「え、なんで謝るの?蘭は何も悪くないじゃない」
笑顔で告げられたその言葉は、俺にとっては絶望以外の何物でもなかった。
竜胆達と高級焼肉に行った魅華は、今夜は竜胆の家に泊めてもらう事になった。その方が好都合だった。
「はぁ〜…………」
リビングのソファでため息を吐いて項垂れる俺は、誰の目から見ても滑稽だと思う。本当に、自分でも馬鹿だと思う。
──『は?他の女と毎晩よろしくやってたヤツが何言ってんの?』
──『なんで私が悪いみたいな感じになってるの?可笑しくない?』
──『つーか、そんなに都合の良い女が欲しいならさ。さっさと私のこと捨てるか殺せよ』
──『どうだった?命令に従順な家政婦ちゃんの私?』
──『私はお前の都合のいいセックスドールでオナホなので〜?』
──『あ、もしかしてもうこんなビッチとは別れたかった?だから連絡くれたの?』
──『じゃあ、私は組織の一部だからスクラップだね!』
頭の中で、ずっと電話越しで聞いた魅華の言葉が渦巻く。その一つ一つは全部アイツが溜め込んでいた物で、俺にも、多分竜胆達にも出した事ない“本音”だった。
そこで馬鹿な俺はやっと理解した訳だ。
やり過ぎたって。
分かってる。そんなの今更だし、俺のやってきた事は到底許される事じゃない。
最初は嫉妬してるアイツが見たくて、悪戯みたいな感覚で、軽い気持ちで他の女と遊んでた。だけど、気付いたら仕事でもそういうのが増えて、管轄の風俗に行くのも、取引を有利にする為に令嬢と会って表面上仲良くするのも、仕事だからって適当な事言って流してた。竜胆達が程々にしとけって言ってた意味がよく分かる。
「ほんと……どうしようもねぇな」
自嘲気味に頭を掻く。
自分の行動を振り返っては絶望する。他の女に目移りしたのも、それで魅華を蔑ろにしたのも、全部自分だ。仕事が上手くいかない時なんて八つ当たりした事だってあったと思う。現に、俺の言葉のせいでアイツは我慢を強いられて、嫉妬させたいとか言いながらそれを許さないみたいな矛盾めいたことをやってた。全部、全部俺が悪い。
なのに、俺はアイツになんて言った?
──『お前……俺がいんのに、他の男と遊ぶとかいい度胸してんなァ〜?ビッチかよ』
「ッ…………」
本当に最低だ。散々他の女と遊びまくってた俺が言えた事じゃねぇだろと、思いっきり自分を殴ってやりたい。いや、もう明日竜胆達にボッコボコに殴られるけどそれだけじゃ足りないくらいだ。
魅華は、全部捨ててこっちに来てくれた。家族も友人も何もかも捨てて、俺に着いて来てくれた。嬉しかった。本当に。俺はまともな人生歩めないからって、アイツを手放そうって考えもした。だけどアイツは、俺を選んでくれた。
なのに俺は、アイツを、魅華を裏切って傷付けて、あんな言葉を言わせてしまった。
俺の身勝手で、軽率な思いつきで、ずっとずっとアイツを苦しめてしまった。
他人にはとことん興味の無いドライな性格だけど、一度懐に入れた人間にはそれとは比にならないくらい優しくて、気遣いができて、いつも真面目な魅華からすれば、俺を選んでくれたことすら奇跡なのに。
「なんで早く気付かないんだよ……」
なんでそれが分かっててこんな馬鹿なことしてんだよ。と自分で自分を殴りたい気分だ。
魅華は、俺の怪我の手当てをしてくれたのがキッカケで出会った。
その日は、六本木で調子に乗ってるザコを蹴散らした後だった。喧嘩帰りでちょっとボロボロになってた俺は、誰の目にもつかねぇようにって路地裏で休んでた。だけど、そこにたまたま女と居合わせてしまった。同い年くらいのその女は「わ、大丈夫ですか?」とボロボロになった俺を見てそう声をかけてきた。
そして「うわ、痛そう……手当てしますね」って持ってた鞄の中身をゴソゴソ漁る女に、俺は「構うんじゃねぇよ」ってウザったい女だなと思って凄んだ。こんなダセェとこを見ず知らずの女に見られただけでも嫌だってのに、手当てされるとか冗談じゃねぇと。
だけど、女は「ハイハイ、怪我人は黙ってなさいね〜」となんでもないような感じで流しやがった。
もちろん俺の反応は「は?なんだこの女?」の一択。そうして困惑してる間に、俺の怪我の手当てを手際良くさっさと済ませた女は、最後に「じゃ、お大事に」と軽く手を振って颯爽と去って行った。
