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猛ダッシュで耀の元から走り去った和香は自宅周辺で足を緩める。
明るいし、別に課長見てないし、そろそろいっか、とブラブラ歩いた。
光に誘い込まれるように大きなディスカウントストアに入る。
飲み物でも買おうと思っただけだったが、いろいろなものがあるので、つい、ブラブラと眺めてしまった。
なんとなく、ブルーレイレコーダーを眺めていると、
「なに見てんだ?
買い換えるのか?」
と声がした。
振り返ると、黒いパンツのポケットから髑髏のキーホルダーをぶら下げた男が立っていた。
羽積だ。
「あー、お疲れ様です、こんばんはー」
と会社で言う定型文のような挨拶を返す。
「別に疲れてないが」
と言いながら横に立つ羽積に、
「いやー、ここって遅くまでやってるじゃないですか。
深夜に家のすぐ側でテレビ買えたり、ブルーレイレコーダー買えたり、扇風機買えたりするのってすごいな~って、しみじみ思って眺めてたんです」
と言う。
「深夜にテレビや扇風機買う機会があるのか?」
「ふと思い立って髪が切りたくなるみたいに、買いたくなるかもしれないし。
夜中にいきなり壊れるかもしれないし」
なるほど、と言いながら、羽積はブルーレイのディスクを見ていた。
「それ買いに来たんですか?」
「いや、カップ麺」
とディスクを手にしたまま、言う。
「いいですね、カップ麺。
私も買おうかな」
じゃあ、と和香は頭を下げて、その場を去った。
今日はいい日だったな、なんとなく、と思いながら、アパートを見上げたあとで、和香は、ふと気づいて、スマホを見た。
『帰ったのか?
着いたら電話しろ』
と耀からメッセージが入っている。
おっと。
ほんとに酔ってても、頭はしっかりしてるんですね。
これは迂闊なこと、話せないな、と思いながら、
『もうちょっとでアパートです』
と入れるとすぐに返事があった。
『あのスピードで帰ったのに、今、アパートって、おかしいだろ?』
『走って疲れたので、飲み物を買いに寄りました。
もうお休みかと』
『お前が無事に帰ったかどうか、確認しないと心配で眠れないだろうが』
……なんだろう。
なんかちょっとホッとするメッセージだ、と和香は思う。
保存しときたくなる、と思ったが、スクショしかけてやめた。
そのとき、背後から、
「お疲れ」
と真っ赤なエコバッグを手にした羽積が現れた。
「あ、お疲れ様です」
と階段近くにいた和香は少し避ける。
カンカンと階段を上がっていく羽積の後ろ姿を見ながら、ぼんやり思う。
……エコバッグは髑髏じゃないんだ?
なんで可愛い感じの赤色なんだろ。
そう思ったあとで、自分が小脇に抱えているビニール袋を見た。
袋詰めのところにある小さなビニール袋だ。
かなり無理な感じに、カップ麺とスポーツドリンクが突っ込まれている。
……私より髑髏な羽積さんの方が、生き方、堅実な気がするな。
朝、和香は耀とロビーで出会った。
自動販売機の挽きたて珈琲を飲んでいたらしい耀が言ってくる。
「酔っててあのスピードで走ってたら、道路交通法違反で警察に捕まらないか?」
「なんの罪でですか?」
「酒気帯びと速度超過だろう」
「……いや、歩行者なんで」
切符を切られることはないと思いますね。
人生にダメ人間の烙印を押されることはあるかもしれませんが……と思いながら、和香は聞いていた。
やはり、昨日は男として、送っていくべきだったよな、と思いながら、耀は和香の後ろ姿を見送っていた。
和香はエレベーターの前で出会った常務と談笑しはじめる。
企画事業部が仕切った社のイベントのとき、常務も来ていて、仲良くなったらしい。
微かにもれ聞こえてくる声に、つい、耳を澄ましていると、
「いや~、私、一人っ子なんで」
と笑う和香の声が聞こえてきた。
えっ?
一人っ子っ?
姉は何処へ消えたっ。
蚊を連れ込まれた姉はっ!?
と思ったとき、真横で声がした。
「なんだ、蚊を連れ込まれた姉って」
同期の藤川時也が立っていた。
どうやら、心の声が口からもれてしまっていたらしい。
時也はちょっとホスト風の色男で、初対面のとき、こいつとは話が合いそうにないと思ったのだが。
正反対のタイプなのがいいのか、なんだかんだで、よく一緒にいる。
「あ、和香ちゃんだ。
あの子、あの年入社の子の中では一番美人だよね」
「……そうか?
