テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ユニークスキル【驚異の生命力】により、空腹度が回復しました』
タンスの裏で手に入れたポテトチップスのかけらを完食した俺は、じっと自らの六本の脚を見つめていた。
濃厚な塩気と油分が、今の俺の昆虫細胞を隅々まで活性化させていくのが分かる。ただの床に落ちていたゴミのはずなのに、脳が焼き切れるほどの極上の美味に感じられた。
「……だが、これだけじゃ足りない」
俺の腹は、もっと強烈な栄養を、もっと凶悪なカロリーを求めている。
前世はコンビニ飯とカップ麺で育ったジャンクな肉体だ。ゴキブリに転生したからといって、その魂が求める「美味(ギルティ・プレジャー)」が変わるわけがない。
俺は再び二本の触角をピンと立て、タンスの隙間から外界の様子を窺った。
時は流れ、部屋の明かりは完全に消えていた。
人間の住人たちが眠りについた、静寂の深夜。これこそが、俺たち「夜の支配者」のゴールデンタイムだ。
クンクンと触角を震わせると、空気の波に乗って、ある特定の方向から抗えないほど甘美な香りが漂ってきた。
ツンと鼻を突く芳醇な酸味、そして焦げた醤油の香ばしさ――。
「間違いない。【魔窟・深夜のキッチン】だ!」
そこは、人類の文明が遺した最高の栄養素が凝縮された聖域。
俺はタンスの裏から這い出し、フローリングの床へと躍り出た。
暗闇の中、俺の視界は昼間よりもはるかに鮮明だった。
人間だった頃は恐怖でしかなかった夜の静けさが、今は最高に心地いい。
『特殊能力【神速(アクセル)】、発動』
カサカサカサササササササササササッ!!!
黒い弾丸となった俺は、リビングの床を音もなく滑走する。時速百七十キロの体感世界。迫り来る椅子の脚や落ちている雑誌を、ミリ単位の超絶ステップで回避していく。この圧倒的なスピード感、正直に言って……めちゃくちゃ気持ちいい。
あっという間に、俺はキッチンの麓へとたどり着いた。
見上げるほどの巨大な壁。ステンレス製のシンクへと続く垂直の壁だ。
「ふん、この程度の崖、俺の【吸着脚】の敵ではない!」
俺は勢いのまま垂直の壁へと飛び移った。六本の脚の先にある微細な毛が、金属の表面を完璧に捉える。重力などという概念は、今の俺には通用しない。
カサカサと小気味いい音を立てて壁を駆け上がり、ついに調理台の上へと登りつめた。
そこは、まさに黄金郷(エルドラド)だった。
「おおお……! なんだこれは、宝の山じゃないか!」
人間の視点では「片付け忘れた汚い台所」だろう。だが、今の俺にとっては違う。
• 水滴の残るシンク:広大なオアシス
• わずかに残ったマヨネーズのキャップ:濃厚な白濁の泉
• コンロの脇に飛び散った油汚れ:至高のエネルギー結晶
俺はまず、近くにあったマヨネーズのキャップへ近づき、口をつけた。
『スキル【解析】が発動。対象:卵黄、植物油、醸造酢。高濃度カロリーを検知』
「美味い……美味すぎる……!」
人間の頃に食べていたマヨネーズの、一万倍は濃密なコクが全身を駆け巡る。前世の社畜時代、上司に怒鳴られながらすすった冷めたカップ麺の記憶が、この圧倒的な幸福感によって上書きされていく。
だが、俺の触角が、さらにその奥から漂う「本物の化け物」の気配を察知した。
コンロの奥。そこには、一つの四角いプラスチック製の容器が置かれていた。
蓋は完全に閉まっていない。わずかに開いた隙間から、ドロリとした茶色の液体が溢れ出ている。
嗅いだだけで脳がバグりそうになるほどの、強烈なスパイスの香り。
「これは……昨晩の残りの、カレーの鍋(あるいはタッパー)……!?」
ゴキブリにとって、カレーは麻薬(マストアイテム)だという噂を前世で聞いたことがある。
本能が、理性が、全身の細胞が「それを喰え」と絶叫している。
俺は狂ったようにカレーの容器へと駆け寄った。
そして、溢れ出ている茶色のルーに、まさに頭から突っ込もうとした――その時。
ピキィィィィィン……!!!
二本の触角が、これまでにないほどの致命的な危険信号を捉えた。
背後の空間の空気が、一瞬にして凍りつく。
(な、なんだこのプレッシャーは……!? 主婦の新聞紙の時とは比べ物にならない、本物の『殺意』……!)
冷や汗(のような分泌液)が全身から噴き出す。
俺はカレーに伸ばしかけた足を止め、恐る恐る振り返った。
キッチンの暗闇の中。
電子レンジの上から、二つの巨大な、濁った八つの眼が、じっと俺を見下ろしていた。
それは、人間の主婦よりも遥かに小さく、しかし、俺にとっては絶望的なほどに巨大なシルエット。
トゲだらけの頑強な八本の脚。全身を覆う灰褐色の不気味な毛。
そして、獲物を一瞬でマヒさせる、禍々しい大顎(おおあご)。
暗闇の刺客。家屋における生態系の頂点。
対ゴキブリ用最終決戦生物――【アシダカグモ】。
「キシャァァァァァァァァッ!!」
蜘蛛が、音もなくレンジの上から調理台へと飛び降りてきた。
その着地音すら聞こえない。本物の暗殺者だ。
さらに、俺の脳内に、主婦の時には聞こえなかった「明確な意志」が響いてきた。
『見つけたぞ、同胞(転生者)よ。お前のその美味そうなスキル、俺の栄養にしてやる』
「な……ッ!? お前、まさかお前も転生者なのか!?」
『そうだ。俺は前世、しがない害虫駆除業者だった。まさか自分が蜘蛛に転生するとはな……。だが、この肉体は最高だ。お前のような『害虫』を狩る快感、前世以上だぜ!』
元・駆除業者のアシダカグモ。
最悪の天敵が、俺の前に立ち塞がった。
コメント
1件
やば……第2話、めちゃくちゃアツかったです🔥 ゴキブリになった主人公が深夜のキッチンを駆け回るスピード感、もう鳥肌でした! カレーのルーに突っ込もうとした瞬間のアシダカグモ登場、しかもまさかの転生者同士のバトルになるなんて…!元駆除業者って設定が刺さりすぎてる🥀 続き、完全に気になります…!