その背中がどうにも忘れられなくて、自分の持てる人脈を駆使して女のことを調べた。
そうして見つけたのが魅華だった。
魅華はなんでもない普通の女子高生だった。そして驚いたのが、一応俺と同じ学校に通ってるということ。
それを聞き、久しぶりに登校なんかした俺は、真っ先に魅華の姿を見つけた。出会った時と変わらない姿に、俺は意気揚々と歩み寄った。その手に下っ端に買いに行かせた高級菓子を持ってだ。
「よぉ、久しぶり〜」
「え?」
いつも女子にやってるのと変わりない感じでそう声をかけてやる。まぁ、案の定驚かれたけど、手当てされた経緯を話せば思い出すだろとそう思って話してみる。
すると、魅華は首を少し傾げてこう言った。
「人違いでは?」
と、そう言われた。あの時の俺は結構間抜けな顔をしていたと思う。は〜????マジかこの女????って。
自分で言うのもアレだけど、校内では結構有名だったと思う。主に悪い方の意味で。
なのに目の前にいる魅華は、俺の顔を見ても、名前を聞いてもあまりピンと来ていなかったようだった。最終的に、隣にいたダチに耳打ちされて漸く理解したレベルだった。
ますますなんだこの女????って思うしかなかった。
とりあえずその日はお礼ってことで菓子渡して終了したが、俺の中では魅華の反応が印象的で、ちょっと揶揄ってみようと思った。おもしれーオモチャ見つけたわ〜みたいな感覚。
だけど、これが全然上手くいかないのなんの。話しかけても最初は無視されるか適当に流されるかのどっちかで、物を恵んでもキッパリと拒否されて、他の女が喜ぶように肩を抱いてやろうとしたら躱された。つまり、全然相手にされなかった訳だ。
俺が今まで女達にやってきた行為全てが、魅華には全然通じなかったのだ。寧ろ、魅華のスルースキルはなかなかで、声をかけても耳栓してんのかってくらい反応返さねぇし、進路を塞ぐように立ちはだかってみても、普通に進路変更されるか腕の下を通られてしまった。痺れ切らして首根っこ掴んでやろうとしたら、ヒラリと躱されてしまうものだから、もうポカンとするしかなかった。
強引に行けば嫌な顔をされるのが目に見えていたし、魅華の性格上ちょっかいをかけてくるような相手はとことん無視するか存在すら認識しないのだろう。現に他のクラスメイトの男が何人かそんな扱い受けてた。必要最低限の会話のみで後は全部無視。何かやらかしたであろう男共はそんな魅華の態度にダセェくらい狼狽えてた。
そんな光景を見ちまったら下手な事はできねぇし、それはなんか嫌だな……なんて、そう思いながら俺は魅華に会いに行っていた。
そして何度か会う内に、魅華は俺に媚びて来る他の女達とは違う女だってのが分かってきた。
だから俺は、魅華に少しでも興味を持ってもらえるように慎重に動いた。
最初は苦労した。俺に対してさほど興味は無くても、やっぱり無意識に警戒してる魅華は本当に手強い。
表ではいつもの調子を崩さないようにしてはいたが、これも相俟ってなかなか大変だった。魅華と会う度、話す度に、今の話題は不自然じゃないか、可笑しくないかなんて考えながら過ごした。他の女だったら簡単にコロッとコッチに落ちて来るけど、先でも言った通り、魅華にはそれが通用しない。簡単には崩せない女だって態度と言動で分かる。そもそも、魅華から俺に会いに来たり、話しかけたりする事がマジで無い。連絡先も半ば強引に入手したけど、メールを送っても素っ気ない返事ばっかりで、電話してみても出てくれたのは片手で数える程度だ。
そういうことを繰り返してれば、ほんっっっっとうに、魅華は俺に対する興味が微塵も無いと痛感する。
俺はこんなに色々してるのに、魅華は全然応えてくれない。
なんでだよ。
こっち見ろよ。
無視すんな。
と、日々イラつくような思いが募っていった。
そしてその日も、相変わらず魅華から適当に相手されながら、一緒に帰っていた。
隣を歩く……と言っても微妙に間を開けて歩く魅華の横顔を盗み見しつつ、なんでもっとこっち来ねぇの?ってイラついた。でも、顔に出したらそれこそ今までの努力がパァになると思った。嫌われたらそれこそ魅華は俺のことなんて見てくれなくなる。それは嫌だ。
魅華に嫌われんのだけは絶対に嫌だ。
……………………ん???????
