テラーノベル
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俺は、キッチンに立って、突然の訪問者の為に、朝のコーヒーを淹れる。先程まで、息つく暇も無い程に、グループLINEや電話などを駆使して、亮平からみんなに色んな指示が送られてきていた。みんなとのやり取りの中で、涼架さんをキチクさんから救う道筋が見えてきた事で、一旦の緊急会議はお開きとなった。
「はい、ブラックでも良い?」
「うん、ありがとう、ごめんね急に。」
俺は、涼架さんのところから家出をして早朝にここを訪れ、「今日からしばらく泊めてください。」 と頭を下げて転がり込んできた、若井滉斗くんにコーヒーを差し出す。
「よく俺の家わかったね。」
「目黒くんがさ、遊園地で、ここだって教えてくれたじゃん? 大学から近いんだーって。地図と写真までさ、あれ聞いててよかったよマジで。」
「ふふ。でもさ、学校の友達とかじゃなくてよかったの?」
「うーん、俺の状況に詳しい人って、亮平さんか、目黒くんしかいなかったからね。…亮平さんとこは、ヤバいでしょ?」
「…ヤバいね。」
「だから、ここに来させてもらいました! よろしくお願いします!」
「言っとくけど、寝るとこ床だよ。」
「全然良いっす! あざっす!」
俺は、ふっ、と笑って、コーヒーを啜る。
「…目黒くんてさ」
「…蓮でいいよ、慣れない、それ。」
「そう? んじゃ、蓮くん。てさ、亮平さんと、どうやって付き合ったの?」
「…え?」
「俺らなんかさー、こーんなちっちゃい頃からずーっと一緒なのに、まだ全然、ここでこんなことしてんだもん。ホントに、どーやって付き合うの? って、最近マジでわかんなくてさ。」
「重症だね、これは。」
「まぁほぼアイツが悪いんだけどね。」
「だいぶフワッとしてるもんね、涼架さん。」
「まあねー…。」
そこが良いんだけどね、と言うような笑顔で、若井くんが笑った。
俺は、そんな彼を微笑ましく眺めながら、コーヒーをローテーブルに置く。そのままコーヒーを見つめ、頭の中に思い出した亮平との出逢いを、ポツリポツリと話し始めた。
「…亮平とはさ、あの店の外で出逢ったんだよね。」
一年前の、冬。まだ始まったばかりの寒い季節の中で、俺は大学受験を控えて高校と予備校に通っては、模擬試験を受ける日々を過ごしていた。東京の、四年制の大学を目指していた俺は、ある日の模試判定の紙を見つめて、道端の花壇に腰掛けていた。
『判定:C』
自分で思っていたよりも、微妙な結果に、俺は肩を落としていた。決して狙えない範囲ではないが、楽観できるほどの力もない。あと、何をどう頑張れば良いのか、そう考えて、俺は少しばかり心が萎んでいた。
いつもなら、目の前のカフェに入って次なる目標を立てながらコーヒーでも飲んで少し勉強させてもらうところだが、今日はあの明るい店内に入る元気もない。
辺りは暗くなり始めて、じっと座っている身に寒さも堪えてきた。またひとつ、溜め息をつくと、それはわずかに白くなって、すぐに消える。
ふと、目の前に、ランチボックスのような箱が差し出された。思わず顔を上げると、目の前のカフェのエプロンを付けた男性が、片手でボックスを持っている。
「これ、僕が考えた新作。食べて、感想聞かせてくれない?」
「…え?」
「いっつも、中で勉強してるじゃん、常連さん。」
その人は、にっこりと笑って、さらに手を前へ突き出す。その言い方には少しの嫌味もなく、勉強の為に席を占領していた事への苦情ではなさそうだった。
「受験? お疲れ様。」
「…はい…。」
「…今日は、入らないの? 中。」
「…すいません、ここにいたら目障りですよね、帰ります。」
俺は立ち上がって、踵を返した。
「そうじゃなくて!」
不意に後ろから腕を掴まれ、俺は振り向いた。俺より少し背の低いその人は、俺を心配そうに見つめている。
「…これの、感想、お願いしたいから、中で食べていってくれない?」
尚も、ランチボックスを俺に差し出す。なかなかしつこい人だな、と俺は少し怪訝な顔をして見せたが、腕まで掴まれた俺は、まぁいつも席を占領してるしな、と考え直し、それを受け取った。
「あ…じゃあ、はい。」
