どれほど混乱していようが、陽はまた昇る。
仕事もまた、しなければならない。
「今日もお邪魔してごめんね」
「私こそ、創業家の人間のくせにろくに話せることがないから手間かけてごめんね」
会社に来た角田を麗は今、社食に連れてきていた。麗は社長秘書ではあるが、秘書業などしたことはない。
そのため、小間使い的な仕事ばかりをしており、現在はCM制作の資料集めに来た角田の相手がもっぱらの仕事になっていた。
しかし、向かい合って食べているものの、何を話したらいいのかわからない上に、ちらほらと社員食堂にいる従業員の視線も痛い。
(夫が忙しいときに間男連れ込んでる的な、変な噂にならなければいいんだけど)
「カノジョさん元気?」
麗は学生時代、角田と付き合っていると聞いたことがある女性の名前が思い出せなかったが、優しくて美人だったことは覚えている。
「大学の時のカノジョのことを聞いているなら、結構前に別れたよ」
麗は、血の気が引いた。
角田とは何の関係もありませんよ。と、聞き耳をたてている従業員に聞かせるために、つい、思い付きで質問してしまった。
だが、もう何年も経っているのだから人間関係など変わっていて当然である。
「……ごめんなさい」
馬鹿なことを聞いてしまい麗は肩を落とした。
「大丈夫、大丈夫! フラれてすぐは辛かったけれど、もう吹っ切れてるし」
角田は笑っているが、その笑みが本物なのか麗にはわからない。
「………ごめんなさい」
「いいって。俺が勝手に生きたツケだから」
「勝手に生きたツケ?」
麗は思わず聞き返してしまった。
「大学院に行く予定だったのを誰にも相談せずに進路を変えたら、もう着いていけないって。元々、色々我慢させていたみたい。あなたの猪突猛進なところが好きになったけど、猪突猛進過ぎるところが嫌いになったって言われたよ」
「そうなんだ」
こういう時、麗はなんと声をかけていいかわからなかった。
1、「気にすんな、女なんて星の数ほどいる。男もだけどな」
2、「辛かったな、俺のこの平らな胸でよかったらいつでも貸すぜ」
3、「取り敢えずカラオケ行く? 音痴だけど許してね」
(どれも違う気がする)
「麗ちゃん、本当に深刻にならないで。その後に付き合っていた子もいたし」
思い悩んでいるのが顔に出ていたのだろう、角田が慌てて手を振っている。
「それより、俺は麗ちゃんが須藤先輩と結婚していた方がびっくりだよ」
角田は姉が出演していた経済番組を見て知ったのだろう。
(あれ?)
麗ちゃんと呼ばれたことに引っかからないわけではなかった。
だが、確かサークルではそう呼ばれていたし、昔の感覚が戻ったのだろう。
「ああ、そうなの。私もびっくりしてる」
「しかし、麗ちゃんが昔から須藤先輩を想っていたなんて、俺、全然気づかなかったな。仲の良い兄妹みたいな感じだと思ってた」
「ああ、あれは姉さんが脚色したというか……」
「え?」
角田が眉をひそめたので麗は慌てて取り繕った。
「いや、えっと、姉さんったらちょっと大げさに言ったの。でも、そのおかげで、すっかりお茶の間のスターになって、今業績も上向いてきているの。凄いでしょ! 角田君のCMもきっと注目されるよ」
「そっか、ならよかった。ところで、ここの社食美味しいね」
「良かった、お口に合って。最近、業者変わってん」
角田が話を変えてくれたので、麗は頷いた。
「ほんとにうまい。前に意識高い探偵久問の現場で演者さんが差し入れしてくれた高級カレーより旨い!」
「えっ、角田くん、意識高い探偵久問のスタッフなの? えー、あれ大好きやねん!」
「下っ端だよ、下っ端。それに今は違うし」
「それでも凄い!」
意識高い探偵久問は麗が一番好きな探偵ドラマだ。
そのエニグマは既にソリューションしている、という決め台詞の意識の高すぎる探偵の久問が相棒を疲弊させつつ事件を解決していくテレビシリーズだ。
俄かにテンションがあがった麗に、角田が久問役の俳優は本当に意識が高いやら、最近、番組が長く続きすぎているせいで英字新聞とカフェでラップトップは当たり前、最早意識の高さを示すネタがつきかけているなど、裏話をしてくれた。
それで、麗は随分と角田と打ち解けた。
互いに大人になったということだろう。
角田は嫌味を言わなくなったし、麗もビクビクしなくなった。
そうなると、テレビっ子という共通の話題もあり、角田とは結構話が合う。
姉や明彦はニュースしか見ないし、継母はハガキ職人をしているほどの根っからのラジオ派でテレビをそもそも見ない。
そして、父とは話したくもなかった。
そんな環境下の麗にとって、お笑いからメロドラマまで語り合える相手は貴重なのだ。
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