と、そう考えた所で俺の思考が一時停止した。
俺、今なに考えた?
嫌われたくないって思ったのか?
誰に?
魅華に?
え?は?は????
と、なんでなんでと少し一人でパニックになった。
「え、なに?どうしたの?」
隣にいた魅華は、そんな俺を見て少し心配しているような目を向けてきた。
その目と自分の目が合った瞬間、なぜか、俺は雷にでも打たれたかのように今の自分の状況を理解した。いや、自覚した。
俺、魅華のことが好きなんだ……って。
自覚した途端、今までの自分の行動の数々がもうそうとしか考えられなくて、なんか恥ずかしくなってきた。
魅華に興味持って貰いたいって感じで振る舞ってたけど、よくよく考えてみれば、振り向いて貰おうと必死になってるとしか思えない行動ばっかりだった。わざわざ会いに行って、話しかけて、それに反応があったら一喜一憂して……自分に寄ってくる女達がやってた行為とほぼ一緒だ。自ら鼻で笑ってた事を、今、自分が魅華にやってる。
その事実が本当にどうしようもなくカッコ悪く思えて、今のダセェ自分を魅華にこれ以上見られるのがなんか嫌で、心配そうな魅華に「悪りぃ、ちょっと先帰るわ」と言ってその場から逃げた。
そして爆速で自宅に帰ってベッドにダイブした。枕に顔を埋めながらついさっき自覚したばかりの気持ちをどうにか落ち着かせる。が、自覚したせいでそれはただただデカくなるばっかりだった。もうこのドキドキしまくってる鼓動と、魅華のことばかりを考えてしまう脳をどう処理すればいいのか分からず、悶々とした気持ちでジタバタしてた。そしてそんな状態のまま、今度は外に飛び出してそこら辺にいる雑魚を殴って蹴ってと蹴散らした。いや、我ながら情緒不安定が過ぎる。
それでも人生初めてのドキドキを上手く処理できなかったので、竜胆に相談した。もうどうにでもなれって勢いでだ。
「りんど〜……俺、魅華のこと好きになったみてぇ……」
と、それはもう喧嘩帰りの格好のまま、ボサボサの頭と返り血のついた顔のまま、竜胆にそう言った。服もボロッとしてたし、めちゃくちゃ声も掠れてた気がする。
それに対する竜胆はというと、その手に持ったペットボトルをボトッと床に落とした。中身に入ってたコーラが派手にぶち撒けられたし、竜胆は衝撃で口をポカンと開けたまま固まってた。なんなら口の端からコーラ垂れてた。
そして、3秒か5秒くらいして、やっと竜胆は言葉を発した。
「…………マジ?」
そんだけかよと思ったけど、素直に頷いて見せたら更に驚かれた。
そこからは妙に魅華を意識するようになっていった。表情も仕草も今までとは違うというか、全然違く見えるというか。自分がおかしくなったんじゃねぇかってくらい魅華への見え方が違った。
前まで普通に声かけて、隣歩いてってやってきたのに、それが妙にドキドキするというか。普通にできた事ができなくなるなんて事あんのかよと実感した。だけど今更この距離感を変えられる訳もねぇから、魅華にはなるべくいつもの姿勢や態度を変えずに接することに専念した。
そしたらタイミングが良いのか悪いのか、だが俺の今までの努力の甲斐もあってか、魅華から俺に声を掛けてくれたり、少しだけ笑いかけて来たりするようになった。
そして気付けば魅華と普通に喋るくらいの仲になってた。登下校で隣を歩いても不思議な間が無いくらいに。
だけど、俺は自分の気持ちを自覚してすぐだったせいで「なんで今進展すんだよ!」とキレそうだった。実際、魅華から反応がある度に、今までの反動なのかキャパオーバーで何度も死にかけた。
そうしている内に、魅華は一度懐に入れたら誰でも分け隔てなく接すると分かってきて、仲の良いらしい男友達やクラスメイトとは普通に話す事に気付いた。そして当然ながら嫉妬した。
そこからは、竜胆にもバレバレなくらい魅華の周りにいた男を牽制しまくった。魅華自身は全然気付いてねぇけど、クラスメイトだろうが友人だろうが全員に睨みを効かせた。
