「新しいマンションでは飼えないからねぇ……」
声が聴こえてくる。なんだろう?
「障害もあって可哀想だけど……」
ただひとつだけ理解出来たのは、ボクはひとりぼっちになるという事。
目は開かなくて。
真っ暗で。
ボクは生まれつき、目が見えなかった。ボクが分かるのは音と匂いだけ。
段々と足跡が遠ざかっていく。
ただ心細くて……。
ただ寒くて……。
泣く事しか出来なかった。
ーーあれから、どのくらい経ったのかな?
お腹が空いて。
寒くて。
鳴く事にも疲れちゃって。
きっとこのまま、この世界ともお別れになるみたい。
ボクは今まで生きていたのかな?
色の無い世界。
生まれてから三ヶ月。
他のみんなは貰われていったけど……。目の見えないボクだけは、貰ってくれる人はいなかった。
「ーーもう大丈夫だからね」
もう諦めていた時、何処からか声が聴こえてきたんだ。とても優しそうで、心地好い声。
不意にボクは持ち上げられた。
ただ、その手がとても暖かくて。
「ウチの子になる?」
その一言が……ただ嬉しかった。
“はじめましてキミ”
「アナタの名前は、ほし……ってどうかな?」
キミはボクをそう呼んでくれた。
ほし……かぁ。とても良い名前だね。
ボクの初めての名前。
とても嬉しかったよ。
「私は綾子というの。よろしくね、ほし」
リョウコ?
それがキミの名前なんだね。
うん、よろしくね。
ーーかけがえのない日々だったよ。
いっぱい遊んだね。目の見えないボクの側に、キミはいつもいてくれた。
だから全然怖くなかったし、寂しくなかったよ。
キミとボク、お互い言葉を交わす事は出来ないけど……。
でもね、分かるんだ。
感じる事が出来るんだ。
「ほし~ご飯だよ~」
は~い。
「美味しい?」
うん。
「良かった」
キミにはボクの気持ちが分かるんだね。
ボクも分かるよ。
☆ ☆ ☆
「おやすみ、ほしーー」
寝る時もいつも一緒だったね。
キミが暖かったから、寒い時も全然寒くなかったよ。
実はこの時が、ボクの一番の幸せなんだ。
目が見えない事も。
捨てられた事も。
ボクは全然恨んでないよ。
だってこんなに幸せなんだもん。
だから思うよ。
“生まれてきて良かった”……って。
「ーー行ってきます」
キミは朝お出かけして、日が暮れた頃にまた戻ってくる。
その間、ボクは一人でお留守番。
ちょっと寂しいけど……。でも不安になった事は無かったよ。
キミの足音が聴こえてくるのが、いつも待ち遠しい。
「ほし~ただいまぁ」
そう言って、すぐにボクを抱きしめてくれた。
だからお留守番も寂しくないよ。
“おかえり”
☆ ☆ ☆
ーー今日はキミとお出かけ。
いつも家ばかりだからと。
ボクはキミの膝の上で、ゆらゆらと揺られている。
ちょっと気持ち悪いかな?
でも我慢我慢。
何処に行くのか楽しみだなぁ。
「ーー着いたよ、ほし」
ボクはキミに抱えられて外に出る。
風が気持ちいいなぁ。
「ここは海っていうの。ほしに見せたかったなぁ……。ごめんね」
あやまらないで。
ザーザーとした音とか、風に乗ってくる潮の匂いで、なんとなく分かるから。
海って、きっと素晴らしいんだろうって。
連れて来てくれて“ありがとう”
ーー帰りはキミの膝の上でおやすみ。
この揺れが最初はちょっと気持ち悪かったけど。揺りかごみたいで心地好いかも?
だってキミが側にいるから。
ボクはどこにだって行ける。
「ーー今日は疲れたね、ほし」
うん、ちょっと眠いかも?
このまま寝てもいいかな?
でも楽しかったよ。
ボクは今日という日を忘れない……。
あぁ……もう駄目ーー
“おやすみ”
なんかね……キミといると懐かしいんだ。
なんだろう?
う~ん……
、、、、、
そうだ! キミはお母さんの感じに似ているんだ。
だから安心するんだね。
いつまでも側にいてね。
ボクの……もう一人のお母さん。
“ボクもキミの側にずっといるから”
☆ ☆ ☆
「あの人、ホント小言ばっかり!」
キミはたまに愚痴をこぼしてたね。
ボクがお留守してる間、キミに何かあったのか位は分かるよ。
「あぁ、もう仕事辞めたいよほし……」
ボクには仕事の事とかよく分からないけど……。でも、この生活の為に必要な事は分かる。
ボクもちょっとは大人になったのかな?
「あっ……」
ボクとキミは言葉を交わせない。
だけどボクはずっとキミの側にいるから。
「慰めてくれるの? ありがとう、ほし」
キミの悩みも、辛い時もボクは側にいて聞く事は出来るから。
「よし! ほしの為にも頑張ろう!」
でもキミはキミの幸せを追い求めて欲しい。
キミの幸せはボクの幸せでもあるから。
“無理はしないでね”
☆ ☆ ☆
キミはいつでもボクの側にいてくれた。
キミはいつでもボクを抱きしめてくれた。
こんな幸せな日々がずっと続くと、そう思っていたーー
キミと初めて出逢った日。
キミが初めてボクのお母さんになった日。
あれから何年も一緒に年を重ねて。
その全てがボクにとって、かけがえない時間だった。
でもね……キミとボクとじゃ、流れている時間が違うんだ。
永遠に続くものなんて無いと。
きっと本能かな?
