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「呪い、ですか……?」
いきなり何を言い出すのかと不審に思ったが、先方の様子を見ると、これが酔狂の類でないことはすぐに知れた。
「えぇ……、呪われた名前っていうんですかね。 それを拝借するのは、さすがに」
はや 幾分にも血色(けっしょく)を損なった彼は、次いでかすかに身震いをきたした。
先頃、当人はその名前をうろ覚えであるかのように説明したが、それは恐らく嘘なのではないか。
その名前は、今もなお彼の心中に古傷のように居残っており、折りに触れてこうした悪戯を繰り返しているのではないか。
「どういう名前?」
「聞かないほうがいいです」
核心に触れようと試みたが、若者はこれをやんわりと拒絶した。
ここまで人を怯えさせる名称となると、ちょうど怪談夜話に似つかわしいものか。
本来、ただの形骸であるはずのものが、人伝に語られるうち、霊力を得てしまうというパターンである。
事実、故郷(くに)で懇意にする かの大妖怪の末裔も、元はそうした成り行きで化生した身の上だ。
暗がりを恐れる心、枯れ尾花に化物を見る心。 それらは時として、実情以上のものを生み出す場合がある。
その名前もまた、ひっきりなしに呪われたものと囁かれるたびに、少しずつではあるが着実に真実味を帯びていったのだろう。
結果として、今ではある種の言霊に等しいものへと、変化を遂げてしまったのかも知れない。
「“試合荒らし”の通達は、最初の町がすべて仕切ってるんですよ、いまだに。 足取りを予測して、次はこの大会、その次はこの大会だろうって」
そんなものをひとつの記録として保有する町の発言力は、想像に難くない。
公的なものとは言え、明らかに偽名と分かる他の記載に比べれば、いまだ雲泥の開きがあるのはたしかだろう。
「だから、うちの町長も焦ってるんだと思います」
しかし、これは聞き捨てならない。
彼は“足取りを予測して”と言った。 件の御遣の来訪に備えるには、何とも大掴みな対策ではないか。
「なにそれ台風かよ? つまり、あれでしょ? そもそもこの大会に出てるかどうかも分からんっていう」
「……その、平たく言えば。 申し訳ありません」
「いや、そちらさんが謝ることじゃないけどさ」
にも関わらず、あのような宣伝文句をデカデカと用立てた町長の底意地が、何となく恐ろしいものに感じられた。
切羽詰まった人間は、まこと何を仕出かすか分からない。
「開き直るわけではないんですが、居なかったら居なかったで、お二方には大会を心ゆくまで楽しんで頂いて」
「いや、そういう話じゃないんじゃないかな」
小首を傾げる仕草に寄せて、虎石の表情をチラリと確認する。
とくに機嫌を損なっている様子は見受けられないが、先頃から一向に黙して語らず。 いつ何時 この若者に食って掛かるか知れたものではない。
「他になにか、情報ってあったりします?」
「情報ですか?」
「もう何でも。 男か女か、身長は大きいのか小さいのか」
気を利かせて矢継ぎ早に並べたところ、先方は暫時 考え込む所作をした。
「顔は、見た者がいないんですよ」
「……マントでも被ってた?」
「いえ、見えないっていうか、何というか」
「なんじゃそりゃ?」
ある大会関係者の言によれば、かの人物の出番がまわってきた途端、まるで猛吹雪にでも見舞われたように目の前が真っ白になったそうな。
「御遣の力か何かなんですかね?」
「いや、どうだろ?」
虎石のほうを見ると、彼もまた訝(いぶか)しげに肩をすくめるのみだった。
不思議をあやつる非凡な連中であるからには、そういった事もうなずけるが。
「なので、性別については残念ながら。 ただ……」
「ただ?」
再三に渡り、口内で舌を捩(よじ)らせる仕草を演じた彼は、やがて言い難そうに述べた。
「例の名前、女性のものなんですよ」
その時である。
悲鳴を幾重にも束ねたような響動(どよ)めきが、窓の向こうからドッと押し寄せた。
何事が起こったのか、騒然とする競技場の中央付近で、まさに男性の身柄が崩れ落ちるところだった。
