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(な、んでっ。こんなことになってしまってるの!?)
結局あの後、尽と直樹、二人の美丈夫に支えらえるようにして会社を後にしたのだけれど――。
「天莉は俺の車な?」
てっきり直樹の車へ乗せてもらえるんだとばかり思っていた天莉は、尽の車の助手席に乗せられてしまったことに『あれ? 何で?』と違和感を覚えた。
でも、天莉は常務室で、尽が自分も直樹の家に行くとごねていたのを知っていたし、二人のやり取りから直樹が尽に言い負かされてしまった気配も感じていたから。
何だかんだで尽も直樹の家へ泊まることになったのかな?と思ったのだ。
直樹から、こちらを向かないまま背中越しに謝罪されたのは、尽も伊藤家へ招待することになってしまったことを謝られたんだろう。
そう思っていたのだけれど……どうやら違ったらしい。
気が付けば後ろを走っていたはずの直樹の車がいなくなっていて、尽と二人きり。
滑り込むようにマンションらしき建物の地下駐車場に車が入って、車内が何となく薄暗くなったことに戸惑いを覚えた天莉だ。
「あ、あのっ」
着いた先はそれほど高くない五階建てのマンション。
思わず尽に呼び掛けたけれど、車を駐車している真っ最中だったからだろうか。
眼鏡越しにちらりと視線を向けられただけで、何も応えてはもらえなかった。
(あ。でもっ)
尽のような人種は、タワーマンションの最上階に住んでいるに違いないと勝手に思い込んでいた天莉は、地下へ入る前に見えた建物が思いのほか低層だったことをふと思い出して。
(きっとここは高嶺常務のお宅ではないはずよ)
と大した根拠もなく淡い期待を抱いていた。
今から自分がどこへ連れて行かれるのか不安が拭えないまま。
太ももに乗せた手をギュッと握っていたら、いつの間にか運転席側から外を回ってきた尽にドアを開けられて、上へ覆い被さるようにされてシートベルトを外されていた。
「自分で降りられるか?」
聞かれて、座ったままで居たらまた身体に触れられかねないと思った天莉は、何も分からないままにヨロヨロと車外へ出たのだけれど。
それと同時――。
あっという間に尽の腕の中へ引き寄せられて。
天莉は抗議する間もなく横抱きに抱え上げられてしまっていた。
ふわりと自分を包み込んだ石鹸のようなシトラス系の香りに、にわかに熱が上がる。
「あ、あのっ、高嶺常務っ、私……」
確かにまだ足元が覚束ないから。
支えは必要かもしれないけれど、抱っこされなくても自分で歩けます、とオロオロ尽を見上げたら「遠慮するな」と、眼鏡越しにやんわり微笑まれた。
その笑顔の余りのパンチ力にドキッとしたせいだろうか。
(わ、私……。さっき彼と……)
思い出さなくてもいいのに、尽に口付けられたことを思い出してしまった天莉は、慌てて尽から視線を逸らさずにはいられない。
「急にうつむいてどうした天莉。一体何を思い出したのかね?」
天莉を抱き上げていることなんて微塵も感じさせないしっかりとした足取りで大股に歩いて行きながら、尽が意地悪くククッと喉を鳴らして笑う。
「な、何も思い出してなんかっ」
それが何だか悔しくて、天莉はうつむいたまま無意識。ぷぅっと頬を膨らませた。
***
尽が、顔を伏せてむくれた天莉を抱いたまま、駐車場から繋がったエントランスをくぐる。
入り口から二か所ある自動ドアを抜けた先はまるでホテルのロビーみたいになっていて、足元の人工大理石が艶々とテカっていて。
それを見るとはなしに見遣って、雨の日なんかは滑りそうで怖いな?などと、ぼんやり思ってしまった天莉だ。
ロビー全体を照らすシーリングライトは目に優しい黄色みがかった落ち着いた色合いで、真正面には男性コンシェルジュがひとり常駐している受付があった。
「お帰りなさいませ。高嶺様」
「ただいま」
この五階建てのマンション内には、一体何世帯が入っているんだろう?
まさかあの男性コンシェルジュは、このマンション全体の住人の顔と名前を覚えていると言うのだろうか?
それとも、尽が特別な住人だから覚えているだけ?
