テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
もちぷよ
1,197
#山中柔太郎
65
〜佐野side〜
……翌朝。
正直、俺の胸の奥は、仁人の会社に転職させるという提案を柔太朗にどう切り出すべきか、重い葛藤でぐるぐるとかき乱されていた。
だって、あいつがどれだけ必死に頑張って、どんな思いでこの会社に入ったのか、一番近くで見てきたのは俺だから。
あいつのその努力を、あんな奴のせいで手放せなんて……そんな残酷なこと、とてもじゃないけれどすぐに言い出せるわけがなかった。
そんな中、柔太朗はいつものスーツに身を包んで玄関に立っていた。
しかしその顔は真っ白で、手は僅かに震えていた。
「柔太朗、本当に大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ」
結局本題を喉の奥に詰まらせたまま、柔太朗に気遣うセリフを言った俺に、あいつはその怯えを必死に隠すようにして、無理に口角を上げ小さな声で言った。
「大丈夫。俺、せっかく頑張ってはやちゃんと同じ会社に入れたんだもん。ここで諦めたくないよ」
前を向こうとするその健気な横顔に、俺はそれ以上、あいつを無理に引き留めることなんてできなかった。
けれど、現実はどこまでも残酷だった。
会社に出勤したものの、同じフロアの少し離れた部署には、あの男がいるのだ。
他人の大きな話し声が響くだけで、誰かが通路を歩く影が見えるだけで、柔太朗の指先はガタガタと激しく震え出し、書類を持つ手すらおぼつかなくなっていた。
パソコンの画面を見つめるあいつの瞳は、恐怖に激しく泳ぎ、完全に仕事にならない状態だった。
そして、トラウマの泥沼に足を取られ、限界を迎えた柔太朗は、ついに通路のパーテーションの影で、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。
「柔太朗……!」
俺はすぐに駆け寄り、周囲の社員には「酷い貧血です」と言い置いて、あいつを再び医務室へと連れて行った。
白く静かな医務室のベッド。
横たわる柔太朗の身体の震えは、一向に収まる気配がなかった。
きっともう、限界だ…。
俺はその細い身体を強く抱きしめた。
でも、柔太朗は身体を強ばらせ、ガタガタと震えていた。
きっと会社だからと必死に堪えているのだろう。
その健気な姿に、俺がもう我慢できなかった。
「なぁ、今は誰もいない。…我慢すんな……、な?」
「……っ、うぅ……っ」
柔太朗は俺のスーツの胸元に顔を埋めたかと思うと、次の瞬間、 堰を切ったように泣きじゃくりながら、悲痛な声を絞り出した。
「うぅ……、はやちゃんっ、どうしよ……。あいつがいると思うと、怖くて…息ができない…っ。俺、もうだめ…、かも……。
……また、あの頃に、戻っちゃうのかな…っ。ねぇ……はやちゃんっ、
俺……、どうしたらいいの…っ?」
涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにして、絶望に震える柔太朗の顔。
その叫びを聞いた瞬間、俺の心臓は素手で握りつぶされたように痛んだ。
あいつはこんなにも怖がっている。
せっかく取り戻した光を、また失ってしまう恐怖と戦っている。
お前をあの暗闇になんかに絶対戻さない。
俺は柔太朗の涙を指の腹でそっと拭い、潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「逆戻りなんてさせない。大丈夫だ、柔太朗。……なぁ、もう無理しなくていい、」
「でも……せっかく頑張って、ここに入れたのに……っ」
「分かってる。お前がどれだけ頑張ってきたか、俺が一番よく知ってる。だから、その頑張りを無駄にしない 」
俺はあいつの細い両肩を優しく、だけど強く包み込んだ。
「俺が心から信頼してる奴らがいる会社がある。バックオフィスの部署に空きがあって、お前を中途で迎え入れられるよう、もう話はつけてあるんだ。