「…中、入って。コーヒーもご馳走するよ。」
掴まれた腕をそのまま優しく引かれて、俺は流れで店内へと入って行く。その人は、すぐに店の奥からコーヒーを運んできた。
「はい、ブラックだったよね?」
「…すいません、あの、お金払いますから。」
「いいのいいの、これのお礼。」
俺の目の前のランチボックスを指差して、そのまま対面に座った。あ、目の前で食べてるのを見て感想求めるタイプか、と俺は少し居心地悪く感じたが、食事もコーヒーも恵んでもらった手前、おずおずとそれらを食し始めた。
紙製のしっかりした丸みのあるボックスに、木のスプーンひとつで食べやすいように、ライスやハンバーグ、角切り野菜に目玉焼きなどの具材がのっていた。これ、なんだっけ。
「…ロコモコ…だっけ。」
「そうそう、キッチンカーで出そうと思ってるから、ランチに外でも食べやすいように、スプーンひとつで食べられるようにしてるんだけど。」
「うん、食べやすい…。おいしい。」
「あ、よかった!」
嬉しそうなその声に顔を挙げると、パッと華やかな笑顔が目に飛び込んできた。
長めの茶色いウェーブがかった髪から覗くパッチリとした大きな眼、すっと通った鼻筋に、小さくて少し肉厚な唇は、白い歯を見せてその口角を上げていた。俺よりも恐らく年上だが、雰囲気はとても可愛らしいものに感じた。
「…ご馳走様でした。あの、ホントにお金…。」
「学生さんからは貰えないよ。って、いつも貰ってるけどね。」
はは、とまた明るく笑う。俺も釣られて口角が上がってしまった。
「…受験はさ、これからが大変だよね、僕も、応援してるから。またいつでも来てね。」
「…ありがとうございます…。」
俺が花壇に座り込んで、何を落ち込んでいたのかなんて訊かず、頑張って、なんて無責任な言葉も使わず、それでも俺を励ましてくれる。俺は、さっきまで凍えそうだった心が、暖かく溶けていくのを感じていた。
「あの…。」
「ん?」
「…俺、目黒蓮です。」
「あ、僕は、ここのお店の息子で、阿部亮平です。みんなからは阿部ちゃんって呼ばれてます。」
ニコニコと、人好きのする笑顔で伝えてくる。みんなから…。その言葉やこの笑顔からも、きっと人気者なのだろうというのが窺えた。
「…じゃあ、亮平さん。」
「え、なんで。ここは阿部ちゃんの流れでしょ。面白いね、蓮くん。」
はは、と笑って、さらりと俺の名を呼ぶ。俺は、『みんな』への細やかな抵抗として、敢えて名前で呼んだ。それが、一体なんの抵抗なのかは、俺はまだわからなかった。
時が過ぎ、俺はそこからも死に物狂いで勉強し、見事第一志望の大学への入学を勝ち取っていた。
それまでの生活は、予備校に足繁く通い、たまに、亮平さんのお店で勉強をする、というものだった。俺が顔を出すと、亮平さんは嬉しそうに、コーヒーのお代わりを静かに勧めてくれた。
俺は、合格発表の日、家のパソコンで自分の番号があるのを確かめた後、すぐに大学の張り紙を見に行った。今や、オンラインでの合否確認が当たり前で、大学の張り紙の前では、確定の人たちが記念撮影の為だけに訪れていた。俺も、その人達に紛れて、自分の番号の写真を撮る。
「ねえ、撮ってあげよっか!」
なんだか高い声がして、後ろを振り向くと、俺よりだいぶ下にある可愛らしい顔が、ニコニコと見上げていた。
「うん、ありがとう…。」
「はい、笑ってー!」
俺は、そんなことを言われても笑うことはなく、自分の番号の下で一応の記念写真を撮ってもらった。
「顔かたいなー。」
ケラケラと笑って、スマホを返してくる。
「あ、俺も撮ろうか?」
手を差し出すと、ブハッと吹き出して笑った。
「いやいや!俺6年生だから!」
「…え?」
「2年間海外行っててさ、今年晴れて6年生! 今日は、可愛い後輩ちゃん達に、これを渡す為に駆り出されたのさ。」
そう言いながら、俺の胸に造花で作られた桜の花のピンバッチを付けて、チラシを渡してきた。『イベントサークル』と題されたチラシは、勧誘のものらしかった。
「あ、いかがわしいイベサーじゃないからね。ガチのやつだから。企業目指してる奴も多いよ。興味あったら、よろしくね!」
「はあ…。」
派手なピンク髪のその人は、また別の後輩をターゲットにして、颯爽と去って行った。
