その後、社食からエレベーターに向かっているとき、また、和香と出くわした。
もう訊こう、と耀は覚悟を決める。
このままでは、俺の頭の中は、お前じゃなくて。
お前のいるのかいないのかわからない姉のことでいっぱいになってしまうっ、と思ったからだ。
だがまあ、姉のことが気になるのも。
結局は、和香のことが気になっているからではあるのだが――。
まあ、そこは認めよう、と耀はちょっとだけ、自分の気持ちに素直になる。
だが、いきなり、姉のことには触れられなかった。
あのとき、にこ、と笑って、
「やだな、課長。
私は一人っ子ですよ」
と言ったときの和香は、明らかになにかを誤魔化している感じがしたからだ。
まず、さりげなく違う話をして、と思ったが、特にこれといって、思い浮かばない。
困ったな、と思ったそのとき、ふと、深夜の街を疾走する和香の姿が脳裏をよぎった。
「そういえば、お前、足速いな」
「ありがとうございます。
そういえば、昔、陸上やってたころ――」
と語り出すので、
「陸上の選手だったのか?」
と訊くと、
「いや~、そんなにやってたって程でもないんですけど。
そういえば、私、子どものころ、スプリンクラーって陸上やる人のことだと思ってたんですよね」
「スプリンターだろ……」
とまた、どうでもいい話がはじまる。
というか、こいつの話の中でどうでもいい話じゃない部分は何処だ、と思いながら、耀は、さりげなく姉の話に移行しようとした。
だが、
「あっ、そうだっ。
ちょっと驚いたことがあったんですよっ」
と和香が先に違う話をはじめてしまう。
「うちの隣の羽積さんって人が可愛い赤いエコバッグを持ってるんですけどね。
今朝、押し入れからカバン引っ張り出してたら、昔、姉からもらった電気屋の景品が出てきて」
姉っ。
こっちから振ったわけでもないのに、姉の話が出てきたことに、耀は感動し。
つい、ありがとう、神様っ、とまで思ってしまう。
「箱開けてみたら、なんとその羽積さんが持ってたのと同じエコバッグだったんですよ~。
今までずっと放っておいた景品なのに、見てすぐのタイミングでたまたま出てくるとかすごくないですか?
っていうか、羽積さんって、髑髏がお気に入りのブラック系の服が多い人なのに、電気屋の景品の可愛いエコバッグ持ってるっていうのがちょっと面白くて。
可愛いなって思っちゃいました」
ははは、と笑う和香の横顔を見ながら、少し嫌な予感がしていた。
その羽積というやつ、男では?
しかも、筋肉質でいいガタイをした濃い顔のイケメンでは?
と思う耀の想像は、ほぼ当たっていた。
そのイケメン(?)のことが気になりながらも、とりあえず、当初の目的である姉のことを訊いてみる。
隣のイケメンにこだわっていることを知られたくなかったからでは、決してない。
「お前の言うおねえさんって、あれか。
実は従姉とか、おばさんのことなのか?」
和香は斜め上を見たあとで、
「そうかもしれないですね」
と言った。
なんなんだっ。
そうかもしれないですねってっ。
「じゃあ、おばさんで」
と言って、和香は、にこ、と笑う。
じゃあってなんだっ?