なんとなく分かっていた。
☆ ☆ ☆
ボクは病気になった。もう助からないって、自分でも分かる。
キミがなんとかしようとしてたの……痛い程よく分かるよ。
でも……
でもね……
これは避けられない道だから。
お医者さんは『安楽死させますか?』って。
でもボクはキミの側で最期を眠りたい……。
キミは……「連れて帰ります」って。そう言ってくれたね。
ボクは嬉しかった。
ーーボクはキミに抱かれて家に帰る。
帰り道、キミの手は震えていたね……。
「ごめんね、ほし……」
謝らないで欲しいな。
だって最期までキミが側にいてくれる。
それだけでボクは、きっと世界一幸せなんだろうって……そう思っているから。
「ただいま……」
キミと過ごす最後の時間。
キミはボクを抱きしめて、ずっと添い寝してくれたね。
“暖かいよ”
楽しかったなぁ……キミと出逢えて。
いっぱい……いっぱいの思い出と、いっぱいの幸せを貰ったよ。
ボクは悔い無く生きられただろうか?
ボクは……幸せだ。
だからだ。
悔い無く生きて来たと、心から思えるからボクは……
死ぬ事が怖くないんだ。
でもそろそろ……眠くなってきちゃった……。
きっと、もう目を覚ます事は無い。
もう……眠ってもいいかな?
…
ーーそういえば……キミはボクの名前の由来を話した事があったね。
☆ ☆ ☆
『今日は星がとても綺麗だよ』
星?
キミの話しでは、夜空にはいっぱいの星が輝いているんだって。
『一つ一つが宝石の様に輝いて……』
キミがそう言うんだから、きっと星とは凄く綺麗なんだろうね。
『ほしはそんな綺麗な星みたいに、この世で最も綺麗な存在なのよ』
ボクが……この世で最も綺麗な存在?
『ほしは私のかけがえのない……』
“宝石の様な宝物”
そう言ってボクを撫でるキミ。
夜風の寒さよりも暖かいキミの手のひら。
ボクはキミに大事にされてるんだって。
少しこそばゆかったけど……でも嬉しかったよ。
ボクを大事にしてくれたキミ。
ボクを優しくしてくれたキミ。
ボクを愛してくれたキミ。
その全てがボクにとって、かけがえのない宝物だ。
だからボクがいなくなった後、どうか悲しまないで。
キミと過ごした日々と思い出は……決して消える事は無いから。
ボクは星になってキミを見守り続けるよ。
キミをいつでも照らせる様に。
キミが自分の幸せを歩める様に。
ボクを幸せにしてくれたキミ。
だから今度はボクが、キミを幸せにする番だ。
これはさよならじゃ無い。キミが幸せになる為の門出。
だから、さよならは言わないよ。
キミと初めて出会ってから5年と9ヶ月。
今までありがとう。そしてーー
“おやすみ”
…
ーーねえ……神様。
最期に一つだけ、我儘言っていいかな?
一度でいいから……この素晴らしい世界とーー
“キミを見てみたかった”
ううん……それは贅沢だよね?
だって、こんなにも幸せだったんだもん……。
ーーキミの温もりの中……
ボクは目覚める事の無い……
最期の眠りに落ちていたーー
…
ーーあれから、どの位経ったのだろう。
ボクはずっと暗闇の中にいた。
ボクは……星になったのかな?
そうは思えない……。
ボクはただ……暗闇の中を漂っているみたい。
だけど何でだろう?
ずっと暗闇なのに……どうしてこんなにも安心するんだろう?
まるでキミがずっと側にいる様な……。
ボクは星になったはずなのに……。
キミを近くに感じるのは何故だろう?
ただ暗闇の中、ゆらゆらと揺られて……。
でも、とても心地良くて……暖かいよ。
ボクは暗闇から抜け出して、その時うっすらと声が聴こえてきたんだ。
「元気な男の子ですよ」
ボクを抱き上げる……懐かしい掌とその温もりを。
「生まれてきてくれてーー」
“ありがとう”
ーーて、ああ!?
この声は!!
少しだけど目が見える!
本当に少しだけど……でも分かる!
明るい世界……そして、ボクの目の前で優しく微笑む人を。
ああ……神様はボクの願いを叶えてくれた!
ずっと見たかった、この世界とキミーー
“また会えたね”
暗闇の中、ずっとキミを感じてたのは……キミのお腹の中にいたからなんだね。
またキミと一緒に居る事が出来るなんてーー
ボクのもう一人のお母さんだったキミ。
でも今度は……本当のお母さんとして。
“ボクを産んでくれて、ありがとう”
ボクを包み込む、その温もりが心地良い。
まだ夢を見ているみたい。
神様が叶えてくれた……夢。
「この世界へようこそ」
ずっとボクに話し掛けてくれた声。
ううん、夢じゃない。
本当に素晴らしい世界を。
これはきっと、神様が叶えてくれた……願いーー
キミには幸せを。
そしてボクには始まりを。
また、よろしくね。
そしてーー
“初めまして、お母さん”
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