俺は、その足で、亮平さんの店へ向かう。
開店前で、でも俺の合格発表の日だと知っていた亮平さんは、ソワソワと落ち着かない様子で店の前を掃除していた。少し遠くからその様子を見て、俺はクス、と笑う。
「亮平さん。」
「あ、蓮くん。…あ!」
俺の胸の桜に気付いた亮平さんが、ガバッと俺に抱きついた。俺は驚きつつも、嬉しさが勝ってそっとその背中に手を添える。
「おめでとうー! おめでとう、蓮くん!」
「…ありがとう、亮平さん。」
亮平さんが身体を離して、俺の両腕を優しく掴み、うんうんと頷く。
「ホントによく頑張ってたもんね、よく頑張った!」
涙目になりながら、俺以上に喜ぶこの人の、言葉選びが好きだと思った。俺が頑張っている最中には、決して、頑張れ、なんて言葉は使わなかった。そして、結果が出た今、これまでの俺の頑張りを全て認めてくれて、頑張った、と心から言ってくれる。俺は、この人に支えられて、この合格まで辿り着けたな、と、そう感じたのだった。
大学に入学してから、俺はあのピンク髪の6年生に着いて、イベントサークルへ入った。
「さっくん、お昼行こ。」
「おーいいよ。めめ、なんか食べたいもんあるの?」
ピンク髪のその人は、佐久間大介という5歳も年上の先輩だった。だけど、すごく気さくで、すぐに打ち解けることができた。俺は同級生よりも、さっくんと一緒にいる方が心地よかった。さっくんも、嫌な顔せずに一緒に居てくれる。
「今日はさ、ここに行きたいんだ。」
俺が、亮平さんのキッチンカーデビューのチラシを見せた。さっくんが、ふんふんと読んで、あ、と声に出した。
「ここ、もしかして『プリンス阿部』の店じゃない?」
「…プリンス阿部?」
「この店の息子、俺が大学入った時からだから、まだ高校生だったかな。そん時から店の手伝いしてたんだけど、そりゃもうすごい人気で。付いたあだ名が『プリンス阿部』。」
プリンス阿部…ダサ。俺は、なんだか不快に感じて、眉根を顰めた。
「…そんな軽薄な感じの人じゃないけど。」
「軽薄だなんて言ってないよ、ただ、王子様くらいモテモテだって話。」
さっくんが、笑いながら否定する。俺は、チラシを見て、「みんなからは阿部ちゃんって呼ばれてます。」と言った亮平さんを思い出していた。そのみんな、って、誰? なんか、陰ではプリンス阿部って呼ばれてますよ、あなた。
なんだかモヤモヤとしながら、さっくんと一緒にチラシの場所へと向かった。大学の近くの広場に来ていた亮平さんのキッチンカーには、もはや行列が出来ていた。そのほとんどが、女性だが。
「うわー、プリンス阿部、健在だな。ヤベー。」
「…やめなよ、それ。」
「ん? だめ?」
「…うん、俺は、ヤだな。」
「そ? んじゃやめとく。」
さっくんは、サラッと俺の気持ちを受け止めてくれる。こういうところが、一緒に居て心地がいい所以だ。
「あ、いらっしゃい! 大学の近くだから、蓮くん来てくれるかなーって思ってた。」
俺の番になると、亮平さんの顔に、より一層の笑顔が咲いた。俺は、その笑顔が何故か眩しく感じて、少し目を細めた。
「はい、ロコモコ丼。あれから、付け合わせにポテサラと、フライドオニオンで食感を足してみたんだ。食べてみて。」
「うん、ありがとう。」
ボックスを受け取る時に、亮平さんの手に触れた。暖かくて、触れたところがジンとする。
「あれからって何?」
「ああ、これ、前に試食したことあるんだ。」
「へぇー、プリ…阿部ちゃんと仲良いんだ。」
「仲良いっていうか…よくしてもらってる…かな?」
キッチンカーから少し離れたベンチに座って、さっくんと話しながら食べる。食べながら、まだまだ行列の先にいる亮平さんを、眼で追う。忙しそうに動きながらも、その笑顔を絶やさない。女性客が浮き足だって並んでいるのを、俺は面白くない気持ちで見つめていた。
「…めめ、阿部ちゃんにゾッコンだな。」
急に古い言い方で茶化されたもんだから、俺はブッ!と吹き出してしまった。喉にも入って、ゲホゲホと咳き込む。
「…え? っ何、言ってんの。」
「いやいや、どう見ても、めちゃくちゃ好きじゃん。そうなんだ、そりゃプリンス阿部を嫌がるわけだね。ごめんごめん。」
俺の背中をさすりながら、さっくんが笑う。
俺が、亮平さんを、好き…?
