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「触んないって言って触んじゃん……」
凪は顔を隠したままボソッと呟く。屁理屈ばかりの千紘。このまままた襲われてしまいそうで、凪は少し逃げ出したくなった。
「わかったって、もうしない。キスもしない。だから時間いっぱいまで俺と一緒にいて?」
千紘は体を起こすと、ゴロンと凪の隣に横になった。人1人入れるか入れないかくらいのスペースを開けて、凪の方を見る。
体を丸めるように横向きになった千紘は、凪の様子を窺った。
千紘の気配が遠のいたのを感じると、凪はそっと腕を上げてチラリと千紘の方を見た。
「……そこでじっとしてる?」
「してるよ。もう触んないってば」
ほんとだよ。と言わんばかりに千紘は両手を枕の下に差し込んだ。その上にポンっと頭を乗せた千紘を見て、凪は思わずははっと笑みがこぼれた。
歯を出して顔を綻ばす。目尻にクシャッとシワが寄って、頬骨が上がった。
千紘はそんな凪の意外な顔に驚き、瞼をあげた。こんなにも砕けた笑顔を見ることができるなんて思ってもいなかったのだ。不意打ちされた千紘は、全く反応できずにじっと凪を見つめる。
「それ、なに。何してんの」
おかしそうに凪は体を揺らすと、ころんと千紘の方に寝転んだ。お互い向かい合う形になるが、千紘はまだ目を見開いたままだった。
「触ったら殺すー」
あんなに可愛らしく笑った凪が、次の瞬間にはそんな可愛げのないことを口にして目を閉じた。
「寝るわ」
「寝んの!?」
更に驚いたのは千紘の方。あんなにも警戒していた男の隣で寝るのかと自分の方が信じられなかった。
「一緒にいればいいんだろ」
目を瞑ったまま凪が言った。閉じられた瞼からは綺麗にまつ毛が伸びている。扇のように広がるまつ毛が影を作る。
血色の良い赤い唇がそっと閉じられた。
「うん。……時間来たら、起こすね」
「ん……」
凪はそれだけ言って静かになった。千紘はなんでもないその時間がとても幸せだった。
千紘は瞬きするのも惜しいほど、じーっと凪の寝顔を見つめていた。初めて2人切りで過ごした時も、凪が限界を感じて眠りに落ちたのをこうやっていつまでも見ていたのだ。
あの時のことを思い出していた。綺麗な寝顔はずっと見ていても全く飽きない。それどころか時々微かに揺れる睫毛や、もぐもぐと動く唇、呼吸の音に漏れるぐぐもった声。
どれも眠っている無防備な時にしかしない仕草で、全てが貴重に感じた。
触らないと約束したからその髪を撫でることもできないが、欲を言えば自分の腕の中で眠って欲しかった。
いやらしいことしないから腕枕させてって言ったらさせてくれるかな……。そんな交渉内容を考える。何ならOKがでるか、どんな言い方をしたら受け入れてくれるか思考を巡らす。
そんなことを考えている時間でさえ、凪が同じ空間にいたら幸せだった。
なんだかんだいいながら一緒にいてくれた。警戒心を見せながら自分の隣で寝てくれた。ほんの少しずつ近付く距離感が心地良い。
多分次も会ってくれるんじゃないかと期待した。
すー、すーと寝息まで立て始めた凪。余程疲れていたのか、千紘との行為で疲れたのか。どちらにせよ熟睡してしまうほど眠かったようだと千紘は思いながら体を起こす。
時間が来たら起こしてあげなきゃとスマートフォンを取りにソファーへと向かう。
アラームをセットした千紘は、数メートル離れた先から眠る凪の姿を見る。時間が来たらお客さんのところに行くのか。今まで幸せだった気持ちが一気に曇る。
別になんともないって思ってたんだけどな……。予約が入ると気が重くなるし、女の子と会ってると思うとモヤモヤする。そういう仕事だって理解しなくちゃいけないのに……。
時間を買わなくてもプライベートを過ごせたことに感謝しなければいけない立場だとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
せめてあともう少しだけこの時間を堪能したいと、千紘はもう一度凪の隣に寝転び、その寝顔に目を向けた。
凪が目を覚ますと、隣で千紘が眠っていた。その端正な顔を見て、凪は大きく目を見開いた。千紘の寝顔を初めて見たのだ。
前回、千紘に襲われた時は、凪が目覚めたらじっと自分を見つめている千紘の顔が間近にあった。しかし、今回は一定の距離感を空けたまま気持ちよさそうに眠っていたのだ。
寝てんじゃん……。
凪は薄目で千紘を見ると、ゆっくりと体を起こした。体は裸のままだが、上から布団をかけられていた。恐らく千紘がかけたのだろうと掛け布団を握ってまたその寝顔に目を向けた。
ベッドに手をついて体を捩った。スプリングが跳ねたら千紘が起きるかもしれない。そうは思ったが、彼が起きる様子はなかった。
凪はベッドから出ると、床に落ちているバスタオルを腰に巻いた。自分が着ていたはずのバスローブはどこにあるかわからなかった。
もしかしたら布団の中かも。なんて思うがとりあえず時間を確認する方が先だと、そのままソファーへ向かった。
ソファーを目の前にそこへは座らず、スマートフォンを手に取ると凪がタイムリミットだと言っていた時間まであと30分だった。
あと少しか。そしたらコイツ起こして事務所向かって……。
そこまで考えて軽く息を吐いた。今日はもしかしたらそのまま千紘に襲われて、後口の痛みに耐えながら仕事をしなきゃいけないかもしれない。そう思ってこの後の予約は全て断っておいたのだ。
事務所に戻ったら当日予約だけは受けるかどうか体調次第で考えようと思っていた。結局約束通り、凪が停止をかけてから何もしてこなかった千紘をチラッと見る。
おかげで体調はとてもいい。射精したのと、日頃の寝不足とで一気にやってきた睡魔に抗えずに熟睡までした。
……まあ、いいか。
凪はそのままスマートフォンを操作する。事務所にいる内勤にラインを送った。
『出勤する予定でしたが、やっぱり今日はこのまま休みます』