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そんなふうに炎帝が一安心しているこの時にも、依頼主の青年の妹が帰ってくるってという、タイムリミットが刻々と迫って来ている。
炎帝は一度大きく深呼吸すると、ページの間にキッチンペーパーを挟み、上に重しを置いて平らにして乾燥させている。これが、濡れた本の適切な対処法なのだ。
まぁ、インターネットで調べれば一発で出てくる物なのだが……。気にしないで頂きたい。
そんなふうに炎帝がずぶ濡れになった本の対処をしている時、愛華から言われて本を持って依頼主宅に向かっている湾華はというと……。
「何この気温!あっついんだけど!」
気温に逆ギレしていた。
まぁ、無理も無い話だ。最近の夏の平均気温は30度前後と聞く。街で逆ギレしている人も数人いるのだから、おかしな事では無い。はずだ。
「ちゃっちゃっと届けて、冷房に当たろう。そうしよう」
湾華は何度か頷くと、目にも留まらぬ速さで駆けていった。
一方、お詫びの品を買いに行っている炎加達はというと……。
「確認ですけど、妹さんは、甘い物が好きで、最近は、和菓子にはまっているんですよね」
メモ帳を片手に和華が依頼主の青年に問うていた。
「はい。先月のバイト代の大半も和菓子を買うために使ったみたいですし」
青年は大分落ち着きを取り戻したのか、しっかり受け答えできている。
この青年。実はなかなかに好青年であった。
和華と炎加を歩道側にして、自分は車道側を歩く。自転車が来ればそっと手を引いて守ってくれる。なんと紳士的な青年なのだろうか。それに伴い、炎加の機嫌は少し悪い。
このままでは、和華が青年に取られてしまうのではないか、と言う、実に可愛らしい物である。
そんな事で不安になってしまうのであれば、早々に付き合ってしまえば良いものの、意外にも炎加はそういう事には弱気なのだ。この不器用さは兄譲りだろう。
「和菓子屋さん、着きました〜!」
炎加が悶々と考えていると、目的地である和菓子屋に到着したようだ。
いつの間にか青年と和華の距離も近くなっている。その事により、炎加の機嫌は悪くなる一方だ。
和華はそんな炎加の機嫌などいざ知らず、青年と共に店に入って行った。その後を追うように炎加も店に入る。
店の中は、冷房がきいており、外の暑さとは対照的に、とても涼しい場所だ。
「この季節なら、わらび餅ですかね?」
「ん〜、でも、妹は羊羹とかも好きですからね」
和華と青年が顔を近付けてショーケースの中を覗き込みながら会話している。
そんな二人を炎加は穏やかに、そっと見つめている。なんて事がある訳も無く、口元は笑い、目は閉じ、眉間には微かにシワが寄っている。と言う有り様だ。目を閉じていようが、炎加は確かに青年を睨んでいた。
早く付き合って、バカップルにでもなってしまえば良いのに。兄譲りの不器用さと紳士さ、姉譲りの情熱と嫉妬心などなど、彼が告白するには様々な壁が待ち受けているのだ。
炎加には深く息を吐いて、この行き場の無いモヤモヤとした感情を出すしか無かった。
「では、わらび餅と羊羹を一つづつ妹に献上します」
そっと優しい笑みを浮かべながら青年はそう告げた。献上とは、この青年は、妹の尻に敷かれているようだ。
そうして、炎加の嫉妬は誰にも知られずに、炎帝から言われたお使いは、無事(?)に終了した。
炎加達が依頼主宅に到着すると同時に、依頼主の家から湾華が光のスピードで出て行った。それも、依頼主に気付かれぬほどの速さで。