急に顔が真っ赤になって、汗が噴き出てきた。
模試の結果に落ち込んでいた時に、亮平さんに見つけてもらえた。理由を訊くことなく、頑張れを言うこともなく、励ましてくれた。頑張る俺を、応援し続けてくれた。俺の合格を、俺以上に喜んでくれた。頑張ったね、と認めてくれた。
あの人の、言葉選びが好きだと思った。
だけど、そうか。
あの人そのものが、好きだったんだ。
自分の気持ちに気付いた俺は、それ以上亮平さんの方を見られなくなってしまった。ご飯をかき込んで、近くのゴミ箱に容器を入れると、さっくんを連れて急いでその場を離れる。
「あれ、無自覚だった? ごめんごめん。」
「…いや…大丈夫…。だけど、俺…どーしよ…。」
こんな気持ちを抱えて、もう亮平さんに会えない。どう接したら良いかわからない。
そう考えていると、さっくんがバシッと背中を叩いた。
「いった…。」
「デカい図体して、何ちっさいこと言ってんの。当たって砕けろ! 相手はなんせプリンス阿部だぞ? あっちゅーまに誰かに取られるぞ?」
誰かに…。阿部ちゃんとか、プリンス阿部とか、呼んでる奴らにか…? そんなの、嫌だ。
「…わかった、行ってくる。」
「おう! …おぅ? え?!」
すぐに走り出した俺を、さっくんは素っ頓狂な声で見送った。
キッチンカーに戻ると、亮平さんが看板を片付けて、店仕舞いをしているところだった。
「亮平さん!」
名前を呼びながら、走り寄る。亮平さんは眼を丸くして、手を止めた。
「…あれ、あの人は?」
「…え? …誰?」
俺は、肩で息をしながら、訊き返す。
「一緒にご飯食べてた、ピンクの…。」
「…ああ、…大学。」
「…蓮くんは? どうしたの?」
俺は、息を整えて、深呼吸をする。
「…俺、亮平さんが好きだから、それを伝えにきた。」
「………はい?」
亮平さんは、大きな眼をもっと見開いて、声を絞り出した。
「…ごめん、いきなり。でも、気付いちゃって、好きだって。それで、プリンス阿部だし、早くしないと、取られるって、だから。」
「ちょ、ちょっと待って、え、本気で言ってる?」
「本気だよ、嘘に見える?」
「いや…。」
亮平さんは、看板をキッチンカーの中に仕舞って、目線を看板に置いたまま、一つ溜め息をついた。
「…僕も、蓮くんが好きだよ。」
「…え?」
思いもよらない言葉に、俺の心が大きく跳ねた。一気に浮き足だった心が、こちらを向いた亮平さんの一言で、ずしんと落ちた。
「付き合っても良いけど、フリーセックス…自由恋愛にしてくれる?」
「………え?」
さっきまで遠かった街の喧騒が、一気に耳の中へ雪崩れ込んできた。
「…え、それで、付き合ったの?」
「うん、それでも付き合ってくれるだけマシか、と思ってね。」
若井くんが、眉間に皺を寄せて、理解できない、という表情をしている。俺も、緩く笑って、同意しておいた。
「…今もその約束は続いてんの?」
「いや、どうだろ。なんか、涼架さんと、若井くん達と出逢ってから、亮平ちょっと雰囲気変わったからね。」
「へえ、俺ら?」
「うん。なんか、纏ってる空気が、変わった。」
「ふーん…。でも、なんでそんな条件出したんだろね、亮平さん。」
「…さあねぇ。意外と謎っぽいから、あの人。」
「…え、で、フリーで、…してんの?」
「はは、してないしてない。亮平としかしてないよ。亮平も、多分俺だけ。ただでさえ店が忙しいしね。」
「えー、なおさら謎だなぁ。…てか、してんだぁ、いーなぁー…。」
「あはは、まずは付き合うところからだね、応援してる。」
「ありがとー…。はぁ…。」