当然のように尽の名前を告げて交わされたやり取りに、天莉は(まさかここは高嶺常務のご自宅ですか⁉︎)などと考えてソワソワと落ち着かない。
しわになることを気にして極力触れないようにしていた尽の胸元をギュッと握りしめて「あ、あのっ」とか細い声で呼びかけた。
やはり駐車場で抱き上げられた時にすぐ、もっと真剣にジタバタして床へ下ろしてもらっておくべきだったと後悔の念ばかりが募る。
キュッと身をすくませた天莉に、「何も心配することはないからね。堂々としていなさい」と尽が落ち着いた声音で微笑み掛けてきたけれど、心の中で『そんなの無理に決まってますよぅ』と情けない返事をした天莉だ。
だって、独り身のはずの尽が、得体の知れない女をお姫様抱っこで連れ帰ったとか。
コンシェルジュがどこまで住民のプライベートを気にするものなのかは知らないけれど、普通に考えて変に思われていることは確かだろう。
キュッと身をすくませた天莉に「堂々としていなさい」と小声で告げる尽に、心の中で『無理に決まってますよぅ』と情けない返事をした天莉だ。
そんな二人を見て、コンシェルジュの彼が「失礼ですがそちらの方は?」と問いかけて来たのは当然だろう。
その問いかけに、天莉はいよいよ消えてなくなりたいと思ったのだけれど。
「ああ。彼女は私の婚約者です。実は出先で体調を崩しましてね。ひとりの家に帰らせるのも心配なので連れ帰ってきました」
とか。
(高嶺常務っ! 何をいけしゃあしゃあと訳の分からないことを仰ってるんですかっ!)
しかも一人称がよそ行き仕様の〝私〟になっていることにもゾクリと背筋が寒くなった天莉だ。
こんな風にして高嶺尽と言う男は、いとも容易く嘘を真実にしてしまえる人なんだろう。
それはビジネスシーンではかなり有能な手腕に思えたけれど、プライベートで……しかも自分を巻き込んで発揮されたとあっては看過出来ないではないか。
(何だかよく分からないうちにどんどん話を進められてる……よう、な……っ!?)
『キミを娶りたいと思っている宣言』からさして時間は経っていないと言うのに……。
ものの数十分で見る間に外堀を固められている。
このままでは完全に退路を断たれるのも時間の問題かも!?と別の不安まで脳裏をよぎってしまった。
なのに、『違います! 婚約者なんかじゃありません! 私、ただの部下です!』と声を張り上げるのもただただ話をややこしくするだけな気がして、結局何も出来なかった天莉だ。
そんなことを言おうものなら、『では何故そんな体勢に?』と思われるのは必至だったから。
「ああ、そうなのですね。それでそのような……」
ほう、と吐息をつく気配とともに、コンシェルジュがあっさりと納得してしまった。
(コンシェルジュさん、そんなすぐに納得しないで下さいっ! もっと疑って!)
焦る余り、天莉は非難の矛先を罪もないコンシェルジュに向けてしまう。
「婚約者様が大変な折、お引止めして申し訳ありませんでした。――一刻も早く休ませて差し上げて下さい」
「有難う。そうさせてもらうよ」
天莉を抱き上げたまま、尽が再び歩き始めて。
エレベーター前で操作パネルを押した尽が、箱が降りてくるのを待ちながらコンシェルジュに見えない角度でククッと喉を鳴らしたのが分かった。
「高嶺常務の策士っ!」
見上げた尽の、口角の上がった嫌味なくらい端正な顔立ちが妙に腹立たしくて――。
天莉は尽の腕の中で抗議の声を上げる。
「なんだ。今頃気付いたのか」
尽が天莉を見下ろして含み笑いをしたのと、箱が着いたのとがほぼ同時で。
その意味深長な表情にさぁーっと血が気の引いた天莉が、『逃げなきゃ、常務の部屋に連れ込まれちゃう!』と気付いた時には後の祭り。
尽にしっかり捕獲された天莉を閉じ込めるみたいに、無情にもエレベーターの扉が閉ざされた後だった。
***
これがタワーマンションの最上階ならばエレベーターが目的階に着くまでにもう少し時間を要しただろう。
だけどここはたかだか五階の低層マンション。
あっという間に最上階へ着いてしまった。
(どうして高層マンションじゃないの? 高嶺常務ほどの人なら、絶対にそっちの方がしっくりくるのに)
そんな思いが顔に出てしまっていたのだろうか。
「俺は高いところが余り好きじゃなくてね」
尽が、内廊下を歩きながら世間話でもするみたいにつぶやいた。
本当なら平屋の一軒家に住むのが理想なのだと続けながら、いずれはそのつもりだと付け加える。
「子供が出来たら庭で遊ばせたいしね」
何でもないことのようにそう言って、「キミは?」と問われた天莉はキョトンとした。