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それは十六年前に遡る。木々の間から木漏れ日が差し込み、森は静寂に包まれていた。あの頃の咲莉那は森の中で昼寝をするのが日課であの日もいつものように昼寝をしていた。
咲莉那は突き刺さるような視線を感じ、思わず目を開けた。その視線の主は、赤い炎のような鱗に包まれた巨大な火龍だった。目の前に跪くその姿は、まるで夢の中の出来事のようだ。
「あなたは秩序の守護者となる者。」火龍は低く力強い声で言った。その目はまっすぐに咲莉那を見つめている。「どうか俺の主(あるじ)となってください。」
咲莉那は火楽の力強い目を見つめ、深呼吸をした。「分かった。私、あなたの主になる。」と、彼女は静かに告げた。
火楽は彼女の言葉を聞いて深く頭を垂れ、儀式の準備を始めた。彼女の前に炎で描かれた巨大な円が現れる。その中心には契約の陣が浮かび上がっていた。
「主となる者は自らの血で契約の陣を完成させねばならない。」火楽の低い声が響いた。咲莉那は手を小さく切り、その血を契約陣へと流した。赤い液体が陣を満たした瞬間、周囲の空気が震えたように感じた。
彼女は呪文を唱え始める。声は徐々に強さを増し、契約の力が彼女の中に流れ込むのを感じた。
「炎の力よ、秩序の守護者として我が魂を委ねる。我が血と我が決意をもって、この誓いを果たす。火龍・火楽よ。我に汝の力を授けよ!」
呪文が終わると、火楽の体から炎が渦を巻き、咲莉那の体を包み込んだ。その瞬間、彼女の首元に銀と赤の金属で作られた首飾りが現れた。その中央には燃えるような赤い宝石が嵌め込まれており、宝石の中で炎が揺らめくかのように光を放っていた。 それは契約の証であり、彼女が正式に火楽の主となったことを示していた。
「これで、契約は成立しました。」火楽は力強く言い、咲莉那の前に深く頭を垂れた。「私はあなたの忠実な守護者となります。」
咲莉那は首飾りを軽く触れながら、小さく頷いた。これから始まる使命への期待と責任を胸に刻み、彼女の運命は大きく動き出した。
その後、火楽とともに日常を過ごす中、彼女の名声は静かに広がっていた。「火龍の火楽様が新しい主を見つけられた。」という話は瞬く間に広がり、そして二年後ついにはある訪問者を引き寄せた。
村の静かな広場に、鋭い足音が響いた。振り向くと、副司令官・冥央が立っていた。彼の鋭い目が咲莉那と火楽を見つめる。
「火龍使い・咲莉那様。」冥央は一礼して低い声で言った。「白華楼に来ていただけませんか?最高司令官がお呼びなのです。」
突然の呼びかけに、咲莉那は驚いた様子で火楽を見上げた。火楽は静かに彼女を守るように前に進み、冥央を鋭く見つめた。その赤い鱗が微かに輝いた。
咲莉那は迷うことなく承諾した。そして、冥央に連れられて向かった先は白華楼の中心部にある最高司令官の事務室だった。
事務室の奥には重厚な机が置かれ、壁には古い地図や白華楼の紋章が飾られていた。咲莉那は室内を見回しながら、緊張した様子で立ち尽くしていた。
「仙霧様、咲莉那様をお連れ致しました。」冥央が一礼しながらそう言うと、部屋の奥から静かで威厳ある声が響いた。
「入りなさい。」
咲莉那は胸の高鳴りを感じながら、冥央とともに部屋へ足を踏み入れた。机の後ろに座るのは、白い髪と深く刻まれた皺が印象的な年老いた男だった。その瞳には、長い年月を経てきた者の鋭さと重みが宿っている。
「火龍使い・咲莉那殿。」仙霧はゆっくりと頷きながら、低い声で語りかけた。「あなた様のここ、二年間の活躍は聴いている。さすがは秩序の守護者ですな。」
咲莉那はその言葉に思わず息を呑んだ。自分の行動がここまで評価されているとは思わなかったのだ。
「そこで、私からお願いがあるのだ。」仙霧は目を細め、さらに言葉を続けた。「白華楼に入り、白華楼の正義を共に担わぬか?」
咲莉那は仙霧の言葉に耳を傾けながら、自分の胸の内でさまざまな感情が渦巻くのを感じた。二年間、火楽とともに秩序を守り続けてきたことに誇りを持つ一方、白華楼という組織の重責を担うことへの不安もあった。