頑張れ、じゃなくて、応援してる。あの時の亮平と同じ言葉選びで、俺は若井くんを励ました。
「…っくしゅん!」 「…っく! 」
僕と涼架くんが、店の椅子に座って、同時にくしゃみをする。
「…はは、蓮とひろぱくんが俺たちの話でもしてんじゃない?」
「…はあ。早く菊池さんとのデート終わらせたい…気が重いよぉ…。」
さっき、僕の計画通りに、菊池さんからデートの誘いを受けた涼架くんが、机に突っ伏して嘆いている。可哀想だけど、ニノ先生とやらに菊池さんを引き合わせる為に、涼架くんには少し頑張ってもらわないとね。
「頑張って…か。」
自分でも意識しないうちに、勝手に言葉が口から出ていた。
「どうしたの?」
「いや、蓮とのことを、ちょっと思い出してね…。」
「え、蓮くん?! なになに、聞きたい!」
涼架くんが、自分の置かれたややこしい状況から逃れる為か、僕の話に乗ってくる。僕は、ふ、と笑って、珍しく自分のことを語り始めてしまった。
蓮くんのことは、前から気付いていた。コーヒーを頼んで、出来るだけ邪魔にならない端の席でいつも参考書を開いて勉強している、男の子。真剣に取り組むその顔が、素敵だな、とぼんやり思っていた。
だけど、僕は、恋はしない。
僕は、高校生の頃から、お小遣い目当てに、この店を手伝っていた。店の制服を着て、エプロンをつけて働くだけで、周りがにわかに色めき立った。『プリンス阿部』なんていう、ふざけたあだ名までご丁寧に付けられて。ただ、その時は、僕はそんなに捻くれてなくて、みんなの好意をありがたく受け取ったりしていた。
「阿部ちゃん、好きになった、俺と付き合って欲しい。」
高校一年のある日、大学4年生の男性に告白された。その人は足繁く店に通ってくれた人で、ある程度の好意は僕も持っていた。付き合って、身体を重ねて、僕は恋に夢中になった。
だけど、その人は、大学を卒業すると共に、僕から離れていった。
その後も、何人かと付き合ったが、みんな、他に好きな人ができた、夢を見つけた、思っていた感じと違った、そんなことを言いながら、僕から離れていく。
僕は、この店を継ぐことを決めていたし、ここから離れることはできない。それを別に嫌だと思ったことはなかったのに、いつしか、キッチンカーを運用することを考え始めた。
少しでも、外の世界へ。自分の行ける場所を広げる為に。そんな細やかな反抗、何に対してのかは知らないが、それを目指して、キッチンカーを導入したのだ。
もう、しばらく恋はいいかな。そう思っていたのに、あの日、蓮くんが店の前の花壇で落ち込んでいる姿を見たら、放っておけなかった。つい、声を掛けて、そこからはずっと蓮くんのそばで応援し続けた。そして、その努力が実を結んだ時も、一緒になって喜びを分かち合ってくれたと思う。
僕は、蓮くんのことが好きかもしれない。
そう思っていた矢先、僕の初めてのキッチンカー出店の日に、蓮くんが、彼を連れてきた。ピンク髪がよく似合う、可愛らしい男の子。
ああ、そうか、やっぱりね。
蓮くんは、これから輝かしい大学生活が始まる。あの店にいるだけの僕のことなんか、すぐに忘れ去ってしまうだろう。
まあ気にしない、いつもの事じゃないか。離れたベンチに二人仲良く座り、なんだか楽しげに話している。僕は、目の端でずっと二人を捉えたまま、行列の対応をしていた。不意に、蓮くんの背中を、ピンク髪の彼が手でさすっていた。蓮くんの顔は真っ赤になっている。ああ、嫌だなぁ。そんなもの、ここでわざわざ見せつけないでくれ。僕がキッチンカーでせっかくあの店から自由に動けるようになっても、僕の好きな人は関係なしにまたどこかへ行ってしまう。
