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もちぷよ
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#山中柔太郎
65
〜佐野side〜
週末になれば、あの場所で柔太朗に会える。
その約束だけを心の燃料にして、俺は一週間、がむしゃらに仕事をこなしてきた。
おかげでいつもより業務も捗り、あっという間に約束の金曜日がやってきた。
昼間までは、すべてが順調そのものだった。
けれど、午後を回ったところで最悪なことに歯車が狂い出す。
取引先から急なトラブルによる呼び出しが入ったのだ。
状況からして、このまま夜の接待へと流れ込むのは確実だった。
なんで、今日なんだよ……!
心の底で苦い愚痴をこぼす間もなく、俺は上司に連れられて慌ただしくオフィスを後にした。
柔太朗くんに「今日、行けそうにない」と伝えたかったけれど、俺が知っているのは彼の名前だけで、個人の連絡手段なんてどこにもなかった。
頼むから、顔を合わせるだけで終わってくれ。
接待なんてなしにしてくれ。
そう神様に祈ったけれど、そんな淡い願いは虚しく打ち砕かれ、俺はきっちりと高級料亭の座敷へと同行させられた。
仕事だから仕方がない。
それは痛いほど分かっている。
けれど、何日も前から楽しみにしていた分、胸の奥がぽっかりと削られたように凹んでいくのが分かった。
正直、接待の席にいる間、取引先の方の話も上司の話も、右から左へとただ通り過ぎていくだけで全く頭に入ってこなかった。
いつもなら下っ端として声を張り、場を盛り上げるはずの俺が、明らかに精彩を欠いてどんよりとしている。
さすがにまずいと思った時には遅く、俺の異変に気づいた上司が体調を心配して、いつもより早めに宴席を切り上げてくれた。
社会人としては最低の評価をされたかもしれない。
だけど、今の俺にとっては、この上ない救いだった。
時計に目を落すと、時刻はすでに二十二時半を回っている。
ここから急いで向かったとしても、到着するのは二十三時前。
彼はいつも、二十三時には退勤していると言っていた。
つまり、どれだけ急いだところで、間に合わない可能性の方が圧倒的に高かった。
でも、諦め切れなかった。
ただ、一目だけでも彼に会いたい。
その一心で、俺は大通りへ飛び出してタクシーに乗り込み、あの居酒屋まで、「なるべく急ぎで!」と告げた。
けれど、車が繁華街へと差し掛かったところで、タクシーはびたりと動かなくなった。
最悪なことに、お決まりの週末の大渋滞に捕まってしまったのだ。
今日は華の金曜日。
この時間、街に車が溢れ返っていることくらい、冷静になれば分かりきっていたはずなのに。
ルームミラー越しに、運転手さんが申し訳なさそうな顔をしている。
誰も悪くない。
ただ、時間が砂時計のように無情にサラサラと零れ落ちていく。
目的の居酒屋の前でタクシーを降りたときには、すでに日付が変わる手前の二十四時近くだった。
看板の灯りが消えかかっている。
俺は祈るような気持ちで、ダメ元で店の扉をそっと開けた。
けれど、暖簾の奥に広がる薄暗い店内に、彼の姿はどこにもなかった。
やっぱり、もう帰った後だった。
約束も守れない、だらしない男だと思われただろうか。
ただせめて、ほんの一目でも、その顔が見たかった。
重い足取りで店を出て、人気のない細い路地へと歩を進める。
街の少し外れに位置するその場所は、深夜になると驚くほど人通りが少なかった。
すぐ近くにある壊れかけた街灯が、チカチカと不規則に明滅して、俺の足元を寂しげに照らしている。
「……会いたかったな」
ぽつり、と夜空に放った俺の情けない呟きは、居酒屋から漏れ聞こえる賑やかな笑い声にかき消され、誰に届くこともなく消えていった。
「帰ろ……」
やり場のない寂しさを紛らわせるように、俺はあてもなく夜の路地をゆっくりと歩き出した。
肌を撫でる夜風が、さっきよりも少し冷たくなった気がする。
