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さらりとしたその長い黒髪をなびかせながら、彼女はわたしの目の前に現れた。
優しげな微笑みを浮かべたその顔は、わたしに負けず劣らず美人で可愛らしく、さすがのわたしも見惚れてしまうほどだった。
彼女は白いタンクトップにデニムのパンツを履いており、そのほっそりとした身体もまた均整がとれていて、まるで芸術品|(それは言い過ぎか)のようだった。
耳にかけた髪の合間からは星形のイヤリングが揺れ、ガラス戸から差し込む陽の光に照らされてキラキラと煌めいている。
おばあちゃん|(わたしのじゃない。彼氏のおばあちゃんだ)から聞かされていた通り、なんて綺麗な人なんだろう、というのがわたしの第一印象だった。
わたしはおばあちゃんから預かった惚れ薬のアンプル1ケース|(24本入)を軽く掲げながら、
「あの、神楽のおばあちゃんから、惚れ薬のアンプルを届けに来ました」
なんとなくドギマギしながら伝えると、彼女──わたしと同じ魔女である楸真帆さんは、
「あぁっ! じゃぁ、あなたが神楽のおばあちゃんの、新しいお弟子さんですね?」
と軽く両手を合わせながら、
「はじめまして。わたし、楸真帆っていいます。この魔法百貨堂の店主をやっています。よろしくお願いしますね」
「わ、わたしは那由多茜っていいます! こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
わたしは言って、深くお辞儀をする。
真帆さんは小さく頷くと、
「それにしても、本当に可愛らしいですね。神楽のおばあちゃんから聞いていた通りです」
言われてわたしも、素直に嬉しい。
「あ、ありがとうございます。えへへ……」
「夢矢くんとお付き合いしているんでしたっけ。夢矢くんはお元気ですか?」
──神楽夢矢くん。魔女である神楽のおばあちゃんのお孫さんで、わたしの彼氏。
実は何を隠そう、わたしは魔法使いである彼氏のおばあちゃんから魔法を習っている、駆け出しの魔女である。
今日はそのおばあちゃんからのお使いで、同業魔女の真帆さんのところまで、惚れ薬のアンプルを届けに来たというわけだ。
わたしはこくりと頷いて、
「はい。元気ですよ。本当は一緒に来たかったんですけど……」
「けど?」
可愛らしく小首を傾げる真帆さんに、わたしは、
「その……どうしても外せない用事があるから、来れないって」
嘘だった。本当は用事なんて何もなかった。にも関わらず、夢矢くんはこんな可愛い彼女との同行を拒絶したのだ。
その理由はと言えば。
「とか言って、私のことが苦手だから行きたくないって言い張ったんじゃないですか?」
バレバレだった。そりゃそうか。アハハ。
夢矢くんによれば、彼は幼い頃から真帆さんにからかわれ続けて、いつしか苦手意識を持つようになってしまったんだそうだ。詳しくは聞いていないけれど、夢矢くんをからかいたくなる気持ちならば、わたしにもよく解るから、何も言えない。
「だって夢矢くん、可愛いんですもん」
真帆さんは「ぷぷっ」と噴き出すように言ってから、
「あんなに反応の面白い子、そんなにいませんよ。茜ちゃんもそう思いませんか?」
思いませんか? と言われたって。
「思います思います!」
としか答えられなかった。
わたしも何度、夢矢くんをからかったことだろうか。
夢矢くんは一見落ち着いているようにみえてそんなことはなく、軽い冗談でもすぐに真に受けてしまう、実に素直な奴だった。
適当な嘘ですら信じ込み、あとで嘘だと言えば、しゅんとなって肩を落とす。
この間なんて――と話し始めると際限ないから、とりあえず詳細は省略っていうことで。
「それにしても、なかなか古いお店ですよね。古風というか何というか。とても魔法のお店っぽくないです。どちらかというと、何だか漢方薬とか売ってそう」