仙霧は静かに言葉を続けた。「白華楼は、力だけではなく、秩序と正義を守るための意志を持つ者たちの集まりだ。君の力は、その意思を実現するために必要不可欠なのだ。」
咲莉那は視線を落としながら考え込んだ。果たして自分にその重責が務まるのだろうか。しかし、火楽の力を託された日のことが頭をよぎる。火楽は自分を守り、支えてくれる存在だ。そして、自分にもやれることがあるはずだ――そう信じたい。
火楽が彼女の肩越しに小さく語りかけた。「主様が信じる道を選んでください。俺はどこまでも主様と共にいますよ。」
その言葉に背中を押された咲莉那は、深呼吸をして仙霧を見つめ直した。「私、やってみます。白華楼で正義を担います!」
仙霧はその答えに満足げに頷き、ゆっくりと椅子から立ち上がった。「君の決意に感謝する。これで白華楼はさらに強くなるだろう。」
こうして咲莉那は歴代最年少隊員として白華楼に入隊した。
彼女は、瞬く間に成長し、隊員たちから慕われていた。
入隊直後から、咲莉那は火楽とともに厳しい訓練に取り組んだ。その小さな体からは信じられないほどの力が発揮され、訓練場では彼女の存在が注目を集めるようになった。「あの年齢でここまで動けるとは…」隊員たちは驚きと尊敬の眼差しを向け、次第に彼女の名が白華楼の中で広まっていった。
さらに、咲莉那はその小柄な体と高い集中力を活かし、気配を消して静かに敵陣に潜入する能力を発揮した。その技術は隊員たちに驚きを与え、「夜霧の姫」という尊称を得るまでになった。彼女が動き出すと、まるで夜霧の中に溶け込むようだと語る隊員もいた。
その力だけでなく、咲莉那は周囲への気配りや仲間を思いやる態度でも隊員たちから慕われた。厳しい訓練の中でも、疲れ果てた仲間を気遣い励ます姿は、彼女の真摯な性格を示していた。彼女はいつも火楽と共に周囲を助けることを優先し、「この小さい子がいるだけで、なんだか気持ちが軽くなる」と言われるほどの存在感を持つようになった。
訓練場では、火楽と一体となった圧倒的な戦闘能力が披露される度に隊員たちの歓声が響いた。彼女と火楽の絆が試練を乗り越えるたびに深まり、「火龍使いの咲莉那」という名は隊員たちだけでなく白華楼全体にとって誇るべき存在となっていった。
その四年後、白華楼に悲劇が訪れた。
深い夜、静まり返った白華楼の中心部にある事務室で、最高司令官の仙霧が倒れているのが発見された。机の上には乱れた文書が散乱し、室内には火の痕跡が残されていた。その胸には致命的な傷があり、彼の死は白華楼全体に衝撃を与えた。
副司令官の冥央がこの事件の調査を開始し、その鋭い目で現場を隅々まで調べ上げた。床に残された足跡、壁に焼け跡、机の上に残された痕跡――そのすべてが一つの結論を示していた。「犯人は咲莉那だ。」
冥央は証拠を慎重に分析し、現場に残された火の痕跡が、火楽の炎によるものだと断定した。また、机の上にあった一枚の紙には、咲莉那の名前が書かれていたことが決定的な証拠となった。「どうして咲莉那が…」白華楼の隊員たちは戸惑いと悲しみに包まれた。彼女はかつて組織にとって誇りであり、象徴的な存在だったのだから。
咲莉那が容疑者とされたその瞬間、彼女自身も深い困惑に陥った。「そんなはずがない!私は仙霧様を殺すなんて…」彼女の声は震え、目には涙が浮かんでいた。しかし、彼女の訴えは隊員に届くことはなかった。周囲の目は次第に冷たくなり、彼女は追放されるべき存在と見なされ始めていた。
白華楼の中で咲莉那を処刑することが決まった。
「彼女の存在は、もはや正義の象徴ではない。白華楼に混乱をもたらすだけだ。」上層部の会議で、副司令官の冥央は冷静にそう述べた。その言葉には、咲莉那がかつて示した力がどれほど脅威であるかが含まれていた。白華楼の最高司令官のみが扱える「秘伝技」と呼ばれる絶対的な力。それを目の当たりにして育った隊員たちは、咲莉那の成長した能力に同じような危機感を覚えていた。「処刑しかない」という声が上層部の中で大きくなり、ついに計画は動き出した。
