第9話「舞台の灯、君の隣」
本番前の楽屋。
鏡の前でメイクを整える類の横顔は、
いつもより静かで、どこか張りつめていた。
「緊張してる?」
「……少しね」
「珍しい」
「君が観てると思うと、完璧でいたくなるんだよ」
ゆいは笑おうとして、言葉に詰まった。
嬉しいのに、心の奥が少し痛んだ。
──完璧じゃなくていいのに。
だけど、類の集中を邪魔したくなくて、
その言葉は飲み込んだ。
***
そして、本番。
照明が上がる。
観客のざわめきが遠のき、
舞台の中央に立つ類の声が響く。
堂々としていて、まるで別人みたい。
さっきまで隣にいた彼が、
今は手の届かない場所にいるように感じた。
でも、物語の中で目が合った瞬間──
類の視線が、確かにゆいを捉えた。
演技の中の一瞬。
その目が、静かに「大丈夫」と語っていた。
胸の奥が熱くなる。
不安も、距離も、全部消えていく。
***
終演後。
舞台の熱がまだ残る中、
裏口で二人きりになった。
「……すごかったよ、類」
「ありがとう。君のおかげで、最後まで演じきれた」
「私、途中で不安になって……類が遠くに行っちゃう気がして」
ゆいがぽつりと漏らすと、
類は少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
そして、そっと彼女の頭を撫でた。
「僕はどこにも行かないよ。
舞台の上でも、観客の中でも、
君が見てくれる限り、僕は“ここ”にいる」
「……そんなこと言われたら、ずるい」
「君がそう言う顔、好きだから」
ふっと笑って、類はゆいの額に軽く唇を触れさせた。
照明の余韻が消えた劇場で、
二人の影だけが、静かに重なっていた。
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