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その背中を私は見つめることしかできなかった。
本当にこのままでいいの? 帰るのが歩くんのためなの?
「水沢さん、もうするべきことはわかってるんじゃない?」
振り向くと、リビングのドアの前に泉くんとみちよちゃんが立っていた。
泉くんが何を考えているのかはわからない。
だけど、言っている意味はわかってる……それでも拒絶されることは怖い。
「ましろさん、お母さんはお兄ちゃんをお姉ちゃんの生まれ変わりだと思い込んでるんです」
「生まれ変わりって……」
「流産してしまった私たちの姉です」
みちよちゃんが悲しげに目を伏せながら、小さな声で話を続けた。
「お母さんは次にお腹に宿ったお兄ちゃんが、偶然出産予定日が同じ時期だったことでまた自分の元に来てくれたんだって思い込んだんです。たとえ、性別が男の子だろうとこの子は歩美だって。きっと、そうしないとお母さんの心も壊れそうだったから……」
「それに香さんは、幼い頃から兄妹に虐められていたから男があまり好きじゃないんだ。唯一心を許せるのは旦那さんだけ。……だから、余計に娘だって思い込みたいんだよ」
子どものことが一番の原因だろうけど、香さんの心の奥底にも九條のしこりがあるそうだ。
だけど、歩くんに亡くなった子どものフリをさせているなんて……そんなの、いいはずがない。
本当にいつか歩くんが壊れてしまう。
「流産した時に、九條の人間に陰口を叩かれていたのも追い込まれた原因だと思うんだ。だから、香さんだけが悪いわけじゃない」
「だけど、お兄ちゃんだって何も悪くないの……」
「そうかな?」
泉くんが冷たい眼差しをみちよちゃんに向ける。
「嘘だと知っていて、それを肯定したのは君たち家族だろう。香さんのためだと嘘を吐いて、まるで真実のように振る舞って生きてきた。それは、間違いじゃないの?」
「けど……」
「最後まで貫き通せないのなら、こんな嘘を最初から肯定するべきじゃなかった。そんなもの、その場しのぎの残酷な優しさだ。時間が経てば経つほど、真実を受け入れることは難しくなるよ」
泉くんは落ち着いた口調で、けれど静かな怒りを含んでいるようだった。
みちよちゃんは怯えたように、俯き肩を震わせている。
「みちよ、いつまで歩の後ろで守ってもらう気なの」
「っ、わかってる」
「もう自分の足でしっかり立てるでしょう。兄だからって甘えて、家の問題を背負わせて歩は今まで誰にも頼ることができなかった」
泉くんは厳しいことを言っていても、決して的外れなことを言っているようには思えなかった。
「みちよだってもう歩に背負わせたくないんでしょ」
「……うん」
顔を上げたみちよちゃんは、潤んだ瞳の内側にとても強い意思を宿しているように思えた。
「で、水沢さんは何を躊躇しているの?」
「え!」
だって、追いかけても部屋から出てきてくれないかもしれない。
「自分が行くべきところが、どこかはわかってるんでしょう?」
そう。わかってる。
私はあの階段を上がって、歩くんの元に行きたい。
もう一度話をしたい。
「一歩が踏み出せないのなら」
私の背中が、トンッと押される。
足が一歩、二歩と前に進んだ。
「ほら、もう踏み出せた」
進んだからには、行くしかない。立ち止まらない。振り返らない。
「いってらっしゃい」
#ファンタジー
#ざまあ
設楽理沙
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