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らーゆさん
265
莉太@一時活動休止
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「……俺のことぉ……きらいになった?」
そんな事を言いながらも、本人は笑っていた。
らっだぁの動きが止まった。首元を嗅いでいた顔がそのまま固まる。
数秒の沈黙。それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……は?」
一音。低く、短く。聞き間違いかと思ったような、あるいは聞いた言葉を処理できなかったような。
ぐちつぼの両頬を片手で挟むように掴み、顔を固定した。逃げられないように。目を逸らせないように。
「なんで、そうなるの?」
笑っていた。口角は上がっている。でも青い目の奥が真っ暗だった。光を吸い込む穴みたいに。
「俺がきらいになるわけないじゃん。ねぇ。なんでそんなこと聞くの?誰かに言われた? あのおねーさん? そいつがそう言ったの?」
声が段々と早口になっていく。質問が重なる。答えを待つ余裕がない。
ぐちつぼの顔を掴む手に力がこもった。ぎり、と骨が鳴りそうなほど。
「俺がぁ、ぐちつぼのこと嫌いになるわけないでしょぉ?」
それは愛の告白——というには程遠い。もっと粘度の高い、底なし沼の入口だった。
「……なのにぐちつぼはぁ、他の女のとこ行くんだぁ。ふぅん。そっかぁ。」
「……て、つめた。」
らっだぁの手に擦り寄るように、その手をぐちつぼ自身の手でそっと触れた。
ぴくり、と指が反応した。
怒りで強張っていた手が、一瞬だけ緩んだ。ほんの一瞬。けれどすぐに握り直す。
「……冷たい、ねぇ。」
らっだぁはその手を見た。自分に触れているぐちつぼの指。細くて白くて、少し震えている。
その手首を掴んで、引き寄せた。ぐちつぼの身体ごと。うつ伏せに引っくり返すようにして上に乗る。
重い。170㌢以上はある男がのしかかっている。酒でふわふわした頭には、その重さが現実味を持って届かないかもしれない。
「ねぇぐちつぼぉ。」
耳元で囁く。吐息が首にかかる距離。
「さっきの質問、答えてないよぉ。「きらいになった?」って聞いたよねぇ。」
ぐちつぼの背中にらっだぁの体重が乗っている。身動きが取れない体勢。腰のあたりに硬いものが当たっている気がするが、酔っている頭では判別がつかないかもしれなかった。
「なんでそんなこと聞いたのかぁ、ちゃんと教えてぇ?」
甘ったるい声。けれど腰を押さえつける手は万力のように強い。
「答えるまで、離さないからねぇ。」
ぐちつぼが答えようとした、その時。らっだぁがふと視界の端に何かを捉えた。
ベッド脇のゴミ箱。中身が溢れかけている。コンビニ弁当の空容器、ペットボトル、ティッシュ。その中に紛れて、ぐしゃぐしゃに丸められたノートが一つ。
目が吸い寄せられた。
見覚えがある。ぐちつぼがいつも持ち歩いていた日記帳。表紙が破れ、ページが何枚か剥がれ落ちている。誰かに投げつけられたか、自分で叩きつけたか。とにかくまともな状態ではなかった。
「……なにこれ。」
のしかかったまま、空いた手を伸ばした。ゴミ箱から引っ張り出す。
ぱりぱりと乾いた音を立ててページを開く。読めない箇所もある。ぐちゃぐちゃに書き殴られている部分もある。
だが、読めた部分だけで十分だった。
「今日も誰かと電話してた」
「また女の声」
「俺って何なんだろう」
「消えたい」
——殴り書きの文字がびっしりと並んでいた。
ぺらり、ぺらりとページをめくる手つきは丁寧だった。まるで大切な遺品を検分するように。
そして最後のページ。そこにはこう書かれていた。
らっだぁに殺される夢を見た。目が覚めても心臓がばくばくしていた。もう限界かもしれない。
ぱたん、と日記を閉じた。
らっだぁの呼吸音だけが部屋に響いている。
「……ふぅん。」
声のトーンが消えた。
らっだぁの視線は日記にこびりついた血痕に釘付けになっていた。茶色く変色しかけた赤黒い染み。ペン先から滲んだものか、それとも。
日記を持つ手が微かに震えていた。
「ぐちつぼぉ。」
背中の下で、もう瞼が落ちかけているぐちつぼを揺すった。強く。
「起きてぇ。ねぇ。起きろってぇ。」
声は柔らかい。いつものほんわかした口調。だが揺する手は容赦がない。頭をがくがくと前後に揺さぶる。
ぐちつぼの髪を鷲掴みにして顔を持ち上げ、自分の方に向かせた。焦点の合わない目と目が合う。
「この血ぃ、なにぃ?」
日記の開いたページを、ぐちつぼの目の前に突きつけた。破れた表紙、血の滲み、乱れた文字。
「俺に殺される夢ってぇ、どゆことぉ? 殺してほしいのぉ? ねぇ。」
問いかけの形をしているが、声の底に溜まっているのは純粋な困惑でも怒りでもなかった。もっと根深い、どろりとした何か。自分の所有物が壊れかけていくのを目の当たりにした人間の、歪んだ執着。
「……殺せばいいじゃん、し〜らない。」
他人事のように吐き出されたその言葉が、暗い寝室の空気を凍りつかせた。