しかし、その翌日、咲莉那と火楽は白華楼から姿を消した。
深夜、咲莉那は火楽とともに静かに廊下を進んだ。白華楼を抜け出すには、秘伝技で守られた要所を避けなければならなかったが、咲莉那の静かな動きと火楽の鋭い勘がそれを可能にした。「絶対に捕まるわけにはいかない…」心臓が胸を叩く音だけが耳に響く中、咲莉那は息を殺して前へ進んだ。外に出た瞬間、冷たい風が彼女の頬を撫でた。そのまま月明かりの下を駆け抜け、二人は険しい山道へと向かった。
山での生活は過酷だった。険しい岩場と冷たい風、乏しい食料――それでも咲莉那は火楽と協力して日々を乗り切った。火楽が狩りをして得た食料を分け合いながら、咲莉那は自然の中で自分の生存力を磨いていった。「ここで私たちは生き延びなければならない…」咲莉那は火楽にそう呟き、目の前に広がる深い森を見つめた。火楽は力強く頷き、「主様が選んだ道を共に歩むだけです。」と静かに語りかけた。
一方、白華楼では新たな動きが始まっていた。
仙霧の死と咲莉那の逃亡がもたらした混乱の中、冥央が最高司令官の座に就いた。最高司令官の象徴でもある秘伝技を引き継いだ冥央は、その重責を自覚しながら行動を起こした。「討伐隊を編成せよ。彼女を放置すれば白華楼の威信が揺らぐ。」冷徹な指示のもと、白華楼の精鋭たちが咲莉那討伐のために動き出した。
その半年後、白華楼は咲莉那を討伐するべく、彼女と火楽が拠点にしている山への攻撃を準備していた。討伐隊の準備が整い、出陣前夜の簡易的な宴が行われた。焚火を囲みながら、隊員たちは酒を酌み交わし、士気を高めていた。
「明日こそ、決戦のときだ!」最高司令官の冥央は立ち上がり、力強い声で叫んだ。「咲莉那を殺し、罪を償わせるのだ!」その言葉に、隊員たちは湧き立ち、次々に杯を高く掲げた。「咲莉那を殺し、罪を償わせる!」声が森の中にこだまする。しかし、その瞬間、周囲の空気が急に変わった。
木々はざわめき、焚火の炎が僅かに揺れ動いた。鳥たちが一斉に飛び立ち、不穏な気配が隊員たちを包み込んだ。「何だ…?」誰かが呟くと同時に、皆が警戒態勢に入った。武器を手に取り、森の暗がりに目を凝らす。
その静寂を破るように、咲莉那がゆっくりと姿を現した。黒色の衣が月光に照らされ、彼女の顔には悲しみと覚悟が宿っていた。彼女の足元には火楽が静かに佇み、その瞳には炎のような鋭い光が灯っていた。
咲莉那は低い声で静かに言った。「私が隊員を殺してないって、何度言えば分かってくれるの?」その言葉には深い悲しみと共に、怒りが滲んでいた。
隊員たちはその言葉に動揺しながらも、視線を冥央に向けた。冥央は席を立ち、静かに刀を抜いた。その刃は月光を受けて冷たく輝き、彼の表情には一切の迷いがなかった。
「火龍使い・咲莉那よ、そちらから出向いてくるとはな。好都合だ。」冥央は隊員たちに向けて声を張り上げた。「皆の者、数はこちらの方が上だ。恐れることはない。かかれ!」
その声とともに、隊員たちは一斉に動き出し、森は騒然とした。その瞬間、火楽が地を蹴り、咲莉那も構えを取った。戦いの火蓋が切られ、夜の森が炎と叫び声に包まれていった。
白華楼の隊員は一斉に咲莉那に攻撃を開始した。咲莉那も火龍使いの力で炎を操り、応戦した。しかし、咲莉那は仲間を殺したくなかった。そのため、自身の炎で相手を気絶させるだけにとどめていた。戦いが激しさを増したその時だった――。冬叶の声が響いた。
「咲莉那!」冬叶は咲莉那の名前を呼びながら必死に走り回っていた。混乱の中、彼女の小さな体は力の入らない足元でふらつきながらも、全力で駆け続けていた。「咲莉那!どこ…どこなの!」冬叶の声は咲莉那の耳に届き、彼女はその声の方向に顔を向けた。
だが次の瞬間、冬叶がつまずいて倒れてしまった。咲莉那は瞬時に動き、彼女の元へ駆け寄る。「冬叶!大丈夫?」咲莉那が尋ねると、冬叶は息を整えながら頷いた。「大丈夫。でも…」彼女の顔には焦りの色が見えた。「危ないから早く逃げて」と咲莉那が促すと、冬叶は小さな声で呟いた。「咲莉那、私…」