ああ、人を好きになるって、怖いなぁ。
ランチボックスが完売して、キッチンカーの片付けをしていると、蓮くんが走って戻ってきた。何事かと驚いていると、急に告白をされたのだ。息を切らして、言葉も辿々しく、でも真剣な顔で。
僕は、嬉しかった。同時に、恐ろしかった。
蓮くんは、まだ大学一年生。この先、どんな出逢いがあって、どんな未来に向かうのか、まだまだわからない歳。そして、それが楽しみな歳でもある。それが痛いほどにわかるから、怖い。
蓮くんが、いつか僕から離れていく日が来ても、自分が傷つかないように…。僕は、しばし考えたのち、突き放すこともせず、全てを受け入れることもしない、酷い提案をしてしまった。
「付き合っても良いけど、フリーセックス…自由恋愛にしてくれる?」
あの時の蓮の顔が、今でも忘れられない。ひどく傷つけてしまった、そう思っていても、今でも訂正はできないし、彼を僕から解放してもあげられない。
「…でも、蓮くんのことだけが、好きなんだよね? 遊園地で、そう言ってたでしょ?」
「…うん。」
「僕には、蓮くんが亮平くんを捨てて何処かへいっちゃう人には見えないよ。亮平くんだってホントは」
「わかってるよ、わかってる。僕だって、もうわかってるんだ。」
蓮が、今までの人とは違うってこと。僕だけを想って、大切にしてくれてることだって、わかってる。だから。
「…涼架くん達が上手くいったら、僕も、蓮にちゃんと伝えようと思ってる。」
涼架くんを真っ直ぐに想う、もっくんとひろぱくんを見習って。僕も、蓮にちゃんと伝えよう。
僕の言葉に、涼架くんが少し首を傾げる。あの子達の前途も、なかなかに険しいな、と僕は、苦笑いで返しておいた。
涼架くんとキチクさんのことに蹴りがついて、ひろぱくんが蓮の家から涼架くんの家へ帰った日。僕は、蓮の家へ久しぶりに来ていた。二人で床に座り、話をする。
「ひろぱくんと、だいぶ仲良くなったみたいだね。」
「うん、滉斗くんも、さっくんみたいに明るくて優しくてさ、居心地いい人だったよ。」
さっくん。ピンク髪の彼だ。蓮の口からよく名前を聞く彼は、僕の心を騒つかせる。だけど、そんなことはもう気にしない。僕は、自分の弱さを認めた上で、真っ直ぐに蓮と向き合う覚悟を決めたんだから。
「…蓮。」
「なに?」
「…あの時、自由恋愛なんて条件を出して、蓮を試すようなことをして、本当にごめんなさい。」
蓮が、僕を見て黙り込む。この沈黙が、怖い。蓮が何を思うのか、わからない。
「…あの二人に、初めて会った時、涼架くんについて恋愛相談されて、蓮に『涼架くんと仲良くして、二人との違いを考えさせてあげて欲しい』ってお願いしたでしょ。あれも、本当は…蓮を、試してたんだと思う。」
僕は、俯きながら、自分の情けないところを蓮に曝け出していく。
「僕は、ずっと自信がなくて。蓮が、これから世界が広がっていく途中で、どうせ僕を置いていくんだろうっていう気持ちが、どうしても消せなくて。僕は、ズルくて、こんなにも、情けない人間なんだよ…。」
伏せた眼から、涙がこぼれ落ちる。
「…だけど、好きなんだ、蓮が。どうしようもなく、好きだ。自由恋愛なんか、いやだ。誰にも、目を奪われないで欲しい。僕だけを見て、僕だけをずっと好きで、ずっと僕のそばに」
話している途中で、蓮が僕を抱きしめた。ぎゅうっと、力強く、苦しいくらいに、締め付ける。
「…やっと、亮平を見せてくれた。」
蓮の声も、震えている。僕は、蓮の背中にしがみついて、嗚咽を漏らした。
「…亮平が、どんな恋愛してきたか、わからないけど、俺のことは、信じてよ。俺は、亮平しか、見えてないんだよ、ずっと。」
