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国王陛下のお誕生日を祝う夜会は、半月後。
孤児院育ちのノアとてそれは知っている。だが、自分が参加する夜会と国王陛下の生誕祭が上手く繋がっていなかった。とても残念な思考である。
しかしどれだけ教え子が残念であっても、グレイアスはとても優秀で、スパルタで、完璧主義で、効率重視で物事を進める御仁だった。
当初は、5日でマナー講習などの座学を終え、残りはダンスの授業に充てる予定だった。そんなカリキュラムを考えるなんて、はなから無理がある。
案の定、初日から授業は大幅に遅れ、現在、カリキュラムは大渋滞を起こしている。誰が悪いというわけではないと言いたいところだが、そんな予定を組んだ方も悪いし、授業に付いていけない方も悪い。
別のプランを練るべきだが、グレイアス先生は諦めることを知らず、とうとうこんな手段に出た。
「──……ノア様、会場の中央階段を降りるときは、殿下とあなた、どちらが先に歩きますか?」
「ええっと……わ、私です!」
「はい、不正解です。では階段を上るときは?」
「殿下です!」
「はい、不正解です。……って、前の問題の答えを教えているんですから、ちょっと考えればわかるでしょうに。あなた舐めてますか?」
「舐めてなんかいないですよ!だって階段を上る時は私が下にいないと、殿下が躓いたとき支えてあげれないじゃないですかっ。逆もしかりです!」
「なるほど。その発想は正解ですが、夜会中は殿下がエスコート役なんですからその考えは捨ててください。あ……あと、この会話だけで12回私の足を踏みましたよ。ちゃんと音楽を聞いて、ステップを踏んでください。私の足はノア様が思っているほど丈夫じゃないんですよ」
「……ぜ、善処します!」
この会話の通り、ノアは現在ダンスのレッスンを受けつつ、夜会のマナー講習を受けている。
ちなみにダンスレッスンはグレイアス先生の私室ではなく、離宮からほど近い城内の小さなホールで行なわれている。
王族の子供がダンスレッスンをするために造られたであろうここは、大きな窓が幾つもあって、とても開放的な場所だった。
しかしこの状況は開放的とは真逆の位置にあり、一言で表すと地獄である。
魔法の蓄音機から奏でられている軽快なダンス曲は、レクイエムにしか聞こえない。
(……こんなんじゃ、ダンスもマナーも身につかない!!)
そんなことを心の中で叫びながら、ノアは曲が終わるのを必死に待つ。涙目で踊る姿は、優美さとは遠く離れている。
それがまたグレイアスを苛立たせるようで、絶えず不機嫌な視線を向けてくる。至近距離のそれは、半端なく心をえぐる。
そして容赦無いプレッシャーのせいで、またノアはグレイアス先生の足を踏んづけてしまった。誓って悪気は無い。
「……ノア様、次に私の足を踏んだら、あと5曲追加します」
「そんな殺生な!?」
ノアは、朝からもうかれこれ18曲続けて踊っている。
体力も気力も限界だ。きっとグレイアスの足も限界だろう。
それなのに、人の心皆無の発言をする彼は、もしかして究極のドМなのかもしれない。
……なぁーんていうくだらないことを考えてしまったせいで、ノアは豪快にグレイアスの足を踏んでしまった。しつこいが、悪気はなかった。
「言ったそばから、やってくれましたね」
「……ご、ごめんなさい」
とうとうステップを止めて、憤怒の表情を浮かべたグレイアスに、ノアはそっと目を逸らす。
多分、今、目を合わせたら石化するという恐怖が全身を駆け巡った瞬間、突然ホールの扉が開いた。
「調子はどうだい? 頑張ってるノアの為に、美味しいお菓子を持ってきたよ。良かったら休憩しないか?」
絶妙なタイミングで入室したアシェルに、ノアは食い気味に「是非とも!」と返事をした。
アシェルはこの国の第二王子であり、ノアの雇用主であり、グレイアスにとって忠誠を誓った主である。とどのつまり彼の命令は絶対である。
だからダンスのスパルタレッスン中であっても、講師がブチ切れていようとも、盲目王子が休憩をしようと言ったら、しなくてはいけない。
そんなわけで、現在ノアとアシェルとグレイアスは、即席で用意したテーブルセットに着席してお茶を飲んでいる。
「うん、そっか。ダンスのレッスンと宮廷マナーの講義を同時にしてたんだ。グレイアスの発想は斬新だね」
「恐れ入ります」
「でも、ノアに宮廷マナーは必要ないよ。これからはダンスレッスンだけにしてあげて」
「……しかし」
「私はノアと一緒に夜会に参加できるだけで嬉しいんだ。それにノアとの約束では、夜会参加は含まれてしないし。あんまり無理強いさせるのは、私の本意とするところじゃないんだ。わかってくれるよね?……ね??」
アシェル殿下の最後の「ね??」には、有無を言わせない何かがあった。
フレシアお手製のキノコ型のクッキーを頬張っているノアとて感じることができるのだから、偉大なる宮廷魔術師様ならそれはもう痛いほどご理解できたようで、ぐぬぬっと呻きながらも「御意に」と返事をする。
そうすればアシェルは、ふわわと笑ってグレイアスの頭をポンポンと叩く。
まるで聞き分けの良い弟を褒めるようなその仕草に、ノアはほんのりと胸が温かくなる。アシェルとグレイアスの身長差も、これまたイイ感じに兄弟感を演出している。
(なんかいいなー。あー孤児院の皆、元気かなぁ。干したキノコちゃんと食材に使ってくれてるかなぁー。手作りのキノコ茶もちゃんと飲んでくれているかなぁー)
孤児院では最年長であり、もともと面倒見が良かったノアは、子供たちにとても懐かれていた。
ただ毒キノコを食してのたうち回るノアを何度も見てしまっているので、孤児院の子供たちのキノコ嫌い率は高かった。
院長ロキがキノコは栄養価もあり、市場で購入しているものは無害だとどれだけ説明をしても、食卓にキノコが出るたびに子供たちは全員顔を引きつらせていた。
そんなことまで思い出し、ノアは心の中で孤児院の子供たちに「ごめん」と呟く。ただキノコ型のクッキーをサクサク食しながらだから説得力は皆無だけれど。
───と、のんびりノアが呑気にお茶を楽しめたのはここまでだった。
「じゃあ、ノア。始めよっか」
言外にアシェルから休憩は終わりと告げられがっかりするが、根が真面目なノアはすぐに気持ちを切り替える。
「はい、頑張ります。ではアシェル殿下、お忙しいところ差し入れありがとうございました。午後も政務頑張ってください」
ぺこっと頭を下げて、ノアはアシェルを扉まで引っ張って行こうと手を差し伸べる。
しかしアシェルは、ノアの手に己の手を置いたけれど、首を横に振った。
「ん?私は、政務に戻らないよ。だって、今からノアのダンスレッスンの先生になるんだからね」
穏やかな口調でそう告げられた言葉がイマイチ理解できなくて、ノアはきょとんとしたまま、アシェルとグレイアスを交互に見た。