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ふく。
『主様であれない主様』
4話 あなたは一体?
屋敷は、静かだった。
あの騒ぎが嘘のように、すべてが整えられている。
血の跡も、割れたものも、何も残っていない。
ただ――
空気だけが、違った。
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「容体は安定していますよ」
ルカスの声が落ちる。
「命に別状はない。安心していい」
その言葉に、わずかに肩の力が抜ける。
「……そう、ですか」
小さく返す。
それだけだった。
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「主様」
呼ばれて、顔を上げる。
ベリアンが立っていた。
いつも通りの穏やかな表情。
けれど、その奥が読めない。
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「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……はい」
断る理由は、なかった。
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通されたのは、応接室だった。
重い扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
中には、すでに何人かの執事が集まっていた。
ハウレスはいない。
代わりに――
ロノ、ナック、フェネス、ルカス。
そして、ベリアン。
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「……何か、ありましたか」
視線が、集まる。
逃げ場がない。
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「率直にお聞きします」
ナックが口を開く。
無駄のない声音。
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「あなたは、一体何者ですか」
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空気が、止まる。
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「……え」
理解が、追いつかない。
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「主様であることは事実です」
ナックは続ける。
「ですが、その振る舞いはあまりにも異質だ」
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「命令ができない」
「にも関わらず、指示は完璧」
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「まるで――」
一瞬、言葉を区切る。
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「長年仕えてきた執事のようだ」
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胸が、強く跳ねる。
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「……」
言葉が出ない。
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「否定は、なさらないのですね」
ナックの視線が鋭くなる。
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「……分からない、だけです」
ようやく出た声は、かすれていた。
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「分からない?」
ロノが眉をひそめる。
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「記憶が……曖昧で」
視線を落とす。
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「でも……」
言葉が、止まる。
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思い出したくない。
触れたくない。
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それでも。
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「“仕えていた”感覚は、あります」
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沈黙。
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誰も、すぐには何も言わなかった。
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「……やっぱりな」
ロノが小さく呟く。
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「昨日の動き、完全にそっちだったし」
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「ですが、それでは説明がつかない点もあります」
フェネスが静かに言う。
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「主様としての権限は確かにある」
「私たちも、それを“理解している”」
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「にも関わらず、本人に自覚がない」
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ルカスがくすりと笑う。
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「ねじれてるね」
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「……ねじれてる?」
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「本来なら、“主である”という認識が先に来る」
ルカスはゆっくりと言葉を紡ぐ。
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「でも君は違う」
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「“仕える側の自分”が先にある」
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「その上に、無理やり“主”が乗ってる」
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「だから、噛み合わない」
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息が、詰まる。
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その通りだ。
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言われて、はっきり分かる。
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「……じゃあ、どうすればいいんですか」
思わず、口にしていた。
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「主様として、振る舞えばいい」
ナックが即答する。
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「簡単なことです」
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「……できないから、困ってるんです」
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少しだけ、声が強くなる。
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「できない?」
ナックの目が細まる。
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「“できない”で済ませるおつもりですか」
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「それが、主様として許されると?」
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言葉が、刺さる。
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何も、言い返せない。
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「……やめてください」
フェネスが一歩前に出る。
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「責めても、意味はありません」
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「現状を整理するべきです」
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「整理?」
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「主様は、“主でありながら執事でもある”」
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「その矛盾が、今の問題です」
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ロノが舌打ちする。
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「面倒くせぇな……」
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「でもよ」
視線が、こちらに向く。
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「さっきの、助かった」
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「……え」
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「ハウレスの時」
ロノはまっすぐに言う。
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「主様じゃなくても、あれは……すげぇ助かった」
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胸が、揺れる。
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「……それは」
言葉が、続かない。
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嬉しいのか、違うのか。
分からない。
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「ですが」
ナックが口を挟む。
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「それでは不十分です」
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空気が、また冷える。
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「我々は“主様”に仕えている」
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「執事にではない」
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はっきりと、線を引かれる。
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「……」
何も言えない。
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分かっている。
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自分は、どちらにもなれていない。
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「主様」
ベリアンが静かに呼ぶ。
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顔を上げる。
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「あなたは、“主様”です」
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その言葉は、優しいのに。
逃げ道を、塞ぐ。
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「ですが――」
一瞬、間を置く。
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「それだけでは、足りない」
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心臓が、強く打つ。
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「……っ」
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「貴方は一体、何なのですか」
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静かに、問われる。
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答えられない。
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答えなんて、ない。
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「……私は」
口を開く。
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震える。
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「……分からない」
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それしか、言えなかった。
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沈黙が、落ちる。
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誰も、否定しない。
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誰も、肯定もしない。
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ただ――
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距離だけが、確かに生まれていた。
4話 終わり
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