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凪川 彩絵
#独占欲
幸い、ニュースはもう次の話題に移っていた。
だが、晴永の頭の中ではまだ、さっきの言葉が繰り返されている。
婚約。
藤井田ホールディングス令嬢。
(母さん……、祖父に話したな)
そう思うと居ても立ってもいられなくて、晴永は椅子を勢いよく引いた。
「晴永さん?」
その音に、瑠璃香が目をまんまるにして晴永を見遣る。
「悪い。ちょっと急用ができた! 飯、あとで食うからのけといてくれ」
せっかく瑠璃香が作ってくれたものを無駄にするつもりはない。
だが、今はまず――。
晴永はジャケットをつかみ、玄関へ向かった。
「あ、あの――っ!」
「すまん、瑠璃香。戻ったら話す!」
ドアが開く。
慌ただしく出て行く晴永の背中を、瑠璃香は呆然と見送った。
そして、そのまま扉が閉まる。
静かになった部屋で、瑠璃香はしばらく玄関を見つめていた。
「……?」
訳が分からない。
だがすぐに、小さく息をつく。
「忙しいんだよね、きっと」
そう呟いて、テーブルへ目を落とした。
冷めかけたトーストを見ながら、少しだけ寂しそうに笑う。
「帰ってきたら……ちゃんと聞こう」
***
祖父・角宮盛晴が住む大邸宅の門前で車を止めた瞬間、晴永の胸の奥に溜まっていた苛立ちが、再び熱を帯びた。
門扉の横に設置されたカメラが、無機質にこちらを向く。
車を降りるまでもなく、カメラのレンズがキュッと絞られる。
ズームされた気配のあと、すぐさま小さな電子音とともにカメラに付属したライトが赤から青に変わった。
ピッという音とともに、重厚な門が静かに開き始める。
顔認証。
角実屋フーズ創業家の人間は登録されている。
晴永はそのまま敷地へ乗り入れた。
建物の前はだだっ広い。それでもいつもなら端に寄せて停めるところを、今日は入り口真ん前ど真ん中で停車する。
車から降りると、ひんやりとした朝の空気に包まれた。
だが、胸の奥は妙に熱い。
石畳を踏みしめ、仰々しい玄関扉へ向かう。
ここでも顔認証。
ピッという音とともに赤色だったランプが青色に変わるのは先ほどの門扉と変わらない。
当然の権利のように、無造作に扉を開けると、慌てて走り出てきた執事が息を切らしながら頭を垂れた。
「おはようございます、晴永様」
「祖父さんは?」
「……お食事中です」
「構わん」
靴を脱ぎ、そのまま廊下を進む。そんな晴永の後ろをオロオロと「お待ちください」と執事が付き従ってくるが、知ったことじゃない。自分のせいで彼が叱責されたなら、そのとき庇えばいい。
奥のダイニングから、食器の触れ合う音が聞こえてくる。
晴永がノックもなしに扉を開けると、長いテーブルの向こうで、祖父――角宮盛晴がゆったりとコーヒーを口に運んでいた。
向かいには母、新沼清香。
父の失踪後、独り立ちするまでは、自分も――料理にばかり興味を向けていたひとつ下の弟と一緒に、ここでこんな風に彼らと食卓を囲んでいた。
高校を機に二人で家を出て、迷いなく料理の道へ進んだ弟の背を見送り、晴永は角実屋フーズへ入った。
――弟が外へ出るなら、内側に残る人間が必要になる。
それだけのことだった。
コメント
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え? 大丈夫なん?