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テーブルの上があらかた綺麗になり、酔いでとろんとした顔が多くなったと思った頃、時田が皆に声をかけた。
「さて、そろそろお開きにしようか」
わいわい言いながらそれぞれが帰り支度を始める中、時田に訊ねられた。
「明日、二人は夕方までこっちにいるんだったよね?」
「はい、その予定です。直帰でいいって言われているので、ぎりぎりまでお手伝いできればいいなと思っています。ですので、皆さん、明日もどうぞよろしくお願いします」
私に倣うように拓真も頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくね」
みんなの声にほっとして、私と拓真は顔を見合わせて笑った。
店を出たところで、時田が私と拓真に訊ねる。
「ここからホテルまでは歩いて十五分くらいだけど、場所は覚えてるか?途中まで一緒に行くか?
しかし拓真が丁寧に時田の申し出を断る。
「いえ、ちゃんと覚えていますので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そうか。じゃあ、また明日な」
「はい。お疲れ様でした」
それぞれに散っていく支社のみんなを見送った後、私はふうっと息をついた。
「楽しかったけど、出張ってなかなか疲れるね」
「まぁね。でも、来て良かった。支社長に同行させてもらったけど、彼っていい人だね」
「でしょ?私、経理の時にずいぶんとお世話になったの。仕事はシビアだったけどね。さて、私たちも帰りましょうか。ホテルって、あっちの方だったよね」
言いながら歩き出した私を拓真が引き留める。
「待って!そっちじゃないよ。こっちだよ」
「え。あれ?」
「碧ちゃんって、方向音痴だったっけ?」
私は唇を尖らせて言い訳を口にする。
「初めての街だし、お酒も入ってるから、ちょっと間違えただけだもん」
「だもん、って……」
拓真がぷっと吹き出した。
「碧ちゃん、その言い方、いくらなんでも気を抜きすぎでしょ。もしかしたら、まだその辺りに支社の人がいるかもしれないのに」
拓真に言われてにわかに焦る。
「そ、そうよね。ごめんなさい。私、そんなに飲んでいないはずなんだけど、酔っぱらってるのかしら」
「疲れてるんだろ。とりあえずホテルに向かおう」
拓真が私の手に触れる。
「待って、この手はちょっと……」
周りの目が気になって、彼の手から逃げようとした。
しかしそれよりも早く彼の手が私の手をきゅっと握る。
「まだその辺りに支社の人たちがいるかもしれない、って拓真君が言ったばかりよ」
「大丈夫だよ。きっともういないし、いたとしても暗いから、俺たちが手を繋いでるかどうかなんて分からないって」
「さっき言っていたことと矛盾してない?」
「あれ?そうだったかな」
拓真は私の言葉をさらりと流した。
「だけど今の碧ちゃんはほろ酔いみたいで危なっかしいから、このまま行くよ」
気がかりそうな顔で言われて、私は素直にこくりと頷いた。頭一つ分高い位置にある彼の顔を見上げる。どきどきしているのはお酒のせいだけじゃない。私は彼の手をそっと握り返した。
ホテルまでの十数分、私は密かにデート気分を味わっていた。だから、ホテルに入る手前で彼の手が離れた時、もっとこうしていたいのにと思ってしまった。
彼の後に続いてホテルに入り、預けていた荷物とカードキーをフロントで受け取る。エレベーターに乗って二人して同じ階で降りた。
「同じフロアだったね」
「そうだね。明日は朝食を一緒に食べようか。ロビーに七時半集合で間に合うかな」
「うん。大丈夫だと思う。あ、明日は荷物を持って行った方がいいよね」
「あぁ、忘れないようにしないとね」
話しながらたどり着いたそれぞれの部屋は斜向かいにあった。
私たちはドアの前で今夜恐らく最後の言葉を交わす。
「それじゃあ、今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」
「ありがとう、拓真君もね。おやすみなさい。あと一日、よろしくね」
ドアを開けて部屋に入った。それにやや遅れて、拓真の部屋のドアが閉まる音が聞こえる。彼が近くにいるのだと思うと安心する。今夜はぐっすり眠れそうだ。