しかし冬叶が言葉を続ける間もなく、その視線が何かを捉えた。「咲莉那!危ない!」そう叫びながら、冬叶は力を振り絞って咲莉那を突き飛ばした。その瞬間、鋭い金属音が響き、白華楼の隊員が構えていた刀が冬叶を貫いた。
咲莉那の目は絶望に染まった。戦場に響いていた剣戟の音と隊員たちの声が遠ざかり、冬叶の体がゆっくりと地面へと崩れ落ちる光景だけが彼女の視界を支配した。
「違う…」冬叶を刺した隊員は混乱したように後ずさりしながら呟いた。「俺は…咲莉那を…」その言葉は言い訳にも似ていた。
「いやあああああ!」咲莉那の絶望、怒り、そして悲しみが一つに混ざった叫び声が響き渡り、彼女の力が暴走を始めた。炎は咆哮するかのように広がり、周囲を飲み込んでいった。咲莉那の赤い瞳は燃え盛る炎と同化し、まるで彼女自身が炎そのものとなったかのようだった。
炎は勢いよく広がり、木々を飲み込み、夜空を紅く染めた。隊員たちは叫び声を上げながら次々に吹き飛ばされ、戦場は地獄絵図と化した。
少したった頃、咲莉那が力を使い果たしたのか、倒れかけたときだった。
その瞬間、遠くから一陣の風が起こり、静かだった戦場に人影が現れた。それは火楽だった。彼の目は咲莉那を見つめると、迷いなく彼女に向かって駆け寄った。何も言わず、彼は咲莉那を優しく抱き上げると、瞬く間にその場を離れた。
隊員たちはその素早い動きに圧倒され、ただ茫然とその姿を見送るしかなかった。火楽は翼のように広げた衣をなびかせながら咲莉那を抱え、一気に夜空へ舞い上がり、森の奥へと消えていった。
炎が沈んだ戦場には静寂が訪れ、焦げた匂いだけが漂っていた。冥央様は険しい顔つきで隊員たちに指示を出した。「これ以上の深追いは危険だ!動ける者は治癒部門へ怪我人を引き渡せ!咲莉那討伐は延期とする!」その冷静な命令の後、隊員たちは重い足取りで治癒部門へ向かった。
あの日は多くの命が失われ、戦場に残された傷跡は白華楼全体に深い悲しみをもたらした。
その半年後、白華楼は再び咲莉那討伐に動いた。
冥央は地図を広げながら静かに言った。「今回は失敗は許されない。彼女を確実に捕らえ、火楽の動きも封じる。」冷たい眼差しの先には、咲莉那のいる山の詳細な情報が記された地図があった。「隊員たちよ、それぞれの役割を徹底せよ。準備を怠るな。」その声には冷静な指揮官の威厳が宿っており、討伐隊は緊張しながらも一心に準備を進めていった。
一方、討伐隊の中には不安と恐れを抱える者も多かった。
前回の戦いで仲間を失った者たちは、炎に包まれた地獄の光景を今でも夢に見るほどだった。「またあの地獄に戻るのか…」と呟いた若い隊員は拳を握りしめ、震えを隠そうとした。だが、それと同時に仲間を失った怒りも彼らの胸には渦巻いていた。「今度こそ必ず…咲莉那を…」復讐に燃える瞳が一部の隊員の中に宿っていた。
やがて、討伐隊は咲莉那と火楽のいる山の中に足を踏み入れた。深い森林に足を取られながらも、彼らは必死に咲莉那を探した。その頃、咲莉那は火楽と一旦別れ、木の影に身を隠していた。彼女の目は鋭く周囲を警戒し、できるだけ音を立てないように息を殺していた。
咲莉那は隙をついて静かにその場を抜け出そうとしたが、運命は彼女を逃してはくれなかった。一人の隊員がその姿を発見し、大声で叫んだ。「咲莉那だ!ここにいる!」その声は山中に響き渡り、他の隊員たちを引き寄せた。
咲莉那は振り返ると、必死にその場を逃げ出した。足元の枝葉が折れる音や追撃する隊員たちの足音が追いかけてくる。矢が空を切る音がし、咲莉那の身体を掠めたり、時には肌を突き刺した。「くっ…」咲莉那は痛みをこらえながら、逃げ続けた。
しかし、とうとう咲莉那は追い詰められた。
