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それから一週間ほど経ち、ルシンダは仮住まいだった王宮からフィールズ公爵邸に移ることとなった。
まだ戸籍はランカスター伯爵家にあるが、安全のため、それに公爵家の面々が早くルシンダとの関係を築きたいということで、早めに居を移すことになったのだった。
転居当日、ユージーンが公爵家の馬車でルシンダを迎えに来た。アーロンも忙しい中、わざわざ見送りのために付き添ってくれる。
「アーロン、今までお世話になりました。おかげさまで快適に過ごせました」
「それならよかったですが、これから王宮にルシンダがいないと思うと寂しいですね……。たった一週間ではフィールズ家の準備も整っていないでしょうし、やはりもう少しこちらに滞在しては……」
いかにも公爵家を気遣うようなアーロンの提案をユージーンの咳払いがかき消した。
「心配するな、アーロン。必要なものはすべて揃えたし、これからルーの好みも聞いて完璧に仕上げる。両親も朝から首を長くして待っているから、そろそろ僕の妹を連れていってもいいかな?」
ルシンダの肩に手を回し、にっこりと笑うユージーン。
アーロンは諦めたように溜め息を一つ吐いた。
「……公爵夫妻をお待たせする訳にはいきませんね。ルシンダ、今度公爵家に訪ねに行きますね。それにまたお茶会にも招待しますから、ぜひ来てください。私たちはもう従兄妹同士になるんですから、気兼ねなく接してくださいね」
「そういえばそうですね。はい、よろしくお願いします」
「アーロン、従兄妹より兄妹のほうが近い関係なんだからな」
なぜか当然のことを主張し出すユージーンに、アーロンがくすりと笑う。
「ははっ、もちろん兄の役割はユージーン兄上にお任せしますよ。私は、ただの友人よりも近くて、婚姻が許される程度に遠い従兄妹の関係に満足してるんですから」
笑顔のアーロンとは対照的に、ユージーンはみるみる不機嫌になっていく。
「ルー、挨拶は済んだし、もう行こう」
「あっ……」
ユージーンにくるりと後ろを向かせられ、急いで馬車へと乗せられる。何とか身をひねってアーロンに頭を下げると、苦笑混じりに手を振ってくれた。
馬車の扉が閉じられ、ゆっくりと動き出す。
「もう、最後にちゃんと挨拶したかったのに、お兄ちゃ……」
「ルー!」
無理やり挨拶を終わらせた兄に抗議しようとしたルシンダに、ユージーンが勢いよく抱きつく。
「お、お兄ちゃん!?」
「ルーがこの世界でも僕の妹になってくれるなんて、こんなに幸せなことはないよ。今まで生きてきてよかった……」
「もう、大袈裟だよ。……でも、私もまたお兄ちゃんの妹になれて嬉しい」
今までは、二人きりのときや、事情を知るミアと三人のときにしか「お兄ちゃん」と呼ぶことはできなかった。
立場上、あまり親しくしすぎてもいけないと、他人行儀な態度を取らざるを得ないときもあった。
けれど、公爵家の養女になれば、そんな風に気を遣わなくて済むようになる。そのことが、とても嬉しい。
ルシンダも甘えるようにユージーンの肩に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめ返す。
そうやってしばらく抱き合った後、ルシンダが「そういえば」と切り出した。
「私はいつから正式に戸籍が移ることになるの? あと、伯爵夫妻が誘拐に手を貸したことで、伯爵家に何かお咎めはあるの? クリスお兄様は大丈夫なのかな……?」
今後のことについて、周りの大人たちが協議して決めたらしいが、ルシンダには詳しい話が聞かされていなかったため、今ひとつ状況が分かっていなかった。
クリスともあれから会うことができていなくて、様子が分からない。何か大変な目に遭っているのではないかと心配だった。
「ああ、ルーも気にしているだろうと思った。屋敷に着いたら説明しようと思っていたんだけど、今話してもいいか」
ユージーンがルシンダから体を離す。
「今回の件に関しては、色々と対応することがあってややこしいんだけど、一つずつ話していこう。まず、ルーの戸籍だけど、現在の養父母である伯爵夫妻に必要な書類を書いてもらっているところだから、あとは王家の許可が下りたらルーは正式に公爵家の一員となる。まあ、あと一週間といったところかな」
あと一週間で、伯爵令嬢から公爵令嬢に、「ルシンダ・ランカスター」ではなくて「ルシンダ・フィールズ」になる。
つまり、これからはクリスの妹ではなく、ユージーンの妹となるのだ。そう考えると、とても不思議な気分だった。
