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「失礼します」
「おー! 鷹也、来たか。お帰り」
「……ただいま帰りました」
出社初日の正午。俺はフォースフォレストカンパニーの入っているビル、森勢商事ビルの最上階にいた。
森勢商事の代表取締役社長、つまり父親に会うためだ。
「林田くん、弁当用意して」
「かしこまりました」
「鷹也、弁当を頼んでおいた。昼時に外へ出たら何かと人の目につくだろう。ここの方が話しやすい」
確かに森勢商事の社長が息子とふらふら出歩いてランチの列に並んでいたら目立つだろう。俺もなるべく親父と注目を浴びるなんてことは避けたい。
「松花堂弁当を用意しております。お飲み物は……」
「冷たいお茶でお願いします」
「林田くん、私は熱いお茶にしてくれ」
「承知しました」
秘書の林田さんは五十代前半の男性で、もうかれこれ二十年は父に仕えている。
穏やかで気遣いのできる人で、学生時代は俺も気安く喋っていたが、今の俺は関連会社の平社員だ。低姿勢を崩すつもりはない。
お茶を置いた後は久しぶりの親子水入らずに気を利かせて、さっさと社長室を出て行ってしまった。
「それで、昨日はお持ち帰りしたのか?」
「ブッ……するか!」
開口一番、なんてことを言うんだ、この親父……。あやうく飲んでいたお茶をまき散らすところだった。あっぶない。
「どういうことだよ⁉ 『疲れているだろうから鷹也の泊まっているホテルで食事をしよう』って言ったよな? 正直こっちはすぐにでも休みたかったところを、せっかく父さんと母さんが来てくれるんだからとレストランへ行ったら、見合いだと⁉ 勘弁してくれよ!」
「いやぁー、お前も長い間不自由しただろうと思ってな。気を利かせたんだが……なんだ、気に入らなかったのか」
「気に入るわけないだろう!」
常軌を逸している。この親父、どうしたらいいんだ?
「綺麗な子だったのに」
「そういう問題じゃない!」
「まあそう言わずに。昼休みも限られているんだ。早く食べろよ」
「ハァ……」
この父親と話していると、宇宙人と話している気分になる。
「長岡のところは二人目が生まれたんだとよ」
「次は女だって? 順調で何よりだ」
「うちはまだ一人も生まれてないのに……」
「その目やめろ……」
くそ親父の上目遣いなんて見たくもないんだよ。
孫か……。
1歳年上の従兄、長岡光希(ながおこうき)には3歳になる息子とつい先日生まれたばかりの娘がいる。
長岡は母の実家で、光希は伯父、長岡光司(ながおかこうじ)の長男だ。
そして伯父は父の親友でもある。
父は親友の妹である母、長岡清香(ながおかきよか)と恋に落ちて結婚したのだ。
森勢商事という大企業の後継でありながら恋愛結婚をしている父に、見合いを勧められるのは納得がいかない。
「悪いけど俺、結婚相手は自分で決める。今後一切見合いをする気はないから」
「……あてはあるのか?」
「……」
「父さんだって、お前に相手がいるなら無理に見合いを勧めるつもりはない。でもお前が誰かと付き合っていたのって学生時代の話だろう? 社会人になってから一度も聞かないんだが」
「海外研修に行ってたんだから仕方ないだろう?」
「金髪美女でも良かったんだがなぁ……ハーフの子供って可愛いじゃないか」
「……勘弁してくれ。まだ29歳なんだ。光希の結婚が早かっただけで、男が29歳で遅いって言われるのものな……。それより千鶴(ちづる)の方が先なんじゃないの? あいつもう27歳だし」
矛先を妹の千鶴に向けてみる。
実際、千鶴の方が女なんだからそろそろ結婚の話が出てもおかしくない。
「千鶴は……やっと初期研修医が終わったところだ。そのうち話は進むだろうが、まずは専門医を取るのが先だと言ってな……」
「そのうち進むって……え? 相手いるの?」
「ああ、医局の同僚と付き合っているよ。何度か家に来たこともある。なかなかの好青年だ」
「……そうなんだ」
なんだ、千鶴、相手がいるのか。
4年離れていたんだもんな……。千鶴と最後にあったのは俺がロスに行って一年目の夏だった。
あの時はまだ学生だったよな。そう考えると、月日が経ったのを感じる。
「……初期研修が終わっているならいつ結婚してもおかしくない。どう考えても千鶴の方が俺より先だろうな。父さん、すぐに孫にも恵まれるよ」
「そりゃ千鶴の子はもちろん可愛いだろう。でも父さんは内孫も欲しいんだけどな。森勢の名を継いでくれる孫がな」
そうは言っても、簡単に結婚なんてできない。
少なくとも杏子の現在を確認するまで、俺は前に進めないのだから――。