テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
蓮司が何か軽口を叩いて、遥がそれに薄く笑いを返したときだった。
──ふと、前方の歩道の端。
信号待ちの人波の中に、見慣れた影があった。
日下部──。
遥の胸が、一瞬だけ締まった。
(……なんで、こんなとこに)
ほんの数秒、目が合った。
日下部も、明らかに一瞬、立ち止まったようだった。
その視線は、遥ではなく──遥の隣にいる蓮司へ、ほんの僅かに動いた。
蓮司は、気づいていないふりをした。
それとも本当に気づいてないのか、わからなかった。
沈黙が、息苦しいほどに流れる。
──だが。
日下部の口が、動いた。
「……おい、遥」
声に、意図はなかった。
責めでもなく、驚きでもない。
ただ、“出てしまった”ような、無意識の呼びかけだった。
蓮司がちらりと目を動かす。
遥は、ゆっくりと振り返った。
「……なに」
その声は、かすれていたが、濁りはなかった。
表情には何も載っていない。
ただの“事実確認”のように。
日下部は、言葉を失っていた。
蓮司と並んで歩く遥。
蓮司の手には、小さな袋──プレゼント。
遥の指先が、その持ち手の端をほんの少し掴んでいた。
「……別に、なんでもねぇ」
そう呟いて、日下部は視線を逸らした。
蓮司が、無言のまま遥の肩を軽く叩いた。
その動きは、ごく自然で、何の意味もないようなふうをしていた。
「……あ、そうだ」
急に思い出したように、蓮司が口を開く。
「なあ、せっかくだし──あっちのカフェ寄ってかね?」
指さしたのは、交差点の向こう、ガラス張りの落ち着いた雰囲気のカフェ。
「沙耶香、あと30分くらいかかるって言ってたろ。
どうせなら、先に待ってようぜ。……あ、おまえも来る?」
その言葉は、明らかに日下部に向けられたものだった。
振り向いた蓮司の目には、笑みすら浮かんでいた。
だがその奥にある“何か”は、全く読めない。
飄々とした仮面。だが、それだけではない不穏さが滲んでいた。
遥は──何も言わなかった。
ただ、蓮司の横顔を横目で見て、それからゆっくりと視線を日下部に戻した。
日下部は、少しだけ口を開きかけて、言葉が出なかった。
「……いや、オレは」
何か言いかけたが、結局、断りきるほどの意思もなく。
「いいじゃん。ちょっとコーヒー一杯、話くらい。
……あれ、もしかして、気まずい?」
蓮司は軽く笑った。
「……おまえら、もしかして、なんかあった?」
遥が動いた。
ゆっくりと歩き出し、蓮司の隣に立った。
「……行こ」
その一言に、感情はなかった。
けれど、それは“拒絶”ではなかった。
蓮司は満足げに頷くと、片手でポケットの中を探りながら歩き出す。
「よし、じゃ、決まり」
日下部は、しばらくその場から動けなかった。
まるで、自分だけが“外側”に取り残されたような錯覚。
(……何なんだ、あれ)
その背中を、ただ無言で見送った。
遥の背中。
蓮司の歩調。
そして、二人の間に流れる、不可解な距離感。
(ちがう。あいつは……あんなのじゃ、なかったはずだ)
なのに、そう思ってしまう自分のほうが、もう“ズレて”いるのかもしれなかった。
──交差点の向こう。
三人目として歩き出すには、ほんの少しだけ、遅すぎた。