だけど、それでも魅華は俺以外に目を向ける。本人はなんて事ない、いつも通りって感じなんだろうけど、俺からすればイライラする要因でしかない。
そして等々、俺の口からその言葉が出た。
「お前のこと好きなんだけど」
「…………え?」
言った瞬間、や、やっちまった〜〜〜〜!!!!と心の中で頭を抱える。いつもみたいに一緒に帰って、なんでもない話をしてた。そんなムードもなんもねぇ状況で、つい、言っちまった。最悪。ホントにサイアク。
言うならもっとこう、そういう雰囲気に持っていってからにしたかったのに!!!!と自分にキレるがもう後の祭り。言っちまった言葉は今更取り消せないし、冗談と言えるタイミングも失った。つまりは詰み。
こんなダセェ告白あるかよと思いながら、チラッと魅華の様子を窺う。
魅華は、ポカンとした表情で固まっていた。急に「好き」と言われてビックリしているんだろうか。そうだよな。そりゃビックリするわな。やっぱ今のナシ!と言おうと口を開こうとしたその時だった。
「あ、えっと……うん。よろしくお願いします」
「え」
今度は俺がビックリする番だった。
は?今なんて言った?「よろしくお願いします」って?は?????
「蘭くん?」
「あ、え?今なんて?」
「え?『よろしくお願いします』って言ったけど……」
「え、は……それって……」
「あ、もしかして今の告白じゃなかった感じ?」
それなら今の返事は忘れてねと恥ずかしそうに言う魅華だけど、俺はつい「告白……デス」と言ってしまった。なんかスゲェ恥ずかしくなって魅華から顔を逸らす。
だが、チラリと見た魅華は安心したように笑った。
「なら良かった。これからよろしくね?蘭くん」
今まで見てきた中で一番の笑顔で、魅華はそう言った。
こうして俺は魅華と付き合うことになった。
因みに帰宅までこの余韻が抜けず、ボーっと歩いてたせいで色んなとこに頭やら顔をぶつけまくった。そして竜胆に「喧嘩帰り?」って言われるくらい酷い有り様だったらしい。
それくらい浮かれてたって事だ。
今まで色んな女と遊んできた。だけど魅華が俺の彼女になってからは、他の女なんて眼中にも入らなかった。
だけど、俺の昔の女達が魅華に嫉妬して嫌がらせをし始めた。
全員俺がシメても良かったのに、魅華はどこ吹く風で、完全スルーの無反応を貫いていた。もしかすると、嫌がらせされてたことすら気付いていないかもしれない。それくらい、魅華は何も言わなかったし、黙って醜い女共を見守ってた。ああいう嫌がらせは、被害者側の反応を楽しんでるとこあるから、無視と無反応を極めてる魅華には全然効果が無かった。だから自然と、そういう嫌がらせもなくなっていった。まぁ、ちゃんとソイツらには俺が釘刺してやったけど、それで魅華が傷付いて不安にならないように、女関係は徹底的に清算した。
当の魅華は、俺に対してよく笑うようになった。昔の態度が嘘みたいだ。デートも緊張してるのが丸分かりで、それが可愛く思えて、なんだか嬉しかった。それがバレバレすぎて周りに茶化されることもあったけど、仕方ない事だと思う。
「なぁ、魅華」
「なに?」
「俺のこと、どう思ってる?」
「フフッ、急にどうしたの?」
「いいから、答えて」
そして、あの告白から一度も魅華から好きと言われてない事に気付いた俺は、ふとそんな事を聞いた。ちょっと緊張した。
そしたら魅華はただただ優しく微笑んだ。
「……好きだよ。好きに決まってるじゃん」
「ッ……俺も好き」
「わっ、急に抱き付かないでよ〜!」
そんな何度目かのデートで魅華から「好き」という言葉を聞けて、思わず抱きしめてしまった。「蘭くん大きいから潰れちゃうよ〜」と笑う魅華に、「そんなことしねぇよ」と俺もつい笑った。
