テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
今から一年ほど前、ニックスは恋人を病で亡くした。それからの彼はすべてにおいて無気力となり、他人との付き合いを避けるようになった。挙句、町から離れた森の奥に住むようになる。
自力で建てた小屋が住まいだ。必要な家具も可能な限り自分で作った。もともと木彫り細工が彼の生業だ。木を扱うのは得意だったから、彼にとってそれらの作業はなんら造作のないことだった。
森には木の実や果実が成り、川には魚が泳ぎ、少し奥に行けば小動物に出会う。森は自然の恵みに溢れていたし、ニックスの口を養うのに、畑をちょっとばかり耕すくらいで十分だった。人と接する機会と言えば、自分が作った木彫り細工を売るために特定の店に行く時、またその売り上げを受け取る時、他にはその金で何かしらの日常品を買う時くらいだった。
その日いつもの店に細工物を卸しに行っての帰り路、ニックスは家のある森に向かって歩いていた。灰色の厚い雲が頭上を覆い、その隙間からは幾筋かの光が森の方に差し込んでいる。雨が降る気配はないが急ぐに越したことはないだろうと、ニックスは足を速めた。
普段でも薄暗い森の小道を急ぎ、間もなく家に到着するという所で、ニックスは足を止めた。
前方に何かがいた。倒れているのか、寝ているのか。
ニックスは常に携帯しているナイフを取り出して、そこにいる何かに背中を向けないよう注意深く慎重に、じりじりと家へと続く道を目指して移動した。しかし、途中ではたと動きを止める。森の大型獣かと思いきや、どうやらうつ伏せ状態の人のようだ。背には金色の髪が乱れて広がっていた。
ニックスはナイフを手にしたまま、そろりとした足取りでその人間に近づいていった。華奢だから一見女性かと思ったが、よく見ると若い男だ。
「おい。大丈夫か。おいっ!」
ニックスは男に向かって何度か声をかけた。しかし、全く反応がない。
「さてどうするか」
放置するか否か。しばし考えた結果、ひとまず男を家に連れて帰ることにした。怪我をしているかもしれない彼を、これから暗くなっていくだけの森の中に、このまま置き去りにするわけにもいくまい。
ニックスは彼を背に担いで家に連れ帰った。早速ベッドの上に寝かせた後は、川から水を汲んできて、その顔や腕を拭いてやる。綺麗になった男の寝顔を見つめながら考えた。彼が目を覚ましたら、いったいどうしてあんな場所で倒れていたのか、聞かねばならない。この辺りに自分以外の人間が足を踏み入れることは、まずない。まさか何かやらかして逃げてきた輩ではあるまいなと、目を閉じていてさえも分かる彼の美貌を見下ろした。
その眠る顔を眺めているうちに、過去に失った恋人のことが思い出されて胸が苦しくなった。その気持ちを振り払うように、その感情とは全く無関係なひとり言を呟く。
「ひとまず、何か食べる物でも用意しておくか」
椅子から立ち上がりかけた時、小さなうめき声が聞こえた。はっとして様子をうかがうニックスの前で、男はゆっくりと目を開いた。数回瞬きをして、ニックスが座る方へ顔を動かす。
「ここはどこ?」
か細い声で問いかける男の瞳に、ニックスはあっという間に心をつかまれてしまった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!