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その日の夜は、今度こそ、ちゃんと待ち合わせて、食事に行った。


……結局、珈琲でないうえに、京平が出してくれることになったのだが。


「私が奢るって言ったじゃないですか」

と言うと、京平が、


「お前に払えるか」

と言ってくる。


のぞみは窓の遥か下にある夜景を見て、ぞわっとしながら、


誰がこんな高い店にしやがりましたかね?


いや、金額の話だが……、と思っていた。


店内は、クラシカルな雰囲気の落ち着いた内装だが、さりげなく置かれている調度品の値段が、おそらく半端ない。


フロアの隅から流れてくるピアノの生演奏を聴きながら、のぞみは、


まあ、こういうのもいいんだが。

もうちょっと気楽に食事できるところの方がよかったな~、と思っていた。


もっとも、京平は、こういうところでも気楽に食事ができるようで。


……お育ちの違いを感じるな。

やっぱり、この人とは結婚したくない、と改めて思ってしまう。


まあ、料理も酒も申し分なく美味しかったのだが……。


だが、結婚する気もないのに、こんな高い店で奢ってもらうのは気詰まりだ、と思い、のぞみは言ってみた。


「いえいえ、払いますっ。

私だって、お給料、それなりにもらう予定ですからっ」


いえ、貴方のおうちの会社からですけどね……と思って居ると、京平は、フッと鼻で笑い、


「まだちゃんと研修も終わってないような新人にそんなに払うわけないだろ」

と言ってくる。


「ブ、ブラック企業め……」


会社に通い始めてからの、緊張し通しで大変な日々を思い出し、思わず、思ったことがそのまま口から出てしまう。


「何処がブラック企業だ。


まあ、押しの強い就職希望者たちに疲れて、お前のようなものを拾ってしまった人事や役員の連中には、深い心の闇があるのかもしれないけどな」


そう言ったあとで、ふと、気づいたように、

「そういえば、お前、他に何処の会社受けたんだ」

と京平は訊いてくる。


「受けてません」


幻聴だろうか、という顔を京平はした。


「……うちに受かる自信があったのか?」

「ありません」


「どんな莫迦者だ、お前は。

落ちたら、どうするつもりだったんだ」


「旅にでも出ようかと――」


実は特になにも考えてはいなかったので、ぼんやり、そう言ってみた。


すると、

「それで、詩人にでもなるつもりだったのか」

と京平は、またも鼻で笑って言ってくる。


うむ、元恩師にして、現上司だが、今、手にしているこのフォークで突いてみてもいいだろうか。


「なんとなく学生時代を過ごしてて。

三年になったら、急にみんながそろそろ就職のためにいろいろ資格とか取らなきゃって言うんで、慌てて何個も資格取って」


「ああ、役に立たなかった秘書検とかな」


いや、これから役に立つかもしれないではないですか……。


「でも、なにか、なんにも考えられなかったんですよ。

就職って、ピンと来なくて。


その中で、うちの会社だけに、こう、ピピッとインスピレーションを感じたというか」


「ほう、なんでだ」


そこまでは、本当に聞いているのか? という雰囲気だった京平が、専務として気になるのか、そこは身を乗り出し訊いてきた。


「なんでだかはわかりませんけど。

会社のパンフレットをいくつか見た中で、こうピピッと」

と言うと、


「就職希望者に配ってるあれか?」

と確認してくる。


そうです、とのぞみが言うと、

「あのパンフレット、俺が出てるが」

と京平は言い出した。


思わず、ええっ? と叫びかけ、店内を見回し、声を抑える。


「いや、はっきり俺だと、わからないかもしれないが、出ているぞ。

そうか、それで、ピピッと来たんだな」


いや、どうなんですかね……。


「まあ、此処だけの話、お前、筆記試験がすごく良かったらしいんだ。

お前の大学より、いい大学の奴よりよっぽどな」

と京平は言う。


「そうだったんですか。

いや、一応、勉強はしたんですよ。


同じ大学から、うちの会社に入ってる先輩に話を聞いたりして」


「なんだ。

ちゃんとやることやってるんじゃないか」

と言う京平に、


「だって、就職試験って、なにをどうしていいか、わからなかったから。

とりあえず、やれることは全部やろうと思って」

