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自分の中の躊躇いをユーアに見抜かれたのだとユカリは思った。
もうやるしかない。それ以外にユーアを救う方法はない。
「ずっと独り言喋ってるみたいでちょっと不気味」とよりによってグリュエーが言った。
「グリュエーと喋ってる時も周りから見るとそんな感じなんだけど?」
グリュエーはどこ吹く風と聞き流す。
「それで何して遊ぶ?」
「内容は聞いてなかったんだね。これからこの街に存在する魔導書を探すよ」
「そこら辺の屋根瓦にでも尋ねてみたら分かるかも」
物に尋ねるというのは確かに考えていなかったとユカリは少し悔しい気持ちになる。
「思いつかなかったけど、たぶん駄目だね。この街が出来る前から存在して、今まで見つかってないわけだから。とにかく思いつく限り試していくしかないかな。まずは単純に迷わずの魔導書の力で魔導書のある場所を目指して進むとどうなるか、知っておきたい」
「大丈夫? 楽しい気持ちになれる?」
「グリュエーがいれば大丈夫だよ」
ユカリはどこにもたどり着かなかった。普通なら呪いを利用してでも最短距離でどこかにたどり着くわけだが、ただ迷いの呪いを除けながら普通に街を歩いただけだった。
それにしても迷いの呪いがなかったところでこの街は迷宮だ、とユカリは思った。無意味だからか案内看板や地図なんかもない。魔導書の力で呪いを除けて歩いたところで、結局迷ってしまう。
そう、迷ってしまうのだ。これはおそらく目的地がはっきりしないためだろう。それでいて不思議なことに迷いの呪いを除ける効力がある。
「ぐるぐるとその辺を歩いただけ?」とグリュエーが囁く。
ユカリは頷き、答える。「魔導書の在り処を目的地にするのは、目的地が無いも同然だってことだろうね。人も物も目的地にはできない、ということかな。でも、場所って何なんだろう」
ユカリは唸りながら少し考えてみたが、すぐに分かる問題ではなさそうだ、と見切りをつける。
では逆に魔導書の存在しないところを目指すとどうなるのか。ユカリは試してみる。これはきちんと一般にこの街で利用される形で魔導書が働いた。街に施された無数の迷いの呪いすら利用して、最短距離で魔導書の存在しないところへ導かれる。
景色が次々と変化し、ワーズメーズの乱雑な街の中にいたはずが、街を取り囲む真っ暗なデミバータの森の中をいつの間にかユカリは歩いていて、目の前に現れた背の低い苔生した石垣を超えようとしたところで立ち止まった。この石垣が迷わずの魔法の魔導書の効果範囲ということだろう。先人が調査を重ねて導き出したのだ。
「たぶんこの石垣は円形にワーズメーズの街を囲っているはず。石垣の外が魔導書の存在しないところなら、魔導書の存在するところはこの石垣の円の中心ってことだよね」
「ユカリ賢い」と言いつつもグリュエーは不満げにユカリの首筋に吹き付けた。
しかし魔導書は無かった。円の中心に位置するのだろう場所に来ることは出来た。そこは魔法の明かりがわずかに差し込む裏路地の袋小路の行き止まりだった。誰かの悪戯か、五つの顔を持つ小さな偶像が建物の石の壁に彫り刻まれている。魔導書は影も形もない。
今日一日随分歩いて、引いては返す波のように足が痛みを主張している。
「ユカリそんなに賢くなかった」と嬉しそうにグリュエーがはしゃいでいる。
「ひどい。でも当てが外れちゃったね」そう言って、ユカリは近くの壁にもたれかかって腕を組んで頭をひねる。「どういうことなんだろう。魔導書の存在しないところには行けたのに、魔導書の存在するところには行けなかった。魔導書の存在するところは場所じゃない? いや、それなら魔導書の存在しないところだって場所じゃないはずだよね。もしくは全てが魔導書の存在しないところってことになって、そこら辺を適当に歩くことになるはず。でも実際にはその逆。魔導書の存在するところに行こうとすると適当に歩いてしまう。ん? ってことは全てが魔導書の存在するところ? いや、全てじゃない。石垣の外は魔導書の存在しないところだ」
ユカリは自分の足元を見る。すり減り、隙間に苔の生えた舗装があるだけだ。
「グリュエーが黙ってても、ユーアがいなくても独り言」とグリュエーは独り言を言った。