そうして月日は流れ、俺は魅華を裏社会へと連れて来た。最初は無理かと思ったけど、魅華は俺に着いて行くと言ってくれた。家族も友人も全部捨てさせて、魅華は俺の妻となった。
最初はいつも通りだったと思う。新婚だとか言って、魅華と笑い合ってたと思う。
だけど、仕事が重なる内にだんだん”慣れ”が出てきてしまって、女関係の仕事も増えていった。最初こそ事前連絡をしてたけど、その”慣れ”のせいでだんだん疎かになっていった。
「魅華なら理解してくれる」と、そう思って。
そうしている内に、昔の女癖の悪さというものがチラチラと蘇ってきた。
そしてふと、俺は思った。
魅華の嫉妬してる姿が見てみたい。
今思えば、ここからエスカレートしていったと思う。取引先の令嬢や、キャバ嬢達の相手をして、それで朝帰りして、そのことや家のことで魅華と少し喧嘩するようになった。その時の嫉妬してるような魅華の姿に何か満たされたような気がして、もっと見たくなった。そうして気付けば、魅華のいる家に帰ることもなく”仕事”と称して他の女達の相手をしまくっていた。
それでも俺の気持ちは、一番は魅華だった。
だけど、そんなのただの浮気を正当化する言い訳でしかなかった。
俺がいくら一番だと思っていても、それを表に出さなきゃ意味がない。
だから俺は、それに気付かぬまま、魅華を傷付けた。自分の言葉が、態度が、今までやってきた全部が、魅華を傷付けることだった。
最低だ。一番愛してる女を、自分の手で追い詰めて苦しめた。いや、苦しめてる。
魅華はずっとずっと苦しんでる。俺のせいだ。俺が悪い。全部俺が悪い。
あんなにバカになるくらい惚れた女を、愛した女を、俺はくだらない理由で壊し続けた。最悪だ。何が「一番は魅華だから」だ。ふざけんな。それで何度も何度も傷付けて壊してりゃ世話ねぇよ。
「ハァ〜…………」
今日何度目かの溜め息。
だが、ここで後悔ばっかりしてる場合じゃない。さっき竜胆に「頑張る」って言ったばっかなんだから、項垂れてる暇なんて無い。
後悔ならいつでもできる。
今、俺が優先すべきは魅華だ。
何度も裏切った俺を、魅華はもう愛してもいないだろう。
アイツの優しさに甘え過ぎた。
アイツを蔑ろにし過ぎた。
こんなの愛情が失せて当然だ。
俺はそれくらいの事をした愚か者だから。
魅華の気持ちを考えられなかった馬鹿だから。
この先がどうなるかはまだ分からない。
もしかしたら、もう二度と魅華と会えなくなるかもしれない。
そう考えたら少し怖くなって、だけど今更何を怖がっているんだと自嘲する。
全ては自分の行いが招いた結果。
その責任を取るのは自分自身だ。
「ホントに馬鹿だよなぁ、俺は」
たった一人の愛する女も笑顔にできないなんてな。
バキッ!!!!と鈍い音が響いた。そしてドンッと俺の身体が壁に激突する。
久しぶりにこんな派手に殴られた気がするなと他人事のように思いつつ、痛む頬と鉄の味を噛み締める。
「お望み通り殴ったけど、気分はどう?」
そう聞いてくんのは竜胆で、その顔には呆れが見て取れた。その後ろには三途達もいる。珍しくボスまで揃っている辺り、俺が馬鹿やってる間に魅華と随分と仲良くなったことを思い知らされた。
「…………全然、足りねぇわ」
「だろうな」
「アイツが、魅華が受けた痛みはこんなモンじゃねぇよ」
「それ、もっと早く知って欲しかったよ俺は」
「ハハ、ホントその通りだワ……」
竜胆の言葉を聞いて情けねぇなとそう思うしかなかった。
「竜胆、終わったなら次俺にやらせろ」
「三途……」
今度は三途が俺をブン殴るらしい。まぁ、竜胆に話は聞いてたから覚悟できてっけど。
「顔はハデにやられてっから、俺は腹いくわ」
「ハァ?普通そこ顔に追い討ちかけんじゃねぇの……?」
だいたいいつものお前ならそうするだろと、そう言ってみる。すると、三途は「分かってねぇな」と俺を睨んだ。
