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もしも、時間が戻せるのなら、何処まで戻したらいいかな、と耀は思っていた。


「困ったことがあるのなら、手を貸そう」

と言いながら、和香の手を握ってしまったところまでか。


……いや、二、三秒前のできごとなのだが。


それか、

「なにかわけでもあるのか」

とうっかり訊いてしまったとこまでか。


いやいや、それとも、和香が最初に、ここへ泊まった日の呑み会の前までか。


あのとき、時也の誘いを断るべきだったのか。


それとも、部長の盃を断って、酔わないようにするべきだったのか――。


いや、そのどれも嫌だ、と耀は思う。


なんだかわからないことに巻き込まれつつあるとしても。

時を戻して、やり直せるとしても。


前のように、石崎と、ただ廊下ですれ違うだけの関係になるのは嫌だ、と耀は和香の手を握る手に力を込める。


こんなことするのは、俺らしくないと思いながら――。


そんな自分の手を見つめ、和香が言う。


「それにしても、こんなにペラペラ秘密を話してしまうなんて。

私、実は課長にメロメロなのでしょうかね?」


どきりとした。


息が止まった。


いや、そんな言葉では言い表せない、と思って返事をしないでいる間に、和香は勝手に自己完結してしまう。


「そんなことないか。

気のせいですかね?


まあ、私、今まで誰も好きになったことないですもんね」


そうあっさり、まとめられてしまった。




今度は専務と楽しく話してる!


翌朝、耀は専務と受付前で語らっている和香を見た。


専務はフレンドリーじゃないと言っていたのに!


もしや、俺に話した話は全部ウソ!?


俺にメロメロだと言ったことも!?


……ああ、いや、それは気のせいなんだったか。


実は、こいつの話はすべて、俺を遠ざけるための作り話で。


一家離散したというのもウソなのかもしれない、と疑う。


姉も蚊も実は実在していないとか?

石崎の心の中だけに住んでいるとかっ?


信じたものだけに見えるとかっ!?

あるいは、莫迦には見えない姉だとかっ!?


そこまで思い詰めたとき、

「課長」

とこちらに気づいた和香が専務に愛想よく頭を下げたあとでやってきた。


「石崎」

「はい」


「……もしや、お前のおねえさんは見える人にしか見えないとか?」


「なに言ってるんですか、課長。

大丈夫ですか? 課長」


……この俺が、変人だと思っている石崎に、大丈夫ですかと、頭の具合を心配されてしまうとは。


恋とは恐ろしいものだ、と自分で思ったあとで、おや? と気づく。


恋?

俺は、ほんとうに、こいつに恋をしているのか?


単に、一夜をともにして、責任をとらねばならない女だから、他の女とは違う心の場所にいるのだと思っていた。


だが、今はむしろ、二人の間に、なにもなくても、責任をとりたいと思っている。


恋なんて。

他人に心を奪われて。


行動のすべてをそいつに持っていかれるなんて、愚かなこと、俺には起こらないと思っていたのに。


石崎和香。

恐ろしい女だ。


可愛い顔して、元FBIとかいうことよりも。

専務と常務を失脚させたいとか、しれっと言うことよりも。


この男女の機微に疎い俺をあっさり恋に落としたことが一番怖いな。

そう耀は思っていた。



和香が行ってしまい、自分の部署に向かおうとしたとき、スマホが震え、母親からのメッセージが入ってきた。


『昨日の子、早く会わせてちょうだいね』

と何故か急かしてくる。


『できるだけ早く調整します』

とだけ返事をした。


そこで終わらせるつもりだったのに、ぺこり、とお辞儀をしているスタンプを送る前に、母からまた入ってきた。


『私に会わせるまで、あの子とは距離を置いて』


いや、何故なんですか。

もしや、母親しか知らないなにかがあって、俺も和香に復讐されるとかっ?


いや、特にそんなあてはないのだが、と思いながら、

『善処します』

という文字とともに、今度こそ、ぺこりとお辞儀をしているスタンプを送る。


あとは見ないフリをした。




「へえ、課長のお母様がそんなことを。

何故なんでしょうね」


母親の言動をいぶかしく思いながらも、それをネタに和香を誘えたので、まあ、ありがたかったかな、と耀は思っていた。


会社近くのガラス張りの洋食屋。

さあ、みんなに目撃してくれと言わんばかりの場所で、和香とふたり食事をしていたのだが。


残念ながら、誰も知り合いは通りかからず。

社内で和香とのことが噂になることもなさそうだった。


「よくわかりませんが。

だったら、善は急げですよ」


いや、善なのか?