ここでさらに姉のことを追求しようと耀は身を乗り出した。
「隣の羽積ってやつはイケメンか?」
「……はい」
知らない間に、口から違う言葉が出ていたようだ。
「見ます? 羽積さんの写真」
何故、俺が知らない男の写真を見なければならないんだ、と思いながらも、和香が手にしたスマホを覗き込む。
写真が現れる前に、訊いていた。
「なんでお前、その男の写真持ってるんだ」
「いや、メインはこの猫です」
と和香は写真に写っている猫を指差す。
可愛いキジトラの猫だ。
「ご近所さんちから逃げ出した猫なんです。
みんなで捕まえまして」
「……猫よりこの男の方が大きく写ってるが」
「それ撮ったの、近所の主婦の人なんで」
ああ……と頷き、和香と別れて、エレベーターに乗る。
今、なんの話したんだったかな。
頭にはキジトラの猫と赤いエコバッグしか浮かばないんだが……。
そうだ。
おねえさんは、おばさん……。
絶対違いそうだな、と思いながら、仕事に戻った。
いい天気の休日。
そうだ。
図書館にでも行ってみよう。
課長の家ほどじゃないけど、図書館近いし。
引っ越してきてから、ゆっくり散歩したこともそんなにないし。
よし、歩いて行ってみよう、と和香はバスに乗らずに、テクテク歩いて図書館に行った。
課長のうちから走って帰ったときは、下り坂だったし、速かったけど。
こうして歩いていくと結構あるな、と思いながら、耀の家の前まで来た。
ここからだとすぐそこなのに。
家を建てたのは、図書館に近いからじゃないだなんて。
なんてもったいない、と和香が思ったとき、ガチャリと中世の扉みたいな玄関扉が開き、耀が出てきた。
なんで中世の扉みたいかと言うと、木とアイアンでできているからだ。
「課長じゃないですか」
と声をかけると、耀は、ぎょっとする。
「こんなところで出会うなんて奇遇ですね」
と言って、
「ここ、俺の家だからな……」
と言われてしまったが。
いやいや、ここが自分の家だとしても、ずっと外に突っ立ってるわけじゃないじゃないですか。
なにかのゲームのキャラじゃあるまいし、と和香は思っていた。
「お前は何処に行くんだ?」
「図書館に決まってるじゃないですか」
と和香が言うと、耀は無言で後ろを見た。
このもう少し上にコンビニがあるからだ。
だが、和香は、ここまで歩いて来た人は、みんな図書館に行くに決まっている、と思っていた。
「……そうか。
俺もだ」
と耀が言うので、
「じゃあ、一緒に行きませんか?」
と誘ってみた。
「そうだな。
ああ、ちょっと待て。
袋を忘れた。
とってくる」
と耀は中に入っていった。
もちろん。
耀は、図書館に行こうと思って外に出てきたわけではなかったのだが。
耀が自分が誘ったから行き先を変えたことに、和香は、まったく気づいてもいなかった。
家に入った耀は急いで袋を探しながら、ふと、あの赤いエコバッグのことを思う。
その羽積とかいう奴と石崎は、期せずして、おそろいのバッグを持っているというわけだな。
一瞬、自分も似たような赤いバッグを持ってないだろうかと探しかけたが。
いや……そんなところで媚びてどうするっ、と思い直しす。
そもそも、俺は、石崎のことをずっと好きだったとかってわけじゃないし。
一晩共に過ごしたのなら、責任をとって結婚しなければと思っただけだ。
そう。
責任をとって、ちょっと結婚したいなと思っただけ……。
そんな自分でもよくわからない言い訳を心の中でしながら。
耀は窓際のローボードの上に畳んであった白い帆布のトートバッグを手にとった。
やはり、俺には、このくらいシンプルな方が似合うだろう。
それに、その赤いエコバッグを何処かで手に入れたとしても。
石崎だけじゃなく、羽積って男ともおそろいになってしまうしな。
そう結論づけながら、外に出ると、和香が目を見開き、驚いたように自分の手元を見た。
「あっ、課長っ。
その白い布袋っ」
どうしたっ?
白い布袋がなんなんだっ。
まだそんな時期じゃないから、サンタとは間違われないぞっ。
そんなに袋、デカくもないしっ、と思っていると、和香が笑って言う。
「この家に住んでいる老夫婦が持っている白い布袋と同じですっ」
「……そのおじいさんとおばあさんは何処からやって来たんだ」
何処からやって来て、うちに住み着いてるんだ?
霊か?
と耀は訊いた。
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