これに慇懃(いんぎん)な仕草で礼を加えた女性は、相変わらずのマントを翻し、ゆっくりと退場の途についた。
その歩調は最前と同じく、悲嘆の場をとぼとぼと渡るような案配で、見送る葛葉の心胆をじっとりと脅かすものだった。
「なに……? あの人なにした?」
ともかく、かたわらで凍りつく選手たちに詳細を問う。
しかし、その返答はいずれも締まりがなく、一向に用を成さない。
「見えなかった?」
「あぁ……。 ありゃ、人間の動きじゃねえよ」
ぶるりと身を震わせた男性は、同様に言葉をなくす別の選手と、やがてボソボソと意見の交換を始めた。
虎石はと言えば、険しい顔で考え込んだまま。 ふと、横合いから及ぶ言い知れない視線に気づいたか、おもむろに口を開いた。
「いや、あれはやっぱり違うな」
「本当に?」
「あぁ。 オメーにも分かるんじゃねえか? よく見りゃ」
「私に人を見る目はないよ?」
「あん?」
その後、当の二名は順当に駒を進め、早くも大会は終盤を迎えた。
件の女性もまた、難なく勝ち進んでいる様子ではあったが、あれ以来 控え室に現れることは無かった。
「………………」
ガランとした室内に、すでに決勝進出を決めた葛葉の姿がある。
当初は非常に混み合っていた一室も、こうして選手たちが捌(は)けてみると、何となく物寂しい情緒が目立つ。
この大会に希望を馳(は)せ、満身で飛び込んだ猛者たちの涙が、そこかしこに薄っすらと滲んでいるような気がした。
対戦相手の中には、掛け値なく腕の立つ者もいた。
しかし悲しい哉(かな)。 化生の身を脅かすには至らない。
ドングリの争いに龍(たつ)が出る。
大人げないと言えばその通りだが、いまだ御遣の影がチラつく以上、手を抜く訳にはいかなかった。
声援に次ぐ声援。 拍手や歓声の嵐。
この大会に毒されたつもりはないが、こうした人心の喜ばせ方もあるのかと、目から鱗が落ちる思いがしたのは事実だった。
これもひとつの収穫と呼べるか。 だが、まだ終わりじゃない。
「大番狂わせが続いた今大会も──」
窓の向こうから、にぎやかな放送が聞こえる。
「マイク貸して! マイク貸して! トラー!!!」
「おいおい勘弁してくれよ嬢ちゃん! 人の仕事奪わんで」
人々の喧騒。 数多の笑声。
この大会は元々、根も葉もない噂話を払拭するために設けたものだと、あの町長は言った。
今となっては、これがどこまで信用に足るものか。
うちのブロンド娘と同席する来賓の面々、あれはひと目で金満家と知れる。
ともすれば、大会の裏でどういった金銭の流れが確立されているのか、不透明な部分は大いにある。
その辺りの深掘りはまた後ほど。 大会関係者、取り分け町長の身柄に直(じか)に問い質すとして、今はとにかく、このまま何事もなく終わってくれれば───。
『あの女だな……。 次は』
準決勝に向かう虎石の表情は、磊落(らいらく)な心模様をそのまま表したかのように堂々としていた。
“七面倒なものを背負わず暴れまわるのが、こんなに楽しいとは思わなかった”
大会の中盤、彼がポロリとこぼした何気ない言葉を、しかし葛葉は聞こえない振りをした。
立ち入って良い心の余白というものを、これでも一応は弁(わきま)えているつもりだ。
彼がこれまで、どのような悪路をたどってきたのか。 考えれば考えるほど、やる瀬のないものが込み上げてくる。
そうした無秩序な道々を、辛くも切り抜けてきた嗅覚が、かの女性に危険はないと太鼓判を押した。
それが当たっていれば良い。 ならば、今大会に件の御遣は参加しておらず、こちらの骨折り損だったということで、ひとつの笑い話にもなり得る。
しかし、そうでなかった場合は
『まぁ、戦(や)ってみりゃ分かんだろ』
危機感をそれとも思わず、順風に沿って出陣する虎石に向けて、葛葉は短く言った。
『気をつけなよ?』
『バカ野郎。 オメーは次の心配してろ』
片手を力強く振るった彼の背は、いたく頼もしかった。
しかし同時に、一入(ひとしお)の胸騒ぎを及ぼすものだった。
「………………」
窓の外を見る。
大々的な声援の中、競技場の中央で、まさに二名が相対(あいたい)するところだった。