とのぞみは答える。


「そうだ。

それと、作文書かされたろ」


あ、はい、と言うと、

「お前、志望動機を書けと言っているのに、なんでだかわからないが、風呂釜の歴史について、延々と書いてたらしいな。


うち、風呂だけ造ってるわけじゃないんだが……。


よくわからないが、採用担当者は、お前に妙な情熱を感じたらしいぞ」

と言われる。


「いや~、お風呂好きなんですよ~」

とのぞみは、この間のショールームを思い出しながら笑って言った。


「なんでだ」

「あったまるからです」


「……あったまるだけなら、ストーブかコタツでもよくないか?」


っていうか、秘書室勤務になったので、なにもあったかくないんだが。


「……転職しましょうか」


そんなしょうもない話をしているうちに、店の高級感から来ていた緊張感もほぐれ、ふと訊いてみた。


「そういえば、専務。

朝、なにを考えてらしたんですか?


今、考えごとをしてるとおっしゃってましたが」


嫁になるかもしれない女の困りごとなど、どうでもよくなるくらいの考えごとってなんだ? と思いながら訊いてみると、


「いや、なんで、昨日、お前にキスできなかったんだろうなと考えていた」

と京平は、のぞみの作文より、更にくだらぬことを言ってくる。


仕事中にか……と思ったのが、顔に出たらしい。


「なんだ?」

と京平は威嚇するようにこちらを見て言ってくる。


「俺は五つくらいは同時に物事を考えられるぞ」


貴方、聖徳太子ですか。

いや、聖徳太子は十人の話を同時に聞けるんだったな。


……だが、この人、私ひとりの話すら聞いてはいないようなんだが、と思ったとき、京平が言ってきた。


「ところで、お前のご両親にはご挨拶したから、今週末は、お前をうちの親と会わせようと思うんだが」

「結構です」


京平の言葉に被せるくらいの速さで言ったせいか、京平は、今、なにか言ったか? という顔をした。


「お前をうちの親に会わせようかと――」

「結構です」


「何故だ」

と京平は言ってくるが。


いや、こっちが訊きたい。


何故だ。

まだ結婚を了承した覚えもないのに。


そんなすごいおうちの人に誰が会いたいものか。

緊張するのに。


「なにを言っている。

結婚するためには、双方の親に挨拶しなければ駄目だろう。


式場だって、早く押さえないと。

既に計画は出遅れている」


いや、だから、その謎の計画を遂行しようとするの、やめてください、と思っていると、


「キ……」

と言いかけ、京平はやめた。


今、キスもしてないし、と言おうとしましたね?


そんな訳のわからない計画のために、ファーストキスを持っていかれてたまるかと思いながら、のぞみは言った。


「あの、どのみち、今週末は無理ですから。

従兄のカズくんが海外に転勤になるので、みんなで見送りに行くことになってまして」

と言うと、京平は、ほう、と言う。


「そういえば、カズくんも就職するとき、今の会社にするか、かなり迷ったらしいんですよねー。

子どもの頃からの夢を叶えるって難しいですよね」


「そのカズくんとやらは、子どもの頃、何になりたかったんだ?」

「橋になりたかったらしいです」


「……なんだって?」


「橋になりたかったらしいです。

みんなに、お前は人柱にでもなるつもりかと言われていました」


「それ、橋作る人になりたかったんだろうが。

突っ込んでやるなよ……」

と言いかけた京平だが、


「いや、お前の従兄だからな。

本気で橋になりたかったのかもしれん」

と真剣に語り出す。


あのー、貴方は私の身内について、どのようにお考えですか……?

と思っていると、京平が、しんみり窓の外を見ながら言ってきた。


「まあ、俺も一度は子どもの頃からの夢を叶えたから。

満足かな」


そうか。

専務は、教師になるのが子どもの頃からの夢だったのか、とのぞみは思う。


「短い間だったし、立派な先生じゃなかったかもしれないが」

となにかを思い出すように、ちょっと笑った京平を慰めようと、のぞみは、


「先生……」

と呼びかけてみた。


「大丈夫です。

先生は、それなり、いい先生でしたよ」


「なんで上から目線だ、生徒……」

わたしと専務のナイショの話

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