その時、ユカリは何かを閃いた。開かないはずの箱の蓋がわずかに開き、隙間から見知らぬものを見つけたような気分になった。
「分かったかも。分かったかもしれない」とユカリは興奮気味に言って壁を離れる。「つまり魔導書が存在するところにもう既にいるんだよ。現在地が目的地なら、その目的地を目指しても、さっきみたいにうろうろしてしまうという道理」
「なるほど?」とグリュエーは呟く。
「よし、物は試しだよね。えーっと、この場合、つまり魔導書のあるところへ向かう? 無いところへ向かう? いや、どっちでもいいのか。魔導書のある所に行くよグリュエー」
「うん。グリュエーはユカリを見捨てないから安心して」
「どうせなら見守っててよ。じゃあ、行くよ」
そう言って小さく笑うとユカリは一歩を退いた。
靴の下にわずかな感触を感じる。おそるおそる見下ろすと、右足が羊皮紙を踏みつけていた。拾い上げて、確かめる。前世のユカリの文字。迷子にならない魔法。書いている内容だけではやはり魔法の詳細を知ることは出来そうにない。
「よく分かったね。どうして分かったの? 本当に分かったの? グリュエーはよく分かんない」
不満げに風が吹く。
「うん。勘違いに気づいたんだよ。この魔導書の魔法は地図みたいなものなんだと思ってた。現在地と目的地の間にある道を示してくれる地図なんだってね。でも違った。この魔法は常に現在地にあって目的地を指してくれる方位磁針だったんだよ」
「分かったような分からないような」
たぶん分かってないな、とユカリは思ったが説明は後にする。
とにかくユーアを探さなくてはならない。ユーアを目指して歩き出す。しかしたどり着けない。所有してなお人間を目的地にすることは出来ないようだった。しかし別の力を見つける。笑う呪文によって迷わないばかりか、人々を惑わせる迷いの呪いを相殺し、根本から取り除ける。つまり解呪するのだ。
「まだまだ歩く必要があるみたいだね」と言ってユカリはため息をつく。
グリュエーが心配げに囁く。「人間は歩かなきゃいけないから大変だね」
「まあね。でも楽しい気持ちはある。やっとユーアの元に行ける」
「どうするの?」
「虱潰しにこのワーズメーズの街にかけられた迷いの呪いを全て解くよ」
それからユカリは歩きに歩き、上りに上り、下りに下った。他の魔法まで解除してしまうのではないかという懸念は杞憂に終わった。この魔導書はあくまで迷子にならない魔法の魔導書だ。迷子の原因になる魔法だけを解きほぐすことができる。この魔導書に対抗して長い歴史をかけて積み上げられた幾千幾万の迷いの呪いがなすすべもなく崩れてゆく。
扉を開ければ、扉の向こうに行ける。橋を渡れば向こう岸にたどり着く。何かの周りを一周しても元の所に戻ってくる。上に行けば上に行けて、下に行けば下に行ける。全てが当たり前の状況に戻っていく。妖精や小鬼のような黄昏の国の生き物たちは突然に街が真っ当な存在に変化していき、驚いてどこかへ去っていく。
螺旋を描くように街を巡る。呪いの薄いほうから濃い方へとユカリは突き進む。
歪な街と空の境目が暁の気配に輝く頃、とうとう最後にたどり着いたのは迷わずの魔導書を見つけた場所だった。五つの顔を持つ小さな偶像が彫られた石の壁に、ユーアはもたれかかり座り込んでいた。
ユカリは駆け寄り、ユーアを抱き起す。ユーアは目をこすってあくびをした。眠っていただけのようだ。ユカリの微笑みに、ユーアは微笑み返した。
「良かった。この街の呪いは全部解けたんだね。ありがとう。ユカリ」とユーアが言った。ユーアの口でユーアが喋った。
驚いたユカリが喜びに混乱し、何か言おうと迷っていると、ユーアの体から力が抜ける。ふと何かが地面に流れ出していることにユカリは気づく。血ではない。砂のようだった。ユーアの手から、ではなく、ユーアの手が流れ出している。ユーアの手が崩れていく。微笑みを浮かべたままユーアの体が崩れていく。砂のように体の表面が流れ落ちていく。手が、腕が、肩が、足が、胴が、首が、崩れ去り、ついには骸骨だけが残された。
屍使いの業だ。ユーアは人形遣いの魔導書の魔法だけでなく、屍使いの術も会得していたということだ。
今になって、ユーアがあんなにも大事にしていたクチバシちゃん人形を持っていなかったことに気づいた。