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蓮司の部屋に入った瞬間、
空気が変わるのがわかった。
人工的な香り、重たく閉じたカーテン、
足元に落ちていた黒いネクタイ──
いつも通り、なのに、
今日はなぜか、足が少しだけすくんだ。
「入れよ、彼氏くん」
蓮司の笑い声は軽く、
けれどそれは、指先で喉をなぞるような、冷たい音だった。
遥は黙って中に入る。
ドアが閉まる音が、なぜか耳に刺さった。
「“俺の彼氏”って言ってくれたの、すげぇ嬉しかったんだけどさ──」
蓮司はベッドの縁に腰を下ろしながら、
じろじろと遥の顔を見た。
「どこまで本気?」
「……」
「いや、いいんだよ。嘘でも。
俺、嘘って、すごい好きでさ。人の“願い”が出るだろ?」
蓮司が遥の制服の前を緩く引いた。
抵抗しようとした指先が、途中で止まった。
──もう、何を守るための嘘だったか、わからない。
「誰から逃げたかった? 日下部? それとも……自分?」
蓮司の指が、鎖骨に触れた瞬間、
遥の全身がぞわりと揺れた。
「さっきさ、廊下で見てたんだよ。あいつ。
おまえが教室に戻る時の顔、もう……泣きそうだった」
「泣いてねぇ」
「そう? なら演技、下手くそすぎ」
そう言いながら、蓮司は遥を押し倒した。
いつものように、容赦のない動きで。
“痛み”は、もうとっくに慣れているはずだったのに──
「……は、あ……っ」
「演じてみろよ、“俺の恋人”ってやつ。
さっきみたいに、ちゃんと“選んだ”みたいな顔して」
蓮司の言葉が、肌の上に降りてくるたび、
心の奥に、細かいヒビが走っていく。
それでも──
遥は声を出さないように、歯を食いしばった。
“ここだけは壊されたくない”
そう思ったわけじゃない。
ただ、壊されたと認めたら、日下部の前で嘘をついた意味が──
“演技”が全部、終わってしまう気がした。
「ねえ、遥。演じるの、やめたら?」
蓮司の顔が、ほんの少しだけ近づいた。
その目は、愉しそうに揺れている。
「俺はさ。おまえが壊れてくの、ちゃんと見てるから。
嘘も、反抗も、全部まとめて──“おまえ自身”ってことで、
受け止めてやってんの。ありがたいだろ?」
遥は返事をしなかった。
返事なんて、できるわけがなかった。
皮膚が焼けるように熱く、
でも心の中だけが冷えていく。
──誰にも届かない、
この“選んだフリ”だけが、
自分を辛うじて保っている唯一の皮。
でも、それすら──蓮司の前では、
もう、意味を成さなくなってきていた。