木々の間に閉じ込められ、前後を隊員たちに囲まれた彼女は息を切らしながら、鋭い目つきで相手を見据えた。一人の隊員が鋭く言い放った。「火龍(ひりゅう)使い、咲莉那め…今日こそお前を殺し、罪を償ってもらう!」その言葉に呼応するかのように、周囲の隊員たちも声を上げた。「咲莉那を殺せ!」隊員たちの声が響き渡り、戦場の空気が一層緊張に包まれる。
その瞬間、広範囲の術が彼女に向けて展開され、一斉に咲莉那へ降り注いだ。光と力の奔流に囲まれ、咲莉那は動くことができなかった。「ああ、避けられない…」そう心のどこかで諦めた声が響き渡る。咲莉那は静かに目を閉じ、来るべき瞬間に身を委ねた。
だがその時、不意に響く声が彼女を現実に引き戻した。「主様!」その声ははっきりと、咲莉那を呼んでいた。
術の光が消えると、そこには静寂が訪れた。光の余韻に目が慣れない隊員たちは息を飲み、あたりを見回した。だが、そこに咲莉那の姿はなかった。ただ黒く焦げた大地と揺れる残り火が、その場に残されていた。
「咲莉那が消滅した!咲莉那を討伐したぞ!!」冥央は大声で叫んだ。その言葉を合図に、隊員たちの間から歓声が湧き上がる。「ついに…ついに終わったんだ!」彼らは互いに勝利を称え合い、笑顔を浮かべた。復讐を果たした達成感がその場を満たしていった。
だがその時、誰も気づかなかった――黒く焦げた地面の隅に、微かに残った足跡のような痕跡があったことを。煙の間から見え隠れするその跡は、まるで咲莉那がそこを去ったかのような痕跡だった。その場を去る隊員たちの背後で、その微かな印は静かに消え去っていった。
暗い森の中、木にもたれ、息を荒くしている咲莉那の姿があった。
月明かりが木々の隙間から差し込み、彼女の顔を淡く照らしていた。実はあの時、術が降り注ぐ直前に火楽が現れ、咲莉那を間一髪で救い出したのだ。だが、その代償は大きかった。
咲莉那の腹部からは止めどなく鮮血が溢れていた。火楽はその傷口を必死に押さえながら、「主様、しっかりしてください!」と声を震わせた。彼の手は血で赤く染まり、どれだけ力を込めても血が止まる気配はなかった。
咲莉那は薄れゆく意識の中で、火楽の声をかすかに聞きながら、自分の命が燃え尽きようとしていることを感じていた。「まだ…終わらせるわけには…」彼女は弱々しく呟き、火楽の顔を見上げた。その瞳には、まだ消えない強い意志が宿っていた。
「咲莉那様!?どうなされたのですか?」
暗い森の中、突然現れた妖怪たちが驚きの声を上げた。彼らの姿は木々の間から現れ、咲莉那の血に染まった姿を見て動揺していた。火楽は彼らに向かって声を張り上げた。「白華楼に殺されかけた。頼む、手伝ってくれ!」その言葉には切迫した思いが込められていた。
妖怪たちは一瞬顔を見合わせた後、まとめ役の妖怪が力強く頷いた。「なるほどそうなんですね。分かりました火龍様!」彼は周囲の仲間たちに向かって鋭く命令を飛ばした。「おい!お前ら、速く薬草を取りに行くぞ!そこのお前は他のやつらに伝えてこい!絶対に咲莉那様を死なせるな!」その声に応じて妖怪たちは一斉に動き出した。
薬草を探しに森の奥へと走る者、他の仲間に知らせるために駆け出す者――彼らの動きは迅速で、咲莉那を救うための必死さが伝わってきた。火楽は咲莉那の傷口を押さえながら、彼女の顔を見つめた。「主様、もう少しです。必ず助けますから…」その声は震えていたが、彼の瞳には強い決意が宿っていた。
妖怪たちのおかげで咲莉那は一命を取り留めた。
咲莉那は命を繋ぎ止めてくれた妖怪たちと火楽に感謝し、新たな道を模索することを決めた。
「また白華楼に見つかれば、今度こそ逃げられない。」咲莉那は火楽に静かに語りかけた。その目には、決意が宿っていた。「だから私たちは別の形で生きるしかない。秩序の守護者として。」彼女はそう言い切ると、火楽は深く頷いた。
それから、咲莉那は偽名を使い、火楽と共にひっそりと新たな生活を始めた。初めは咲莉那が仙霧を殺す筈がないと言う者もいた。だが、時間の流れと共に、失くなっていったのだった。
あの出来事から九年たった。
今では咲莉那のことを、守ると言ってくれる人たちがいる。その嬉しさを噛み締めながら、咲莉那は村へと戻っていった。