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虎石の手には野太い八角棒が、対する女性の繊手は一途に木槍を掴んでいた。
鼎(かなえ)が沸くような歓声が次第に静まり、安物マイクの雑音が、満場をざらざらと行き来するのみとなった。
「ご存知ですか?」
不意に女性が発した。
遠所の風鈴を聴くような、薄弱とした声色だ。
「あ?」
「大会の規定は、ご存知でしょうか?」
眉根を歪めて聞き直したところ、女性はやはり渺々(びょうびょう)たる声音でそんな質問を寄越した。
その口前はひとえに慇懃(いんぎん)であり、これより闘争に臨もうかという現状にあっては、場違いも甚だしい木目の細かさだった。
「いや、煩(わずら)わしいのは苦手でよ?」
「説明書を読まない性質(たち)? 何かと不便ではありませんか? そのような生き方は」
「お前の知ったこっちゃ無え」
かすかに不興をあらわす虎石に対し、女性はクスクスと笑んだ。
いたく上品な、しかし上品すぎるゆえに相手を小馬鹿にするような所作だった。
「てめえ……」
「今大会の決勝戦に限っては、真剣勝負が解禁されると聞きました」
強(したた)かに青筋を浮かべる先方の心中を、ささやかな愉楽の間にそれとなく見透かした口振りで、女性が危うい発言をした。
あわせて、外套(がいとう)の衽(おくみ)をさらりと鳴らし、そこに小振りな手槍をチラつかせた。
これまでの対戦と異なり、頂上を決する試合に限っては、忌憚のない命のやり取りが解禁される。
恐らくは町長の浅知恵か。 最後まで残るのは、きっと“御遣”に相違ないと踏んでの事だろう。
クライマックスに最大の見せ場を設ける。
なにが伝統的な大会なものか、これでは体(てい)の良いショービジネスだ。
「然程に大差はないでしょう? 決勝も、準決勝も」
「おもしれぇ」
瞳を細めた虎石は、しかしこれに取り合わず。 顎をしゃくって一蹴した。
「殺し合いがしてえんなら他所でやれや」
「あら、意外と気が小さいのかしら?」
「仕事とプライベートは別ける主義なんだよ」
一方の女性は、当面の木槍をポイと捨て置き、代わりに釣り合いの良い短槍を手早く取り直した。
その模様は真に迫っており、断じて諧謔(かいぎゃく)を弄している訳では無さそうだった。
──コイツ、端(はな)っからそういうつもりで。
事にのぞむ客席の空気が、そこで一変した。
“おい、真剣勝負だぜ”と青い顔で唱える者がいる一方、“これが見たかったんだ”と喜色をあらわす者もいた。
いずれも冷や汗のかき通しという点では一致しており、まるで俄(にわ)かな氷雨がパラついた後のような印象さえあった。
「では、参ります」
それら、交々(こもごも)の視線が鉛のような緊迫となって降り注ぐなか、女性がおもむろにマントを開(はだ)けた。
あぁ、やっぱりそういう事かと、虎石の飲み込みは早い。
思えば、あの控え室ですれ違った時から違和感があった。
普通の人間にしては、やけに焦臭(きなくさ)かったのだ。
比喩じゃなく、御遣(おれ)たちは今でも常に炎に炙られているようなものだから、その臭味が同類を見つけるための寸法に繋がるというわけだ。
あの女に伝えなかった理由は、言うまでもない。
御遣が絡む以上、コイツはたぶん俺の領分だ。 あいつに余計な手出しをされたくねえ。
理由はそれだけ。
そう、他に理由なんかあるワケが無え。
「お覚悟はよろしいですね? 御同業の方」
瞬間、女性の身柄を起点に溢れた途方もない冷気が、かすかに目を見張る虎石の肌膚という肌膚を、剣山のように貫いた。
そんな暴力的な冽とは裏腹に、言いようのない景物を垣間(かいま)見た気がした。
それはまるで、春陽の袂に氷晶がキラキラと躍るような、何ともつかみ所のない美しさだった。
年の頃はこちらと然(さ)して変わらず。 花の命を謳歌するには相応しい適齢か。
氷雪から紡ぎ出した銀光を、一条ずつあしらったかのようなプラチナブロンドに、その身には妍艶(けんえん)なイブニングドレスを着けている。
「……やっぱりオメーだな? 噂の試合荒らしは」
わずかに呆(ほう)けた虎石だが、意気だけは挫かれまいと、舌先を急いで翻(ひるがえ)した。
彼女が脱ぎ置いた外套を視野の下半にそれとなく収め、ひとまず所感を述べる。
「そいつで一応は蓋をしてたってワケだ。 臭えモンによ?」
「お風呂には毎日入っておりますよ? それよりそちら、お寒くはないのかしら?」
「笑わせんな。 こんなもんどうってこと無え」
「それはまた……。 強がりではなく?」
──虎石っさん、マズいよ?
控え室にひとり、窓の外を食い入るように見つめる葛葉の頬を、冷たいものが過(よぎ)っていった。
観客席を見ると、薄着・厚着の差異によらず、みな一様にわが身をかばう仕草で寒冷に耐えている。
あの女が発する冷気。 あれは神仙の呪(まじな)いに近しいものだろう。
思うに、大昔の先祖がやらかした線が濃厚か。
血族の繁栄を願って、何かしら聖物を焼いたか。 あるいは神使の獣を殺したか。
その業報が長らく系譜をたどった末、直系の子孫である彼女の身に、ああいった形で顕(あらわ)れた。
まかり間違っても、人の身で抗(あらが)えるものではない。
「行くぞオラァ!!!」
そういった気懸かりが、先方の耳に届くはずもなく。
届いたとしても、勝負にのぞむ鶏冠(とさか)では、普段通りの分別がついたかどうかまでは定かでない。
満場の関心がグランドの中央に向かう中、機をみた虎石は、大呼して打ち掛かった。