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ある民俗学者の公表されなかった手記
この村に伝わる人柱伝説、廃れた神社の由来譚にもなっている。その話の中に、「人柱を建てることで川の氾濫がおさまった」というエピソードがある。
当然、人柱を建てることと川の氾濫に、科学的な因果関係はない。荒唐無稽な話だ。伝説にはこうした話は多い。
ただ、もしかしたらこの村の伝説は、真実を歪んだ形で伝えているのかもしれない。人柱を建てたから川の氾濫がおさまった、のではなく、人柱のおかげで川の氾濫をしのげた、のではないだろうか。
もう少し説明すると、川の氾濫で困ることは何だろうか、ということがポイントになってくる。急な川の氾濫なら、人が流される、などの直接的な被害があるだろう。だが、この村は何度も水害に悩まされてきた。それはある程度水害に慣れている、ということでもある。
危険な前兆があれば、安全な場所に避難するなどの対策は立ててきただろう。そうやって人間は逃げれば済む。
しかし、田畑はどうだろう? 逃げるわけにはいかない。さらに、川が荒れ狂うと、漁もできないだろう。
つまり、水害で一番恐ろしいのは、食料の危機だったのではないだろうか。現代ならなんとかなるだろうが、当時は自給自足の生活だ。その村の中で食料を調達しなければならない。
人柱の本当の意味とは、もしかしたらこうした食糧難を乗り切るためのものだったのかもしれない。つまり、この村の人々は、人柱となった人を……。
そういえば、川の近くには神社とは別に、地蔵菩薩がまつられていた。日本では、お地蔵さまは「子どもの守り神」、賽の河原で苦しむ子どもを導く存在、という側面がある。もしかしたら、「人柱」の中にはこどももいたのかもしれない。貧しい地域では、全ての子どもを育てることができないため子減らし(子殺し)ということが行われてきた。「人柱」にはそういう側面もあったのだろう。
いずれにせよ、せっかく現地の村にまで調査にきてたどり着いた結論だが、これは公表出来なさそうだ。私の胸の中にしまっておくことにしよう。