数秒間、呼吸すら止まっていた。背中を向けて寝返りを打ったぐちつぼを見つめたまま、瞬きすらしない。
それから、ふ、と息を漏らした。
笑ったのだ。
「あは。」
短い笑声。乾いていて、軽くて、どこか壊れた音だった。日記がぱさりとシーツの上に落ちる。
「ころしていいんだぁ。」
らっだぁはゆっくりと、後ろから抱きしめるように腕を回した。優しく。まるで恋人にするみたいに。首に回した腕にじわりと力を込めていく。
「じゃあさぁ。」
耳のすぐ横で囁く。
「死ぬ前にぃ、全部教えてぇ? なんで俺に殺されたいのぉ? 日記に書いてあったよねぇ、消えたいってぇ。あの血はぁ? 誰にやられたのぉ、それとも自分でやったのぉ?」
ぎゅう、と抱き締める力が強くなる。頸動脈を圧迫するかしないかの境界線上。酔った頭では判断がつかないだろう、その絶妙な力加減。
「答えてくれるまでぇ、このままねぇ。」
しかし、抵抗がない。何もしない。ぼんやりと天井を見つめているのか、それとももう何も見ていないのか。
ぐちつぼから返ってくるのは酒混じりの浅い呼吸だけだった。「し〜らない」と言ったきり、口を開かない。
それが、一番怖かった。
怒鳴られる方がまだましだ。殴られる方がまだいい。反応がある限り、まだ繋がっている気がする。でも今のぐちつぼは、まるで糸の切れた操り人形のように力を失っている。
「……ねぇ。」
首に回していた腕がずるりと解けた。抱きしめていた身体を仰向けにひっくり返す。ぐちつぼはされるがまま、ごろんと転がった。
目を見る。焦点が合っていない。とろんとした瞳は開いているのに何も映していなかった。まるで魂だけがどこかへ行ってしまったような。
「ぐちつぼ。」
頬を軽く叩いた。ぺち、ぺち。反応がない。
らっだぁの表情から、すっと色が抜けた。
いつもの甘ったるさも、底冷えする怒気も消えて、残ったのは剥き出しの動揺だった。唇が震えている。
「……やだ。」
小さく、掠れた声。
「やだやだやだ。ねぇ起きてよぉ。俺のこと見てよぉ。」
返事がない。頬を叩いても、揺すっても。ぐちつぼの瞳は開いたまま天井を映しているのに、そこにらっだぁは存在していなかった。
酔いが回っているだけ、と考えることもできる。だがそれにしては様子がおかしい。酒で意識が飛ぶにしても、ここまで急に反応が途絶えるものだろうか。
手首を掴んだ。脈を探る。
……ある。弱いが、確かにある。とくとくと、怠惰なリズムで血液を送り出している。
ほっとしたのも束の間、別の不安が首をもたげた。
この脱力の仕方は知っている。昔、浮気相手の一人に似たような症状が出たことがあった。薬を飲んでいた女。笑いながら、何も感じなくなっていた女。
「……なんか飲んだ?」
問いかけるが、返答はない。当たり前だ。
らっだぁはベッドから飛び降りた。キッチンへ走る。棚を開ける。カトラリー、調味料、カップ麺。引き出しを片っ端から開けていく。
冷蔵庫を開けた瞬間、手が止まった。
奥の方に転がっていた、半分空になった缶チューハイ。その隣に、見覚えのない瓶が一本。ラベルには処方薬の文字。
震える手で瓶を掴み上げる。中身はほぼ空だった。
ラベルを読む。睡眠導入剤。市販のものではない。病院でしか出ない量の。
瓶を持ったまま、ふらりと寝室へ戻った。
空のぐちつぼを見下ろして、らっだぁの中で何かがぷつんと切れた音がした。
しゃがみ込んで、空っぽのぐちつぼの顔を両手で包んだ。
温かい。体温はある。脈もある。なのに、中身だけがどこにもない。まるで精巧に作られた人形の皮を被せられたみたいだった。
「……どこの病院?」
独り言のように呟いた。瓶のラベルをもう一度見る。医療機関の名前が印字されている。見覚えのないクリニック名。
いつから通っていた? いつ処方された? 全く気づかなかった。女遊びに夢中で、同じ家に住んでいる人間が何を飲んで何を書いて何を考えていたか、何も知らなかった。
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
怒りの矛先が定まらない。ぐちつぼに対してなのか。自分に対してなのか。「しらない」と他人事のように言い放ったあの声が頭の中でリフレインしている。
スマホを取り出した。時刻は午前四時。救急に電話するか。いや、何を説明する。睡眠薬を大量に飲んだかもしれない、でも確証がない、ただぼーっとしているだけで。
指が画面の上で止まる。
「……死なないよねぇ?」
誰に聞いているのか分からない問いかけが暗闇に溶けた。返答は、なかった。
コメント
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「ねぇ。」の一言に、これだけの重さと鋭さが詰まるんだなって思いました。らっだぁの甘ったるい口調の裏にある、どろりとした執着と不安がひしひしと伝わってきます。日記帳の血痕、睡眠薬の瓶——積み重なった「気づかなかった」が、読んでるこっちの胸も締め付けます。反応が途絶えたぐちつぼを前に、剥き出しの動揺を見せるラストの温度差が、本当に怖くて切なかったです。続きが気になります……。