いやまあ、見かけはそうかもしれないが、あの性格で大きくマイナスだと思うが」
「ざっくばらんでいいじゃん。
っていうか、お前が同期でもないし、同じ職場でもない女子を個別に認識してるとは思わなかったな。
へー、そうか。
石崎和香ちゃんねえ」
と言って、何故か笑う。
深読みすんな、と思った。
石崎とはただ、酔って家まで送ってもらって。
……酔って家まで送ってもらっただけだ、と思ったあとで。
二回とも、ほんとうにただ、酔って送ってもらっただけだったな、と気づく。
「和香ちゃーん」
と時也が手を振ると、和香はちょうど常務との話が終わったところだったらしく、ぺこりと頭を下げてこちらにやってきた。
三人で社内のどうでもいい話を少し話す。
「じゃあね」
と時也が先に行ってしまったあとで、和香を見た。
「……お前、お姉さんがいるんじゃなかったのか」
とどうしても気になったので訊いてみる。
だが、和香は、にこ、と笑って言った。
「やだな、課長。
私は一人っ子ですよ」
じゃあ、失礼します、と和香は行ってしまう。
そろそろ俺も行かなければと思いながらも、そこに立ち尽くし、いろいろと考える。
まあ……姉といっても、従姉とかかもしれないよな。
おばさんのことかもしれないし……。
そう、きっと、そんな単純なことだ。
だって、あのぼんやりした石崎のことだから。
……でもなんか怖いから、この件に関しては、追求するのはよそう。
そう耀は心に決めた。
仕事中に他のことを考えることはまずないのに。
今日はふと、和香のことが頭に浮かんだ。
あいつの姉について追求することを、何故、怖いと思ってしまうんだろう?
どうせ、たいした話じゃないと思うのに。
怖いと思ってしまったのは、もしかして――。
なにかの弾みで、石崎が俺を遠ざけるようになったりしたら嫌だから?
なんでそんなに石崎ごときの言動が気になるのか……。
耀は仕事のときと同じように、今の自分の状況を冷静に分析しようとした。
だが、すぐにやめる。
このまま分析をつづけていくと、『自分がかなり、和香のことを好き』という結果になってしまいそうだったからだ。
共に一夜を過ごしたのなら、責任とらねばと思っただけで。
この俺が一晩で急速に恋に落ちるとかないからな、
と時也に聞かれたら、
「いや、それだけのことで責任とられても、女の子も迷惑だと思うよ」
と言われそうなことを思う。
でも、一晩共に過ごしただけじゃないよな。
一緒にトンカツ屋に行ったし。
カツ丼屋にも行ったし。
……カツばっかり食ってるな。
なんかもうちょっとムードのある店に行くべきだろうか。
でも、あいつの話自体がムードないからな。
ゴジラにガメラに、燃えてゴミ袋の話。
あとは、おねえちゃんと蚊だ。
二人きりになっても、まったく、いい雰囲気にならない原因は俺よりもあいつにあるのでは……?
そんなことを考えているうちに昼になり、社食に行くと、後ろの席が和香になった。
味噌汁が美味い、ヒレカツ定食を食べながら、なんとなく和香の話に耳を澄ます。
「そうなんですよ。
それで、うち、プチトマトが森みたいになってて。
庭中に大繁殖して、冬でも、ずっとなってたんですよ」
プチトマトの森……。
ちょっとファンタジーな感じだ。
「プチトマト、ほんとに、すごい繁殖力ですよね。
庭一面に広がったプチトマト見てると、人間って、なんてちっぽな存在なんだって思って。
人類がプチトマトに勝てる未来が見えてこないんですよね……」
しみじみと語る和香に、戦おうとするなよ、プチトマトと、と思う。
っていうか、プチトマトに勝てない人類ってなんだよ。
せめて、トマトと戦え、と思ったとき、美那が、
「まだ繁殖してんの? そのプチトマト」
と和香に訊いた。
「さあ?
最近、実家帰ってないので」
実家っ。
姉っ、と忘れようと思っていた、謎の姉のことが頭に蘇る。
「そういえば、あんたって、イケメンのお兄さんとかいないの?」
「えっ?
なんでですか?」
おい、蒼井っ
兄じゃなくて、姉の話を聞けっ、と思ったが、美那は特に姉には興味ないらしい。
「あんたのおにいちゃんだったら、高身長でイケメンなんじゃないかと思って」
「兄はいませんが、姉ならいます」
やはりいるのか、姉っ、と思ったとき、和香の隣にいた彼女の同期の松本由梨が、
「やったっ。
ライブチケット当たったっ」
とスマホを手に立ち上がる。
「えっ?
誰のライブッ!?
手に入りにくいやつっ?」
と他のテーブルの奴まで話に混ざってきて、姉の話は何処かに流れていった。