「お疲れ様でした。サファイアのお役に立ててなによりです」
『あのさぁ…光貴に相談があるんやけど、今いいかな?』
昨日は途中退席したから、サファイアのライブの様子をどうだったか聞こうと思っていた。こういう電話があるってことは十中八九ライブは大成功で、もう一回ヘルプの依頼か、もしくはメンバー加入の打診か、そういう類の相談だろう。どちらにしても旦那にとっていい話であることは間違いない。
ただ、彼がメンバーになる気があるのであれば、の話やけど。
バンドは大変やからな。経験者だからわかる。きちんと自分の音がビジネスになることを理解しなままメジャーに行くと、ほとんどが事務所とぶつかって潰れる。自分のやりたい曲=売れる曲という方程式を描けているならともかく、ふつうはそうじゃない。趣味で奏でる音に大金払ってライブへ来たり、音源を買ったりするのはよほどの物好き以外いない。
ただ、そういう概念を取り払うほどのパワー・技量・キャラがあれば、彼らそのものに惹かれ、活躍できる。そんなバンドはメジャーで第一線で活躍するほんの一部の砂金粒よりも小さなものだと思う。
メタルというジャンル・曲……日本で売るのは難しいだろう。
俺は傍にある不要な書類を取り出して、彼にメッセージを書いた。
――私のことは気にせず、電話を続けてください
旦那は俺に手刀を切って寝室の隣へと移動した。あの部屋は旦那が大事にしているギターがいっぱいあると教えてくれた部屋だ。わざわざ部屋を移動するってことは、込み入った話をするのだろう。五分は戻らないとみた。
チャンスやと思い迷わず寝室に向かった。旦那に内緒で昨日借りた鍵を空色に返すためだ。
内ポケットに忍ばせたプレゼント二つを確認して、潰してしまったサルのストラップを取り外したカギを持って寝室を小さくノックした。
もし眠っていたら、白斗のフォトスタンドの後ろにでも置いておこうと思った。
返事を待たずに寝室に入ると、空色が身体を起こして驚いた表情を見せた。「新藤さん……ですか?」
「光貴さんは今、別の部屋で電話をなさっています。サファイアのやまねんさんから、込み入ったお電話がかかってきたので長くなりそうです。一人になりましたので、律さんの様子を伺いに参りました。申し訳ありません、起こしてしまいましたでしょうか?」
急に寝室に入った経緯を説明した。
「あ、いいえ。起きてました。すみません。折角打ち合わせの時間を作って頂いたのに」
「律さんの体調が優先です。それより、昨日お預かりしたご自宅の鍵をお返しさせていただきたくて。皆さんの前でお返しするのは良くないと思いましたので、タイミングを伺っておりました。今、お返ししても?」
「はい」
手を伸ばしてくれた空色に鍵を手渡した。そっと彼女の美しい指に触れるだけで胸が高鳴る。俺はなにをどう抗っても空色に惹かれてしまうらしい。手が触れるだけでこの有様だ。
彼女の視線が鍵先に集中している。さあ、謝罪しよう。
「申し訳ございません。かわいいおサルのストラップですが、何処かへ引っ掻けてしまったようで、紛失してしまいました。お預かりしたものなのに、本当に申し訳ございません。その代わり、別のものを用意させていただきました」
「そんな、気にしないでください。もう古くなっていましたから」
「失くしておいてそういうわけにはいきません」
スーツの内ポケットをまさぐり、包み紙を取り出して渡した。「律さんなら、きっと気に入って下さると思います。開けてみて下さい」
気に入ってくれるかな。きっと驚くだろうな。どんな反応をするのかな――今渡したのは、家にあったRBの非番品グッズ。絶対喜んでくれると思うけれど、反応を見るまで胸が高鳴る。
「これって……もしかしてRBのグッズですか?」
早速包みを開けた空色は中身を見て美しい切れ長の瞳を見開き、感激に震えているように見えた。
「はい。RBのストラップキーホルダーです。スタッフ専用に作られた非売品です」
なぜ俺がスタッフという立ち位置になってんのか謎やけれど、撤回できないから仕方ない。
でも、時々思う。
本当は俺が白斗だと打ち明けたらどうなるのか。
彼女が手に入るのか、と。
十六年も前から好きで俺のことを追いかけてきたくれたのに。その男が目の前にいるというのに、未だに気づくそぶりもないい。腹立つから、今、暴露してやろうかな。
言ったら空色は困るのか喜ぶのか、知ってみたい。
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