「まあ、似たようなものですよね。魔法のお薬を処方することもありますし。ほら、それ」
真帆さんはわたしの抱えるケースを指差して、
「惚れ薬だって、一応立派なお薬ですし」
「……まあ、そうか」
それからわたしはカウンターのうえにアンプルのケースを置いてから、改めて店内を見て回った。
店の片隅には大きなのっぽの古時計(きっと表の古本屋さんのお爺さんと同い年に違いない)、柱には何かを剥がしたような跡がちらほらあって、天井を見上げれば茶色い木目がただそれだけで店の歴史を感じさせた。
真帆さんの後ろに並ぶ棚には所狭しと怪しげな魔法道具が並べられているが、駆け出し魔女のわたしには、それらが何に使うアイテムなのか、まださっぱり解らなかった。
そもそも、古本屋の奥の扉を抜けなければ来られないようなこんなお店に、いったいどんなお客さんが来るというのだろうか。
表通りに看板が立っているわけでなし、あの薔薇の咲き乱れる中庭を進んで、ようやく見えてくるような隠れたお店だ。
「……この店、儲かってるの?」
思わず正直に、そう口にしていた。
わたしははっとなって真帆さんに顔を向けて、
「あ、ごめんなさい! ついつい思ったことが口に……」
慌てて謝ったけれど、真帆さんは悲しげな表情で下を向きながら、
「そうなんですよね…… お客さん、全然来てくれないんです…… このお店も、私の代でおしまいですね…… わたしがあまりに頼りない魔女なばっかりに……」
目に涙を浮かべてしくしく言い出す真帆さんに、わたしは胸を締め付けられる。
ああ、わたしはなんて失言を……!
「ご、ごめんなさい、ホントに! わたし、思ったことがついつい口に出ちゃう性格で、悪気があったわけじゃなくて、本気じゃなかったんです! 味のある良いお店じゃないですか! 大正? 昭和? を感じさせるこの雰囲気がたまらないなぁ! 好きな人は絶対好きですし、わたしもこの雰囲気は大好きですからホント、許して!」
真帆さんの腕に縋りながら謝ったところで、
「ぷぷっ! あっははは!」
と、突然真帆さんは大きく噴き出し笑って、
「嘘ですよ! 大丈夫です、それなりにお客さんは来てますから! それに、全魔協からのお仕事依頼もありますから、それなりに忙しいんです、実は」
こ、この女! 初対面のわたしをからかいやがったな!
「ひ、ひどい! 本当に悪いこと言ったと思って謝ったのに! 謝罪泥棒! わたしの誠意ある謝罪を返して!」
「イヤですよ〜、茜ちゃんの謝罪、確かに受けとりました!」
「チクショー!」
あまりの腹立たしさに地団駄を踏んでやる。
だけど、なんだろう、このノリ。わたしは全然、嫌いじゃないかも?
「良いですね、茜ちゃん。わたし、気に入りました! これからも仲良くしてくださいね!」
その言葉に、わたしはぷくっと頬を膨らませながら、
「良いですけど、これからはあんまりからかわないでくださいよ、わたしのこと! 次は本気で怒りますからね!」
はいはい、といって真帆さんは笑いながらカウンターに置いたアンプルを手に取り、腰を屈めてカウンターの下へと収めていく。
それを見ながら、わたしは尋ねた。
「でも、ホントにどんなお客さんがここへ来るんですか? ちょっと気になるんだけど」
「……そうですねぇ」
とアンプルを収め終えた真帆さんはゆっくりと腰を上げ、
「それじゃぁ、一度見学して見ますか? わたしのお仕事」
「お、良いんですか? じゃあ、後学のために、是非お願いします!」
言って、頭を下げた時だった。
「……ごめんくださ〜い」
がらりとお店の戸が開いて、ひとりの女性がやってきた。
真帆さんはわたしに小さく、
「良いタイミングでお客さんが来ましたね」
と呟いてから、満面の笑みをその女性に向けて、
「いらっしゃいませ。どのような魔法をお探しですか?」
言って、真帆さんはにっこりとほほ笑んだ。
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