僕は、蓮の肩に頭を預け、何度も頷く。蓮は、身体を離して、そっと僕の頬に手を触れた。
「…亮平、愛してるよ。」
「…僕も、愛してる、蓮。」
そっと口付けて、蓮が優しく僕を床へと組み敷く。蓮の手が僕の身体を優しく触り、僕らは何度も愛を囁き合いながら、その温もりを分け合った。
これまでの、どんな行為よりも、優しく、愛おしく、心が温まるものだった。
全てを終えて、二人でベッドに横たわり、僕がベッドの外を向いて、後ろから蓮が抱きしめている。
僕は、ベッドの下に置いてある自分の荷物から、小さな箱を取り出した。
僕を後ろから抱きしめている蓮の左手に、そっとそれを嵌める。
「…え?」
蓮が、自分の左手を掲げて、薬指に光る指輪を見つめた。
「…蓮、大学を卒業したら、僕と結婚してください。」
「…え! ちょっと、亮平…。」
蓮が、少し情けない声を出した。僕はドキッとして、蓮を振り向く。赤い顔をして、顰めっ面で僕を見ている。
「…卒業する時に、俺からプロポーズしようと思ってたのに…。」
拗ねたように、僕に縋り付く。僕は、ふふ、と笑って、蓮の方に向き直り、ギュッと抱きついた。
「…滉斗くん達も、早くデキたらいいのにね。」
「…それは、そーいう意味で?」
「うん、だって、滉斗くんだいぶ限界っぽかったよ。」
「はは、あの涼架くんにずっと恋して、一緒に暮らして、生殺し状態だもんな。」
「もうね、聞いてるこっちが悲しくなるくらい、可哀想だった。」
「はは…! なんか、アドバイスしてあげたの? タチの先輩として。」
「ふふ、まあね、色々。」
「わあ、涼架くん大変だ。二人分だからね。」
「…亮平も、俺一人でも大変なことにしてあげようか?」
蓮が、ニヤッと笑う。僕は、その胸に顔を埋めて、もう充分です…、と小さく呟いた。
涼架くんは、もっくんとひろぱくんにずっと一途に愛されて、あんなにも綺麗な存在で、僕は、本当に奇跡だと思った。
あの三人に出逢って、僕は、恋を、愛を、もう一度信じてみようと思えたんだ。それは、ずっと僕を信じてそばにいてくれたのが、蓮だから。
僕は、僕が手にしたこの愛を、ずっと大切にしていこうと、蓮とお揃いの指に着けた指輪を眺めながら、そう心に誓った。
他の誰でもない、何でもない、僕と、蓮にだって、奇跡はある。
僕らだけの世界が、今日も広がってゆく。
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めめあべ更新ありがとうございます✨胸キュンショートストーリー♥️ステキです!過去の恋愛から臆病になる阿部ちゃんもいいし、一途に思い続けるめめもカッコイイ🥰 途中ピンク髪が出てきて「さっくんだぁ」ってなって(よく知らないけど笑)ちょっと落ち込んじゃう阿部ちゃんもグッとくるし、最高プロポーズしちゃうのもいい✨
めめと阿部ちゃんの出会い知りたかった〜♬♩ 一緒にいて居心地がいいとか、言葉選びとか優しいタッチの言葉を含む七瀬さんの書き方好き🥰 わ、さっくんでたー!!ラストの阿部ちゃんの気持ちが綴られてるのすごくいい♡ この奇跡がずっとカタチあるものであってほしいな。
朝から素敵なお話ありがとうございます💕 恋愛に臆病な阿部ちゃんが切ない💦 絶妙に🍏3人ともリンクしてて、 3人が応援されてるのがよく分かって、 楽しめました〜🥰 このカップルの夫婦感堪らん✨ 涼ちゃんがまだ5歳児で、 3話でどう変貌するのかが楽しみです😍 また次のお話を楽しみにしています💛 ロッキンのお写真のイケメンぶりに朝からやられています💛🫠