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昨日のあれは何だったのだろうか。
たしかにどこかのマンションにいたはずなのに、いつの間にかヘブンリーブリッジホテルに戻っていた。
しかも、レストランではなくとんでもない場所に――。
◇ ◇ ◇
「……え? 次は何だ?」
さっきまでどこかのマンションのリビングにいたはずなのに、ここは……トイレ?
俺の目の前には、大きな鏡と手洗い場が二つ。あきらかにホテルのトイレだと思われるラグジュアリーな空間だ。
ヘブンリーブリッジホテルのトイレか?ということは、戻ったのか。戻ったのならなぜレストランの中じゃないんだ……?
「キャッ……! あ、あなた何をしているの⁉」
「へ?」
突然トイレの個室から出てきた年配の女性が声をかけてきた。
「ここ女子トイレよ⁉ そこで何をしているの!」
「え? い、いや……」
女子トイレ⁉
そういえば、ここって個室しかないじゃないか……。
キョロキョロする俺は、不審者だと思われてもおかしくなかった。
まずい、どうしてこんなところに!
「ま、間違えて……? アハハハ……すみませ――」
「あなた、ひょっとして心は女性って人なのかしら」
「はい?」
「でもね、その身なりだと、やっぱり男性トイレに入らないと不審者だと思われてしまうわよ」
「はあ……」
「どうしても男子トイレに抵抗があるなら、一階にある多目的トイレを使いなさい」
「多目的……」
「悪いこと言わないわ、そうしなさい。あなた、若いけれどとても仕事のできそうな身なりをしているわ。こんなところで不審者扱いされて警察に捕まりでもしたら人生台無しよ? もったいないじゃない、ね?」
「……」
なんだかわからないが、盛大に勘違いされているようだ。
しかし今の俺には、ここで肯定も否定もできない。何か言えばこのおばさんの厚意を無駄にすることになるからだ。
手洗いをしながらも、お説教なのか親切心なのかわからない小言が続く。
「さ、私が外の様子を見てあげるから、行きましょう」
「は、はい……」
「――――今よ! 今度からは多目的トイレに行くのよ。気を付けてね」
「あ、ありがとうございます。……気をつけます」
おばさんは、『私は善い行いをした』と書かれたような顔をしながら去って行った。
まあ、たしかにおばさんのおかげで助かったのかもしれないが……そもそも俺はなんで女子トイレにいたんだ⁉
腕時計を見ると、おそらく俺の意識が飛んでから10分ほどが過ぎていた。
10分……。この10分の間に一体何が起こったんだ――。
◇ ◇ ◇
昨日のことは奇妙な出来事だったなぁ。思い返してみれば、あのおばさんが善い人じゃなかったら、本当に捕まっていたかもしれない。
あの後テーブルに戻ってみたら、食事をしていた相手は俺がトイレに行っていることを知っていた。
「あの、大丈夫でした?」
漏らさなかったか? 間に合ったか? といったニュアンスの聞かれ方をした。
一体俺はどれだけ焦ってトイレに立ったんだよ……。恥ずかしすぎるだろう!
しかしマジで記憶がない。
とりあえずあの人は綺麗な人だったけど、どうやらおいしい食事ができただけで満足してくれて、意外とあっさり解放された。
あれも問題だ。親父のやつ、今日会ったらとっちめてやる!
「……せさん? 森勢さん?」
「え……」
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……すみません。何か」
「お疲れですよね。まだ時差ボケが残っているのかしら?」
「いや……そんなことは」
「明日、金曜日なので森勢さんの歓迎会をしようかという話になってまして、課長が森勢さんの予定を確認してくれと……」
歓迎会? 課長が明日と決めたのなら、断れるわけないじゃないか。
「ありがとう。行かせてもらいます」
「良かった!」
課長に宴会の幹事を任せられたのだろうか。推定で入社2年目くらいの女性社員が胸をなで下ろしているようだった。
業務を円滑にするためには、飲み会もある程度仕方ない。社会人としてそれくらいの人づきあいは仕方ないと心得てはいる。
だがやっと日本に帰ってきたところだ。まだプライベートな時間が全く取れないでいた。できれば明日は一人で動きたかったのだが、仕方ないな……。
「あの……ロスでのお話、聞かせてくださいね」
「……」
女性が目をキラキラさせながら耳に髪をかける。
はぁ……歓迎会か。かなり面倒なことになりそうだ。
昨日に引き続き、明日も女にうんざりさせられそうで気が滅入る一方だった。