「全員で顔面殴りまくってボッコボコになったテメェの顔、嫁が見たらどんな顔すると思ってんだよ」
「……ッ」
「アイツはやさし〜からなァ……浮気しまくる旦那がボロボロになってても心配はすると思うぜ?」
ホント、健気だよな〜と言う三途。コイツに魅華の事を語られるのは癪だが、今回ばかりはその通りだった。昔から俺が怪我する度に、大変だと言ってすぐに手当てしてくれた魅華。出会った時だってそうだった。
竜胆のは受けて当然だと思ってたけど、見えるとこに傷を付けまくるのも良くないと、三途の言葉で気付いた。ボコボコになった俺を見て、魅華がどんな顔をするかなんて想像しなくても分かってたのに、俺はいつからこんなに鈍感になったんだ。
「じゃ、いくぞ。コッチだって暇じゃねェからな」
そう言って三途は俺の腹に拳を叩き込んだ。結構キたが耐えるしか今の俺にはできない。
そうして全員から鉄拳制裁を喰らった俺は服に隠れて見えない所に傷と痣を作りまくった。思わず若い頃を思い出してしまうくらいだ。それくらい、全員加減無しだった。
「蘭」
そして今、俺の目の前にはボスであるマイキーが仁王立ちして俺を見下ろしている。
ボロボロで床に座り込んだ俺は、そんなボスを真っ直ぐ見つめ返すことしかできない。
「お前が自分から選んで進めてきた”仕事”……今更『やめます』はねぇからな。最後まで、自分の手で終わらせろ」
「……はい」
ボスの命令に大人しくそう返事をすれば、ボスは表情一つ変える事なく、俺の前から立ち去った。
まぁ、当然の結果だ。
今まで散々周りが「やめとけ」って言ってたのを無視してた自分が悪い。取引先の令嬢もキャバ嬢達も、俺が自分から関係に持ち込んだ訳だし、仕事じゃない時にサービス感覚で会いに行くことだってあった。これを「嫁の為にやめます」なんて言えるタイミングはとっくの昔に過ぎ去ってる。
そして今更、俺に惚れ込んだ女共に「もう会えない」なんて言えば、色々と支障をきたすのは間違いないし、もしかしたら魅華に危害が及ぶ可能性だってある。今までだってその可能性は十分あったのに、俺は本当に馬鹿だと思う。
だからこそ慎重にこの”仕事”を終わらせる。魅華のことが最優先だけど、自分のやらかした事だってちゃんと向き合わないといけない。ボスの命令はそういうことだ。
「ッ、いって……」
痛む身体をなんとか動かして立ち上がる。そして乱れまくった身なりをある程度整える。気付けば俺の周りには三途達はおらず、竜胆だけがいた。ただ黙って一部始終を見てた竜胆に俺はいつものように言う。
「竜胆、仕事行くぞ」
「……おう。でも、その顔だとアレだから仕事の女には会うなよ?」
「会わねーよ、さすがに今日はな。明日からは……ちゃんとして、慎重に進めて……仕事は全部終わらせる。そんで、魅華への償いもする」
「……そーかよ」
そんな風に言いつつ「ま、頑張れば」とバシッと俺の背中を叩いた竜胆は、さっさと先に行ってしまった。
昔みたいにはなれないかもしれないけど、今の俺にできることは全部やる。
それが、今の俺にできることだ。
「ただいま」
そう言いながら靴を脱ぐ。すると、奥から少し遅れて魅華が顔を出した。竜胆から、午前中の内に家に送り届けたと聞いていたから驚きはしなかった。
「あ、おかえりなさい」
だけど、昨日も会ったはずなのに、なぜか久しぶりに魅華と再会したような気持ちになった。それだけここまでの時間の流れが長く感じたし、自分がいかに魅華をちゃんと見ていなかったかを思い知る。
こんな時間に帰って来るなんて意外と、魅華の顔には滲み出ている。当然だ。今まで女共と会って遅くに帰ったり朝帰りしてたわけだし。
「早かったね」
「仕事がすぐ終わったからな」
「そっか……って、顔どうしたの?」
「あ〜……ちょっとやらかしてな」
案の定、顔の傷を心配された。
「大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。もう平気だから」
