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「――あ。今更なんですけど……先程は助けて頂いて本当に有難うございました。私、『くるみの木』の木下くるみです」
言って、ニコッと微笑まれて。
「あ、栗野実篤です」
と淡々と答えながらも、頭の中は
(ちょっ、木下さん! 可愛すぎて困るんじゃけどっ!)
とか。
年甲斐もなく、自分より随分年下に見える女の子にハートを鷲掴みにされて、パニック真っ最中の実篤だ。
確かにトラブルに巻き込まれていたくるみを見た瞬間、電気に打たれたように勝手に身体が動いてしまったのは自覚している。
それが、運営側だから、ではなく彼女のことを憎からず思ったからだというのも長年の経験からピンときた。
だが、それにしたって――。
(一目惚れとかするような歳じゃないじゃろ、俺!)
と、思ったのも事実だ。
***
町の中心部に当たる山陽本線の岩国駅近郊とは少し外れた辺りに、観光の目玉となる日本三名橋のひとつである錦帯橋と、山城の岩国城を有する山口県岩国市。
広島県との県境に位置するこの町では、十月の第3土曜と日曜日に、毎年地元の商工会主催で『岩国祭』が開催される。
吹奏楽の演奏会や、山車のパレード、国の天然記念物に指定されている岩国のシロヘビをモチーフにした「白蛇ご神幸」、「岩国よいとこ総踊り」、餅まきといったイベントで岩国駅周辺一帯が盛り上がる、地元では比較的大きな祭りの1つ。
祭り開催中は国道も封鎖され、歩行者天国になったりと、結構大掛かりな祭事だ。
催し物の大半は二日目に当たる日曜に集中するため、人出もそちらの方が多い。
これと並んで人が集まるのが、4月29日に開催される「錦帯橋まつり」なのだが、こちらの音頭をとるのは観光課――つまりはお役所――と言った差異がある。
どちらも観光の目玉という色合いとともに、地域の人間同士の絆を深める交流の場として一役買っている。
***
「今年も社長は見回りの方ですか?」
帰り支度を始めた女性従業員の田岡美代子に、ふと思い出したように問いかけられて、実篤はパソコンから目を離して「ああ」と短く答えた。
(田岡さん、今からデートじゃろうか)
いつもより化粧直しが念入りにされている気がするし、何より服が事務服から白地に黒の水玉ワンピースに、カーキのアウターを合わせたコーディネートにチェンジされている。
日頃なら「着替えるの面倒じゃし、このまま帰りますぅ〜」と制服のまま帰ることが多い田岡だが、週末なんかは着替え率が高い。
今時珍しい黒髪ストレートを、作業しやすいようにポニーテールにしている彼女は、あざとい感じの眼鏡女子だ。
二十代半ばの独身女性特有の浮足だった雰囲気を感じて、今年31になった実篤は、そう言うのを割と好もしく思っていたりするのだ。
(恋する女の子は華やかでええけぇな)
その一方で、この会社へ迎え入れて2年になる田岡だが、結婚したらやはり退職しまぁーす、とかなるんじゃろうかとふと考えて溜め息をひとつ。
(それはちょっと寂しいけんなぁ……)
けれど、まぁその時が来たら笑顔で送り出してやらねば、とも思ってはいるのだ。
そもそもアットホームを売りに経営しているつもりの小さな不動産屋のこと。
雇っている従業員には幸せになってもらいたいし、それと同じくらい長く勤めてくれたらええなぁとか期待していたりもする実篤だった。
***
先に田岡が言ったように、実篤は地元商工会の青年部――若い世代を育成するためのグループであって、決して若人の集いではない――に所属している手前、毎年商工会主催の岩国祭には主催者側のメンバーとして参加している。
入会当初から会場の巡回や駐車場の整備などを司どる警備班の方に配属されて移動がないのは、表向きは「栗野さん、慣れちょってじゃけぇ」と言うことになっていた。
だが真相は――。
「社長、見た目怖いけぇ、ちょっと睨みきかせたらみんなよぉ言うこと聞いてくれますけぇね〜」
田岡から揶揄うようにニヤリとされて、実篤は「はぁ〜っ」と盛大な溜め息を落とす。
実篤、身長は176cmしかないし、男としてはそう大きい方ではない。
けれど、何故か「栗野さんは身に纏う雰囲気が迫力満点じゃけぇね。何か睨まれたら思わず『ひっ!』て悲鳴が出るんよ」と言われてしまうのだ。
実際に話してみればそうではないと分かってもらえるのだけれど、低めで腹の底に響くように聞こえるらしい声と、鋭く見える目つきが堅気じゃないかも、と錯覚させるらしい。
「いっそのことスーツ着るのをやめちゃったら違うんじゃないですか? ほら。社長が着ると何でか分からんですけど堅気っぽくなくなるじゃないですか」
田岡の横から、経理の野田千春がクスクス笑いながらそう付け加えてきて。
スタッフの中で唯一自分より年上の46歳の彼女は、他のスタッフたちに対しても、雇い主の実篤に対しても分け隔てなく辛辣で容赦がない。
実篤がそれを許す人間だから、というのもあるけれど、とにかくそう、ここ――クリノ不動産――はこんな雰囲気で和気藹々とした社風なのだ。
今はたまたま席空きでいない営業男性2名にしても、結構伸び伸びと仕事をしていると思う。
「いや、みんな勘違いしちょらんですか? 当日の俺、Tシャツに法被羽織っちょるんですけど」
祭りの時はスーツじゃないですけぇね?と付け加えたら、女性陣ふたりから「あぁ〜」と溜め息とも納得とも区別のつかない声が一斉に上がった。
「……まぁ、何にしても頑張ってきてくださいね。事務所の方は私らがしっかり守っちょきますけぇ」
しばし間を置いて、まるで今の「あぁ〜」を誤魔化すみたいに野田が言った。
***
それで、かの祭りの日、何故冒頭みたいなことになったかと言うと――。