テラーノベル
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「……っ、なんか聞こえなかった?」灯は身震いし、波打つ大きな鏡から一歩退いた。 現実世界の誰かの泣き声なのか、それとも自分の心の奥底から響いた幻聴なのか分からない。ただ、あの鏡に近づきすぎると、自分が自分ですらなくなってしまうような、得体の知れない恐怖があった。
アカリはふっと目を細め、その鏡から視線を外すと、何でもないように肩をすくめた。 「さあ、どうだろ。気のせいじゃない?」
そう言われても、胸のざわめきはなかなか消えない。灯は少し息を整えると、アカリに向かって小さく首を横に振った。
「あのさ、アカリ……私、そろそろ戻った方がいい気がする。お母さんも心配するだろうし、今日は塾もあるから…だから、そろそろ帰ろうかな…」
アカリは少しだけ目を丸くした後、ふっと柔らかく微笑んだ。その表情は、いつもの不敵な笑みとは違い、どこか満足げな温かさを帯びていた。
「そっか。そうだよね、現実のキミにはあっちでの生活があるもんね。よし、それじゃあお帰りの時間としようか」
アカリはひらりと宙を舞い、灯とアカリは来た道を戻る。そして、壁に掛けられた額縁の前で止まった。 そこには、見覚えのあるプレートが掲げられている。
『水城灯の部屋の姿見』
「あそこから入ってきたんだから、帰りも同じところを通ればいいんだよ。ほら、おいで」
アカリが手招きするその場所を見上げて、灯は近づいていく。 壁に掛けられたその姿見は、本物の美術館で展示される絵画と同じくらいの高さに設置されていた。
「届くには届くけど……ここから中に入るの、ちょっと大変そうだな……」
灯が困惑してつぶやくと、アカリは「あ、そっか」と軽く笑い、すいーっと宙を滑って灯のすぐ目の前まで降りてきた。
「私は浮けるから平気だけど、キミは自力じゃ枠に登れないもんね。ほら、手を出して。館長として、特別にお手伝いしてあげる」
アカリが差し出した手を、灯は迷わず両手でしっかりと掴んだ。
その瞬間
「……っ!」
ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け抜けた。反射的に手を引いてしまう。
アカリの手は冷たかった。まるで、金属のような、いや、鏡の表面のようなどこか寂しい冷たさだった。
灯は自分の手をしばらく見つめ、顔を上げる。
アカリはいつも通りの笑顔だったが、どこか寂しそうだった。
「あはは、ごめんごめん。私、体温低いんだ」
(いや、体温とかそういうのじゃない気が…)
「…大丈夫だよ。怖がらなくていいから」
アカリがもう一度手を差し出す。
灯はゆっくりとその手を取った。
ふわり と体が浮かんだ。
アカリは宙に浮いたまま、ふわりと上へ引っ張り上げる。 重力が軽くなったような不思議な感覚とともに、灯の体は浮き上がり、壁の姿見の枠へと軽々と引き上げられた。そのまま灯はつま先を姿見の淵に引っ掛け、片方の手で鏡の淵をつかんだ。
「…ありがと、アカリ」 と、アカリの方を見て言う。「どういたしまして。本日は当館へご来館いただき、誠にありがとうございました。またいつでもお越しくださいませ――現実が息苦しくなったときはね」
アカリが美術館の館長のようにすまし顔でふふっと笑う。その芝居がかった口調に、灯は思わずクスリと笑みをこぼした。
「うん……またね」
アウラウラ
1,095
123
89
琉姫
44
片足を淵から前へ出す。視界がぐにゃりと歪む。
そして―
目の前にはいつもの自分の部屋、そして『水城灯の部屋の姿見』が静かに佇み、部屋の空気は冷たく、そしてどこか現実の重みを取り戻していた。
時計を見ると、家を出てからそれほど時間は経っていないようだった。 スマホの画面には、母親からの新しい通知は来ていない。
(夢、じゃなかった……)
現実に戻ってきた安心感と、あの終わりのない美術館の冷たくて甘い静けさが、妙な名残惜しさとなって胸に残る。 「また…あそこに行けるのかな…?」姿見に触れ、灯はつぶやいた。
『私、体温低いんだ』
アカリの言葉を思い出す。姿見から手を離す。無意識のうちに「アカリ」を「一人の人間」だと当たり前に思っていたことに気づく。
(…美術館もそうだけど…アカリって一体…)
いや、そんな事考えても答えは出ないだろう。
塾の時間が迫る。
灯は、またいつも通り塾へ行く準備を進めた。
コメント
1件
第4話読了〜〜!!😭💕 アカリの手の冷たさ、あれヤバイ…「体温低いんだ」ってサラッと言うけど絶対体温とかのレベルじゃないよね??灯くんが無意識に彼女を人間扱いしてたって気づくシーン、すごいエモかった…胸がギュッてなったよ✨ 現実に戻った後の「また行けるのかな」のつぶやきにもう続きが気になって仕方ない!!このふわふわした不思議な距離感がたまらない…アカリの正体もまだまだ謎だし、もう次話が待ち遠しすぎるよ〜〜🌸