「それよりも」と、俺は魅華に向き直る。
「あの、魅華」
「なに?」
「昨日の……じゃねぇや、今までずっと、傷付けてごめん。ごめんなさい」
ずっと言おうと思っていた言葉を口にする。今までの経験上、謝罪なんて全然した事ないからこれが正解かは分からない。だけど、今そう言わないといけないと、少し緊張しながら言った。
「え?」
それを聞いた魅華は、少し目を見開いて驚いていた。そりゃそうだ。俺から謝るなんて珍しいし、今までの態度を考えればそういう反応なのも頷ける。
ただ、ここで許してもらおうなんて一ミリも思っちゃいない。こんなチンケな謝罪一つで終わるような事じゃないなんて、俺が一番よく分かってる。だから、魅華がどう返してくれるかで、今後の行動が決まると俺は考えた。
だけど俺は、やっぱりこの事態を甘く考えていたんだと痛感する事になる。
「え、なんで謝るの?蘭は何も悪くないじゃない」
笑顔で告げられたその言葉は、俺にとっては絶望以外の何物でもなかった。
「え……」
そんな間抜けな声しか出ないくらい、俺には衝撃だった。
「寧ろ、悪いのは私っていうか……昨日はごめんね。酔ってたからついついあんなこと言っちゃったのかも。気にしなくて良いからね。蘭はいつも通り過ごせば良いんだからさ」
昨日みたいに責める事もなく、至極当然のようにそう言った魅華は、俺からの反応が薄いと思ったのか、少し首を傾げながら「あれ?蘭?どうしたの?」と聞いてくる。
それに対して、俺はどう答えたら良いのか分からない。
「先にお風呂入る?私、ご飯用意しとくから」
「あの、魅華……」
「あ、その前に上着貰うよ。クリーニング出しとくから」
「っ……ああ、頼む」
不気味なくらい平然として、なんなら俺に笑いかけてくれた魅華に、俺はかける言葉が見つからないままスーツの上着を大人しく渡す。それを受け取った魅華は「ありがと。じゃ、お湯張ってあるから」と行ってしまった。
「………………ハハ、なんだよそれ」
一人残された俺は、思わず自嘲する様な乾いた笑いが出た。
俺は悪くない?悪いのは私?そんなワケねぇだろ!
全部全部俺が悪いじゃねぇか!!!!
なのにどうして、どうして自分が悪いみたいに言うんだよお前は、俺が100%悪いに決まってるだろ。
「なのになんで…………そんな風に笑えんだよ」
そう呟いて、そうしてしまったのは俺自身だと痛いくらい実感して、後悔した。
そして俺はただただ、自分が魅華にしてきた仕打ちを今一度深く反省することしか出来なかった。
「あ〜……今日は収穫なしか〜」
蘭が一人で猛省していたその時、当の魅華本人は彼から受け取ったスーツのポケットを漁っていた。
「”いつもなら”どこかのポケットにイヤリングとかピアスとか入ってたりするんだけどな〜。残念」
そう言って残念そうな顔をする魅華。その手には例のポイントカードがお守りのように握られている。
「ま、いいや。シャツとかも確認すれば良い話だもんね〜」
そう言いながら、彼女は子供のように無邪気に、楽しそうに笑う。
「温泉、楽しみだな〜!!!!」
○魅華
ポイントのことしか頭にない。ポイントを稼ぐ為に、蘭の事は責めない。自分が悪いで良い。
だって浮気やめたら遊べなくなっちゃうからね!!!!
○蘭
猛省と後悔しかしてない。
惚れた女を自分が壊してしまった。どうにかして修復したいが、あまりにも残酷な現状に自嘲を重ねる。
だけど、頑張ると言ったので逃げることは絶対にない。
○竜胆とその他メンツ
蘭のことは容赦なくボコボコにして、軽く説教もした。
自分達にできる事は、魅華の時たまに出る暴走を止めるくらい。あとは蘭に全任せ。
まぁ頑張れよって感じ。
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