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『夕焼けに置いてきた明日』
夕焼けが町を染めていた。
毎日見ているはずの帰り道なのに、
どうしてか今日は、少しだけ違って見える。
赤が濃すぎる気がした。
影が長すぎる気がした。
隣を歩く彼は、いつも通りのはずなのに、
少しだけ遠い。
「最近、静かだね」
そう言うと、彼は困ったみたいに笑った。
「そうか?」
うん、と答えながら、
私は胸の奥の違和感を飲み込む。
きっと気のせい。
明日も会える人に、不安なんていらない。
「ねえ、明日さ、この前話してたお団子屋さん行こうよ」
「……ああ」
短い返事。
それでも嬉しくて、私は続ける。
「約束ね」
「……約束」
指切りでもするみたいに、
彼は小さくそう言った。
角を曲がれば、それぞれの家。
昔から変わらない別れ道。
何百回も繰り返してきた
「またね」
を置いていく場所。
立ち止まると、胸が変に騒いだ。
このまま帰りたくないような。
もう少しだけ、話していたいような。
でも理由が見つからなくて、
私は笑って手を振る。
「それじゃあ――また明日」
彼の足が止まった。
今にも何か言いそうな顔で、
唇がわずかに動いて、
けれど結局、何も言わなかった。
「……ああ。また明日」
その声が、どうしてか、
さよならみたいに聞こえた。
次の日。
待ち合わせの時間になっても、
彼は来なかった。
寝坊かな。
先に学校へ行ってるのかも。
そう思いながら歩いても、
一日中、姿は見つからない。
代わりに耳に入ってきたのは、
聞き慣れない言葉だった。
「赤い紙」
「出征」
「もう今朝、発った」
世界が、少しだけ傾いた。
理解は、ゆっくりやってきて、
残酷なくらい正確だった。
昨日の視線も。
ためらいも。
泣きそうな顔も。
全部。
全部、知っていた人のものだった。
「約束、したのに」
小さく呟いた声は、 誰にも届かず消えた。
それからの日々は、 季節だけが進んでいった。
手紙を書く勇気も、
忘れる勇気も持てないまま。
ただ、帰ってくる日を、
どこかで疑いながら待っていた。
待つことは、
希望というより、祈りに近かった。
届いた知らせは、 あまりにも静かだった。
何度も読み返して、
意味が変わってくれるのを待った。
けれど文字はやっぱり同じで、
彼が戻らないことだけが、
はっきりとそこにあった。
声が出るまで、時間がかかった。
涙が落ちるまで、もっとかかった。
失うって、
もっと大きな音がするものだと思っていた。
本当はこんなに、
世界が普通の顔をしているなんて知らなかった。
彼の家の手伝いをしたとき。
見慣れた部屋に入った瞬間、
胸の奥がひどく冷えた。
ここにいれば、
今にも
「よう」
って帰ってきそうなのに。
机の引き出しを開ける。
一番奥に、
大切にしまわれた封筒があった。
私の名前。
見間違えるはずのない、彼の字。
どうして。
どうして今なの。
震える指で、紙を開いた。
『ずっと好きでした。
きっと、気づいていたと思う。
それでも言えなかった。
言ってしまったら、
戻れなくなる気がして怖かった。
帰ってこられたら、
その時はちゃんと伝えます。
だからそれまで、
いつもみたいに笑っていてください。』
視界が滲んで、
文字がほどけていく。
遅い。
あまりにも、遅い。
「……私も、好きだったのに」
あの日。
胸が騒いだ理由を、
どうして信じなかったんだろう。
腕を掴めばよかった。
名前を呼べばよかった。
明日なんて、
来る保証もなかったのに。
手紙を抱きしめる。
そこに彼はいない。
温度も、
声もない。
残ったのは、
間に合わなかった未来だけ。
窓の外は、また夕焼けだった。
綺麗で、
どうしようもなくて。
「……また明日」
つぶやいた約束は、
どこへも届かず、
静かに溶けた。
コメント
6件
失うって、もっと大きな音がするものだと思ってたっていうフレーズめっちゃすき

なくわいこんなもん