「それから、伯爵家のことだけど……伯爵夫妻は聖女を守るための条例に違反したこと、またそれがラス王国を裏切る行為でもあるとして、現伯爵は伯爵位から退いて領地に蟄居し、息子であるクリスが跡を継ぐことになった」
「えっ、クリスお兄様が伯爵に……?」
「ああ、まだ学生の身ではあるけど、非常に優秀だし、もう成人していることもあって、在学中に爵位を継承することになった。今月中に伯爵となるだろう」
「お兄様……」
在学中に伯爵になるだなんて大事だし、大変だろうけど、クリスならきっと上手くやれる。そんな確信があった。
(それに、罰として伯爵位を返上するとかじゃなくて本当によかった……)
最悪の場合の予想が外れて、ルシンダが安堵する。もしかすると、聖女である自分に配慮してくれたのかもしれない。
これが伯爵夫妻のせいでクリスが没落に巻き込まれるなどということになっていたら、許せないところだった。
クリスには、もう二度と夫妻に振り回されないでほしい。
「あとは、エリアス殿下とその侍従のことだけど……」
ユージーンの言葉に、ルシンダはハッとした。
そうだ、彼らも今回のことに関わりがあるのだった。
「侍従は、国外退去させられることになった。少なくとも今後十年はラス王国の地を踏むことは許されない」
「そうですか……」
「本来ならもっと重い罰が下されてもおかしくはなかった。貴族令嬢であり聖女でもあるルーを攫おうとしたのだから。でも、エリアス殿下が自分にも責任があると嘆願されてね、結果、この程度で済むことになった」
「エリアス殿下が……?」
あのとき、エリアスはサシャとの決別を決めたが、それでもまだ大切に思う気持ちは残っているのだろう。そう思うと、なぜだかほっとした。
「最後にエリアス殿下のことだけど、殿下はマレ王国には帰らず、ラス王国に残ることになった」
「えっ?」
意外な結末に、ルシンダは驚きの声を上げた。
てっきりエリアスはマレ王国に帰国することになるとばかり思っていた。
「今回の誘拐に、エリアス殿下は直接関わってはいなかったが、責任の一端は自分にあるとして、償いのためにラス王国に貢献したいと申し出られたんだ。マレ王国のほうも、どうやら今は後継者争いでゴタゴタしていて、エリアス殿下が帰国しないほうが都合がいいらしく、そのように決まった。滞在先は王宮になり、保護と監視のために王家の騎士が護衛につくが、今までどおり学園にも通える」
「そうだったんですか。……なんだか、エリアス殿下らしい決断ですね」
優しくて責任感の強い彼らしい。
罪滅ぼしのためとはいえ、ラス王国で暮らす中で、今度はエリアス自身の夢を見つけられたら。心の中でそう願った。
「さあ、ルーが聞きたいことはこれくらいだと思うけど、他にも何かあったかな?」
少しだけ重くなった空気を払拭するように、ユージーンが明るい声で尋ねる。
ルシンダはそんな兄を上目遣いで見つめると、おずおずと片手を上げて質問した。
「最後に一つだけ……。フィールズ公爵家の皆さんは、いきなり私が養女になることになって、戸惑ったりしてないでしょうか……?」
今までお茶会などで何度かお邪魔したときは仲良くしてもらえたけれど、それは「お客様」だったからで、「養女」となると話が違ってくるのではないかと、急に不安になってきたのだった。
だから恐る恐る尋ねてみたのだけれど、ユージーンは一瞬きょとんとした顔をした後、可笑そうに笑い出した。
「なんだ、そんなことを心配してたのか! 大丈夫だ、ルー。両親もジュリアンも、使用人たちでさえも、ルーが来ることを心から楽しみにしているよ。それに、誰もルーのことを”養女”だなんて思ってない。公爵家の本当の娘だと思ってる」
「ほ、本当ですか……?」
「本当だとも。うちは男兄弟だったからね。父も母も可愛い娘が出来るって浮かれ切って、ドレスやらアクセサリーやらのカタログを大量に手配したりして大騒ぎだったよ。屋敷に着いたら、みんなからあれこれ世話を焼かれるだろうから覚悟して」
「わ、分かりました!」
自分がそんなに歓迎してもらえるだなんて信じられない。
でも、ユージーンが嘘をつくはずもないから、きっと本当のことなんだろう。
ルシンダも大切な娘だと、初めて認めてもらえるかもしれない。そう思うと、心の中がむずむずしたり、そわそわしたりして落ち着かない。
胸に手を当てながら嬉しそうに頬を染めるルシンダを、ユージーンは優しい眼差しで見守るのだった。
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