……もしお前が頷いてくれたら、すぐにでも進められる」
「……え?でも、」
「わかるよ。お前の気持ちは….。
……でもここは危険だ。
それにあいつのとこなら、お前のこれまでの仕事も活かせる。
何より、安全だからさ。
なぁ……、そこへ移ってみないか?」
柔太朗は俺の目をじっと見つめ、やがて安心したように小さく、だけど深く頷いてくれた。
「……わかった。はやちゃんがそう言うなら、頑張る」
「……、ごめんな。絶対悪いようにはしない。約束する」
「ううん…、俺もこんなとこで止まってられないもん。……ありがと、はやちゃん」
こうして柔太朗の意思も固まった。
そしてその数日後、計画通りにあいつは仁人直属の部下として、安全な別会社へと転職していった。
ここからは、俺の戦いだ。
柔太朗が去った本社のフロア。
そこに残った俺は、同じフロアの営業一課に配属されてきた遠藤に対して、確実に精神を蝕む心理戦を仕掛けた。
「遠藤さんお疲れ様です」
「あぁ、佐野くんお疲れさん」
「……あ、そういえば、遠藤さん…。
前にいた地方支店での営業数字が不自然だって、本社の監査部が身辺調査を始めてるらしいですよ。大丈夫ですか?」
「え……? い、いや、そんなはずは……」
「そうですか? まぁ、身に覚えがないならいいんですけど。……最近物騒ですからねぇ」
「え…、物騒……?」
「えぇ、物騒っすよ。だってさっき僕、人事部に警察が来てるの見かけたんですよね」
「…け、警察?!」
「……なんか当時未解決だった夜間の暴行事件について、うちの人事部に用があったみたいで。……防犯カメラの映像が、新しく解析されたとか何とか…」
「っ、な……なんだよ、それ……」
「さぁ?よくわかんないっすけど…。じゃあ、僕戻りますね」
「お、おい!佐野!」
俺は遠藤の情けない声を無視し、席に戻った。
警察なんて、防犯カメラの解析なんて、全部俺の出まかせだ。
法律が裁けなかったあの夜の恐怖を、今度はあいつ自身の脳内に、終わりのない妄想として植え付けてやる。
背中越しに、遠藤が激しく動揺して呼吸を荒げている気配が伝わってくる。
あいつはこれから毎日、職場のデスクに座るたび、いつ警察が来るか、いつ不正がバレるか、恐怖の泥沼に引きずり込まれることになる。
だが、これはただの脅しじゃない。
俺が会社で遠藤に心理的な揺さぶりをかけ、あいつの判断力を奪ってボロを出させるのを、じっと待っているその裏で、仁人と太智による、完璧な裏工作が同時進行で動いていた。
深夜、仁人の部屋に集まった三人。
仁人は手際よくノートPCを操作し、独自のネットワークと情報網を駆使して、遠藤が地方支店時代に関わっていた取引先のデータを暴き出していた。
「……ビンゴだよ、勇斗」
画面を見つめる仁人の瞳が、冷たく鋭く光る。
「遠藤のやつ、地方支店にいた頃、架空の企業相手に何千万もの不正融資とキックバックを受け取ってる。電子データのログまでは消しきれてない。
……これ、言い逃れのできない完全な業務上横領の証拠だよ」
「まじか……。じんちゃん、相変わらず頭キレすぎて怖いわ」
隣で缶ビールを片手に持った太智が呟き、そして言葉を続けた。
「でも僕もなぁ、あいつの過去のあれこれ、バッチリ裏取ったで!
地方での金銭トラブルに、過去に柔太朗くんみたいな被害に遭った子たちの証言、集めてきた。
……立場を利用されて、被害届を出せずに泣き寝入りしてた子たちの録音データ、いつでも警察に提出できる状態や!」
太智が書類をテーブルにドン、と叩きつける。
「仁人、太智……本当に、ありがとう」
「お礼なんていらねぇわ。……柔太朗のことも引き続き俺が責任を持って守るから。勇斗は自分のやるべき事に集中しろ」
画面に照らされた仁人の横顔は、誰よりも冷酷で、だけど本当に頼もしい親友の顔だった。
to be continued……
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!