と思っているうちに、和香が言う。


「課長のお母様に即会いに行きましょう。

課長と会えないのは困ります」


そう言われて、どきりとしたが。


「課長の家の本、まだ半分までしか読んでません」

と言われる。


……俺より、俺の本か、と思いながら、

「いや、今日は駄目だ」

と言うと、


「ああそうですよね。

こんな急に訪ねてこられても困りますよね」

と和香は言ったのだが。


本日、訪ねてはならない理由は違う。


「そうじゃないんだ。

母の許を訪れるのは、母の肌の調子が良い日でないと、まずい」


「何故ですか?」

「肌の調子が良いか悪いかで、あの人の機嫌はずいぶん違うんだ」


さっき別件で電話したが、駄目そうだった、と言って、

「電話越しに肌の調子がわかるんですか?」

と問われる。


「調子がいいと、声が弾んでいるのですぐわかる。

それにしても、母はどうも、お前のことを怪しんでいるようなんだが――」


息子に近づく女を警戒している、という以上のものを感じた、と言うと、和香が感心したように頷いて言う。


「女の勘は凄いといいますからね」


その言い方に、

……お前は女ではないのか、と思ってしまった。


「まあ、確かにあの人の勘は昔からすごい。


お前が専務や常務に復讐しようとしているとか。

FBIにいたことがあるとか。


謎の姉がいるとかも当てているかもしれない」

と言って、


「課長、そこまでわかったら、もはや超能力です」


そう和香に言われてしまった……。




結局、母の機嫌が良さそうな日曜日。

耀は和香を連れて、母の家を訪ねた。


和香が気の利いた流行りのお菓子を持ってきて、母としばし語らう。


日当たりの良いリビングルーム。

三階まで吹き抜けている高い天井からも眩しくない程度の日差しが降り注いでいる。


耀はお手伝いの美佐江さんの淹れてくれた紅茶を飲みながら、その血も凍るような光景を眺めていた。


和香は笑って話していて、母はなにも笑っていない。


「うちの祖母が天気予報を見ながら言ったんですよ。

『今、雨戸を持ってお出かけくださいってテレビで言ってた』って」


「それで?」


「どうも雨具だったらしいです」


無表情に母は頷く。


「そういえば、以前、姉が『素焼きのナッツ』って買ってきてくれたんですけど」


姉っ!


「『素焼きのナッツ』って、素焼きの壺でナッツを焼いたのかと思ってたって、姉に言ったら、

『……なんで、そっちを素焼きにした』って言われたんですが」


母はまた頷いたあとで、

「それから?」

と続きをうながす。


なにも笑っていないのに、何故続きを要求する。


そして、何故、相手が無反応なのに続きを話し続けるっ、石崎っ。


どっちも神経太すぎて怖い、と耀は思っていた。



話が一区切りついたところで、母は紅茶を一口優雅に飲み、

「面白いわね、和香さんのお話」

と言った。


……面白かったですか?


今日は肌の調子の良さそうな、その目元も口元も、ぴくりとも動きませんでしたけど。


というか、それ以外にも気になることが……と思いながら、耀は訊いてみる。


「何故、『和香さん』」


そこは、冷ややかに、石崎さん、とか呼びかけそうなものなのに。


というか、俺ですら、まだ名前で呼んでないのにっ、と思っていると、

「あら?

だって、この方、あなたのお嫁さんになるんでしょう?」

と母は言う。


「……そこはいいんですか?」


「いいけど。

いろいろ後ろ暗いことがあるのなら、早めに精算してちょうだい、和香さん」


そんな母の背後には緑に囲まれたアクアウォールがあって、家の中なのに、滝のように水が流れている。


密林の女王のような母親が和香に向かい、よく通る声で忠告する。


「あなたがもし、なにかを成し遂げたいのなら、結婚前にさっさとやっておしまいなさい。


その代わり、禍根は残さないで。

耀に降りかかるから。


もしも、あなたが誰かになにかをしようとしているのなら。

後腐れないよう、敵が二度と立ち上がれないくらい、完膚なきまでに叩きのめすのよ。


私からの話はそれだけ。

今から出かけるから、支度があるので、失礼するわ。


ゆっくりしていって。

耀、庭でも案内して差し上げなさい」

と言って、母は出て行ってしまった。





不埒な上司と一夜で恋は生まれません

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