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緩やかな坂を登ると右手対向車線側にコンビニエンスストア、左手にベージュ色の煉瓦貼りの”金沢中警察署”があった。真正面には鈍く光る金色の旭日章、赤色灯を回転させたパトカーが一旦停止し街へと繰り出している。
此処はほんの数日前に白いワンピースを着た朱音の腕を引き摺りながら西村が息も絶え絶えに走って逃げた場所だ。
その時は”器物損壊”で逮捕される等真っ平ごめんだと必死だったが、それが今ではどうだろう。”殺人事件”の重要参考人として任意であれ、事情聴取を受ける立場となっている。
来客用駐車場にリアウィンドに130とオレンジ色のシールを貼ったタクシーがバックで駐車した。ボディには北陸交通130とペイントされている。シートベルトを外して降りて来たのは西村だった。彼が運転していた106号車はこの建物のガレージの中で《《取り調べ中》》だ。その代わりに空いていた130号車が西村に充てがわれた。
タイル張りの階段を3段上る、それだけでもう足が怯んでいるのが分かる。顔は引き攣っていないだろうか、目は不自然に動いていないだろうか。
竹村警部と(13:00に署内受付)と口約束し、5分前に自動ドアが開いたが彼は既にそこで腕組みをして待っていた。
「あぁ、西村さん。来てくれましたか」
「は、はい」
「お仕事が忙しくて来られないかと心配していたんですよ」
竹村はそのまま自動ドアの向こうに姿を消し、踵を返すように戻って来た。
「今度は130号車ですか」
「は、はい」
「それでは行きますか、3階です」
「はい」
壁に嵌め込まれた分厚いガラス越しに午後の日差しが届いても良い頃なのに、西村の目にはすぐ前を歩く竹村の踵すら黒ずんで見えた。これから行く場所への恐怖が芽生え、今すぐこの階段を駆け降りてタクシーに乗り込み少しでも遠くに逃げ出したい衝動が湧き上がった。幾つの階段の踊り場を過ぎただろう、そのフロア、フロアの警察官が自分の後ろ姿を見ている様で気が気では無かった。
「さて、と」
そこには大きな会議室、”川北大橋タクシー強盗殺人事件合同捜査本部”との紙がべろりと貼られていた。それを西村が慄いた目で見上げていると竹村はすかさず口を開いた。
「あぁ、それね。ウチだけじゃなく小松警察署と大聖寺警察署も一緒に捜査に当たる事になったんですよ。《《加賀市》》が、ちょっと・・・ねぇ」
「え、はい?」
「加賀市、良く行かれるんですか?」
「は、はい」
「お宅の佐々木、佐々木次長?からお聞きしたんですけど、金沢市のタクシーは”小松大橋”よりあちらは《《営業しちゃいけない》》地区なんですってねぇ」
西村の顔色が変わるのを確認した竹村は促すように背中を叩いた。
「ま、立ち話もなんですからこちらへどうぞ」
ツルツルした灰色のビニールの廊下、両開きのドアには黒に白文字で捜査一課と表示されていた。
その向こうには西村を一斉に見る目、目、目、無造作に積み上げられた書類とファイル、いつから開かれていないだろう乱雑な机の上の書籍、カップラーメンの空き容器、机と机の間には今は使われていない扇風機が首を垂れていた。脇には黒くて大き目の携帯電話に太くて短いアンテナを付けた機械が幾つも充電器に差され、辺りにはパトカーや捜査車両が発信しているだろう無線が飛び交っている。
「あぁ、そんな硬くならないで。強面ですが皆、警察官ですから噛みつきはしませんよ」
「はぁ」
通されたのはその大部屋の片隅、こじんまりしたスペースにグレースチール製の机とパイプ椅子が2脚置かれただけ、ドラマで見る様な大袈裟なものでは無かった。
「さぁ、どうぞ」
案内されたのは奥の椅子だった。ギシっと音が鳴る、部屋の外の警察官たちが凝視している様な気がして思わず下を向く。
「あぁ、気になります?でもこれ、行儀の悪い聴き取りをしないように開けておかなきゃいけないんですよ、すんませんね」
「は・・・い」
竹村はバインダーに挟んだA4版の名簿の様な紙を取り出すとボールペンと共に西村の前に差し出した。
「お手数ですがお名前と住所、あと連絡のつく電話番号をご記入下さい」
「・・・・・はい」
西村の指先は小刻みに震え、片仮名が象形文字か何かの記号の様になり二重線を引いて書き直さなければならなかった。
「それでは単刀直入にお尋ねします」
「はい」
「西村さん、あんた何でS Dカード、抜いたんですか?」
「え?」
「特別に106号車、整備して差し上げたんですけど。故障していませんでした。さすが北陸交通さんだ、徹底していらっしゃる」
「あ」
「抜いたんですね?」
西村のこめかみがビクビクと動き、目が左右にギョロギョロと動く。答えるべきか、誤魔化すべきか、どうする?どうする?いつかはバレる。でも。
「抜きましたか?」
「は・・・・・い、抜きました」
「なぜ?」
「何となく」
「何となく?」
「わ、分かりません、何となく抜きました」
竹村は大きなため息を吐くと机の上に置いてあった緑色のA4版のクリアファイルを広げてS Dカードの記録情報を指差した。西村の目がその資料の上で固まった。
「106号車のここ2週間の運行状況ですが、あぁ、残念ながらその前の分のSDカードは情報が上書きされていて確認出来ませんでした」
「は、あ」
「西村さん。あんたしょっ中《《抜くんですね》》」
「・・・・」
「この時、何があるんです?」
「は、はい」
「これも何となくですか?」
「そ、そうです」
「2時間も?何となく?」
腕組みをして尋ねていた竹村の指が次のページをペラペラと捲る。そこには西村自身が記録した運行管理表のコピーが何日分もファイリングされていた。
「SDカードが抜かれる日は必ず”小松大橋”から金沢市までの営業がある様ですが、定期的に乗せている客、いるんですか?たまたまですか?」
「た、多分」
「西村さん、忘れている事がある様なら、この《《次》》まで思い出して下さい。」
「次も有るんですか?」
「ウチもあまりご迷惑をお掛けしたく無いんですが、ご協力お願い致します」
「は、はい」
「それではどうぞお帰り下さい」
竹村に誘導され階段を降りる西村の脚は此処から離れられる安堵と次の事情聴取への不安でふらついた。そして1階のフロアでもう1度、肩を叩かれた。
「思い出して下さいよ」
「はい」
「安全運転で、気を付けて下さいね。またご連絡します」