまま大声で笑い出した。
「大丈夫かね、高天君?」木場先生は息を荒らげながら雷電丸に手を伸ばしてくる。
「お主、強いのう」雷電丸は素直に木場先生の手を取ると、一気に立ち上がった。
「君もな。紙一重だったよ」
「ぬかせ。半分も力を出しておらんかったくせに」
「いいや、間違いなく全力だったさ。木場アザミとして、ではあるがね。それを言うなら君もだろう?」
雷電丸は口の端を吊り上げてニイッと笑って見せた。
「土俵での取り組みならどうなっておったかの? どうじゃ、今からやってみぬかの?」
「流石にそれはお断りだ。土俵上で君に勝てる人間など、私を含めて、この世に存在せんだろうからね」
「何じゃ、つまらんのう」
そこに、興奮した様子の静川さんが雷電丸の前にやって来る。
「双葉っち、めっちゃ凄かったし! 木場先生! 雷とか、嵐とか、どんな手品を使ったし!?」
「フフ。手品は種を明かしたら面白みが失せてしまうからね。秘密だよ」
「さっきの動画に撮っておきたかったし! あーもう、残念だし!」
静川さんは先程の出来事を手品か何かと勘違いしているみたいだ。まあ、そう考えるのが普通だろう。私だってあれが何だったのか説明することは出来ないのだ。
「木場先生!」
そこに沼野先輩が木場先生のもとに駆け寄って来る。その表情が不安に陰っていて眉をひそめながら木場先生の顔を覗き込んでいた。
「私なら大丈夫。心配をかけたようだが、まだまだ生徒に後れを取るわけにはいかないからね」
「いえ、そうではなく! この惨状をどうされるおつもりですか⁉」
沼野先輩の怒声が部室内に響き渡る。その時になって、ようやく私は部室内の惨状に気付いた。部室内はまるでハリケーンでも通り過ぎたかのように滅茶滅茶になっていた。
「あー、うん、何というか。どうしようかね?」そう言って、木場先生は額から冷や汗をダラダラと垂れ流しながら目を泳がせた。
「責任は取っていただきますよ?」ジロリ、と沼野先輩は木場先生を睨みつけた。
木場先生は焦った表情を浮かべながら必死に沼野先輩から顔を背けていた。
「沼野君、こんな話を知っているかね? 噂の美人保健医は片付け下手で、自分の家の中もゴミ屋敷同然だという話を、な」口の端を吊り上げてニィッと笑うと、その場から逃げ出そうとする。
「絶対に逃がしませんからね!? さ、一緒に片付けましょう!」
沼野先輩はすかさず木場先生の肩を掴み逃亡を阻止する。捕らえられた木場先生はがっくりとうなだれた。
「ところで、双葉っちは木場先生に負けちゃったから、不合格?」
「いいや、そんなわけはないだろう? さっきのはあくまで実力を試しただけだからね。もちろん合格だよ。何せ、高天君は我が相撲部の女将になったのだからね」
「女将って?」
「相撲部の女ボスになったのだから、女将と呼ぶのが妥当だろう?」
「なら、双葉っちってば、女将ちゃんってことだし! そんで、女将ちゃんって、何をするの?」
「まあ、細かいことは後回しにして、二人の入部を祝し、これから歓迎会でも開こうじゃないか。焼肉でも奢ってやるぞ?」
「焼肉!? わーい、久し振りのお肉だし!!」
「ワシは百人前は喰らうが、それでもよろしいか?」
「いくらでも食べたまえよ。大人の経済力を見くびるではない」木場先生はえっへん、と自慢げに胸を張ると「さあ、行こうじゃないか!」と部室から立ち去ろうとする。
すかさず沼野先輩が木場先生の前に立ちふさがり、再び逃亡を阻止した。
「部室の片付けが先です! 焼肉はその後! いいですね、木場先生!?」
「は、はーい。分かりました……」
木場先生はしょんぼりと肩を落とすと、深い溜息を吐いた。今にも泣きそうなくらいに顔が暗く沈んでいた。
どんだけ掃除が嫌いなのかしら? と私はそんなお茶目な木場先生を見て微笑んだ。
その後、私達は陽が完全に沈むまで部室内の片付けに追われる羽目になった。
結局、今日も雷電丸は稽古が出来ず、落ち込んだ表情で深く嘆息するのであった。