テラーノベル
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「こっち、こっち」
アカリは振り返り、宙に浮いたまま手招きをした。その足元は床からずっと離れていて、まるで水の中を泳ぐようにすいーっと軽やかに移動していく。 一方の灯は、自分の足で冷たい大理石の床を踏みしめながら、一歩一歩慎重についていっていた。
「ねえ、アカリ。ここって、どこまで続いているの?」 「さあ? 私にも分からないや。終わりのない美術館の廊下だからね。気が向いたところまで歩いて、疲れたら帰る。それだけのこと」
気だるげに笑いながら、アカリは次々と白亜の壁に掛けられた鏡の横を通り過ぎていく。 灯はふと、通り過ぎた一つの鏡に目を留めた。
『水城灯の部屋の机の上のスマホ画面』
プレートにはそう刻まれていた。自室の姿見からこの美術館に入ってきたはずなのに、すぐ近くの壁には今まさに自室の机の上を映し出す鏡がかかっている。気になって足を止め、その鏡を覗き込む。 そこには、さっきまで自分が座っていたはずの机の上にぽつんと置かれた、灯のスマホが映し出されていた。画面がピカッと光り、母親からの新しいメッセージの通知が浮かび上がっている。スマホの内側から見たような、反転したその画面のメッセージを見つめる。
『部屋にいるなら、ちょっと来なさい。それと、塾の準備はできているの?』
文字を見た瞬間、心臓がキュッと冷たく縮み上がった。 今この瞬間も、現実の自室のすぐ隣で、あるいは階段の向こうで母親が自分を呼んでいるかもしれない――そう思っただけで、プレッシャーが生々しく蘇ってくる。
「……見なくていいよ、そんなもの」
ふわりと戻ってきたアカリが、すっと灯の視界を遮るように割り込んできた。その冷たい瞳は、少しだけ鋭く光っている。
「でも、お母さんが……部屋にいるかもしれないから……」 「あんな人のこと考えても、キミがすり減るだけだって言ったでしょ。ここは、現実の呪縛から離れて息をするための場所なんだからさ」
アカリはそう言うと、強引に灯の手を引いた。体温のない指先はひんやりと冷たく、けれど妙な心地よさがあって、灯はそれ以上反論することができなかった。
さらに廊下の奥へと進むと、壁に掛けられる鏡の様子が少しずつ変わってきた。 ただの部屋や学校の窓だけでなく、駅前の雑踏を映すガラスショーウィンドウ、雨に濡れたアスファルトの上の水たまり、さらには夜行電車の窓ガラスまで、反射するものなら何でもここにつながっている。
「あっ、ねえねえ灯、あれ見て」
アカリが指さした先には、ひときわ大きく、ぼんやりと淡い光を放つ古い鏡があった。 プレートには文字がなく、ただ一面に不規則な波紋のような模様が刻まれている。
「あれは……何?」 「さあね。私たちがまだ見たことのない、誰かの『現在』の反射か、あるいは――キミ自身がまだ気づいていない、心の奥の隠し部屋みたいなものかもね」
アカリが意味深な笑みを浮かべたその時、その大きな鏡の表面が、まるで心臓の鼓動のように、ドクン、と大きく波打った。
鏡の向こうから、かすかに、誰かの泣き声のようなものが聞こえた気がした。 それは外の世界の音か、それとも――。
アウラウラ
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琉姫
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コメント
1件
この美術館、ただの逃避場所じゃなくて、現実と向き合う強さも少しずつ灯に芽生えてきそうな感じがして…。鏡越しの母からのメッセージの冷たさと、アカリの「すり減るだけ」って言葉が刺さりました。最後の波打つ鏡の鼓動、何か始まる予感がして鳥肌立った…次が気になる🌙