あぁ、もう夏も終わりか。
そんな他愛のないことを考えながら歩いていた、その時だった。
すぐ近くの薄暗い路地裏から、聞き覚えのある声がした。
間違うはずがない。
今日、俺が死ぬほど会いたかった大好きな人の声。
……だけど、何かがおかしい。
楽しげな居酒屋の余韻とは到底思えない、歪んだ空気。
心臓の奥が、冷たい氷を押し付けられたようにドクンと跳ねた。
胸騒ぎがする。
こういうときの、俺の悪い予感は、絶望的な確率で当たってしまうのだ。
今回ばかりはどうか外れてくれ。
そう神様に願いながら、俺は声のする方へと吸い込まれるように足を速めた。
壁の向こうから徐々に聞こえてくる声に、やはり血の気が引いていく。
それは普通の話し声なんかじゃなかった。
彼の掠れた悲鳴、それに応えるような男の濁った声、そして肉体と肉体が擦れ合うような、気味の悪い鈍い音。
近づくにつれて、それは獣が暴れるような激しさを増していった。
そのあまりにも異様な雰囲気に、俺は最悪の状況を瞬時に理解した。
そこからはもう、頭が真っ白になって全力で走っていた。
「おいっ……!!柔太朗っ!!!」
夜の闇を切り裂くように叫びながら角を曲がった。
しかし、走り込んだ先に映った光景は、俺の最悪な想像を遥かに超える、この世のものとは思えない惨状だった。
「おい!!てめぇ何やってんだよ!!! さっさとそこから離れろやッ!!!」
俺の怒号に、柔太朗の身体を貪っていた男がハッと振り返る。
男は俺のただならぬ殺気に怯えたように、這うようにして暗闇の奥へと逃げて行った。
今すぐそいつを追いかけ、八つ裂きにしてやりたい激しい殺意が脳内を駆け巡ったけれど、地面に横たわる彼の身体を見た瞬間にそれどころではなくなった。
俺は一目散に彼のもとへ駆け寄った。
そして、そこに転がるその有様に、俺は本当の絶望を知った。
綺麗な白い肌のいたるところに刻まれた、どす黒い打撲痕と深い切傷。
衣服は引き裂かれ、身体は血まみれになっていた。
うつろに開かれた彼の瞳には光がなく、指先ひとつにすら力が入っていない。
彼の身体は、あの男の痕跡で無惨に汚され、冷たいアスファルトの砂や土が付着していた。
どれだけ乱暴に、どれだけ非道に扱ったら、こんなことになるんだよ……。
胸の奥からドロドロとした怒りと悲しみがせり上がり、全身の血が逆流する。
俺は震える手で、その冷え切った身体を壊さないように抱きしめた。
「柔太朗!!おい、しっかりしろ!!柔太朗…!」
何度も声をかけるけれど、彼の唇からは消え入りそうな吐息が漏れるだけで、返事はない。
俺は凍りつく手を震わせながら、大急ぎでスマホを取り出して救急車と警察を呼んだ。
とにかく彼の傷口を必死に押さえるけれど、溢れる鮮血は一向に止まる気配がない。
腕の中で、彼の身体が徐々に冷たくなっていくのが何よりも恐ろしかった。
それから救急隊員によって、柔太朗は運ばれていった。
――そして今、病院の静まり返った待合室で、俺は独り底なしの後悔に押しつぶされそうになっていた。
白く冷たい蛍光灯の下、独りぼっちで硬いベンチに腰掛け、ただ処置が終わるのを待つ。
目を閉じれば、血まみれで汚された彼の姿が網膜に焼き付いて離れない。
もう、独りではどうしようもなかった。
俺はすがるような思いでスマホを開き、迷わずあの人の名前をタップした。
こんな夜中なのに、コール音は数回で止まり、電話の相手はすぐに出てくれた。
「もしもし」
受話器の向こうから、仁人の柔らかい声が聞こえてくる。
その声を耳にした瞬間、さっきまで全身を縛り付けていた張り詰めた緊張が、一気に、不器用に瓦解した。
ずっと我慢していた熱い涙が、堰を切ったように目から零れ落ちていく。
「仁人……俺、どうしたらいい……?」
喉の奥に血の味がするほどの苦しさの中で、やっとの思いで弱音を吐き出した。
to be continued……
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