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「花音ちゃん!」
突然呼ばれた声に振り返ると、いつぞやの何とか君。
(えっと……。確か名前は……山崎くん、だったかな? 確か、お兄ちゃんが危ないって言ってた気がする)
それを思い出した私は、何が起こるのかと身構える。
ポケットに手を入れた山崎くん。その行動を、ビクビクとしながら見守る。
「……これ。良かったら一緒に行かない?」
突然差し出された何かに思わず目を瞑ってしまった私は、ゆっくりと瞼を開くと恐る恐る目の前を見た。
ニッコリと微笑む山崎くんの手元には、ヒラヒラと揺れる細長い紙切れが……。
「……あっ! これ、行きたかったスパ!」
差し出された手をガシッと掴むと、その手に握られたチケットを覗き込む。
ここは今話題の、最近出来たばかりの巨大スパ──。中には色んな施設が揃っていて、岩盤浴や温泉やプールがあって、施設内は全て水着で移動ができる。
勿論、中には飲食店も色々とあって、一日中いても楽しめる。夢のような施設だ。
「あっ、あの。花音ちゃん……」
頭上からの声に視線を上げてみると、山崎くんの顔が何だか少し赤い。
(熱でもあるのかな……?)
「二人きりじゃあれだから……お互い、友達でも誘って行かない?」
「うんっ! 行きたい!」
笑顔でそう答えると、一度ホッとした様な顔を見せると笑顔になった山崎くん。
その後、お互いの連絡先を交換した私達は、そのまま廊下で立ち話しを始めた。
お兄ちゃんは危ないと言っていたけれど、今、目の前で話している山崎くんは全然危なそうな人には見えない。
「花音ちゃん。俺の事は斗真って呼んでくれると嬉しいな」
「うん、わかった。斗真くん」
私がそう答えれば、嬉しそうに微笑む斗真くん。
(お兄ちゃん……。斗真くん、凄くいい人だよ)
そんな事を考えていると──。
突然後ろから肩を掴まれて、私の身体が反転させられた。
────!?
何事かと驚いていると、目の前にはいつの間に来たのかひぃくんの姿が。
(あぁ……。なんだか、またデジャヴが……)
不安が頭をよぎった、その時。目の前のひぃくんが口を開いた。
「花音……! 初めては……っ、花音の初めては、俺に捧げてくれたのに……っ!」
大きな声でそう言い放ったひぃくんは、瞳を潤ませるとメソメソと泣き始める。
(泣きたいのは私だよ、ひぃくん……)
ひぃくんの放った言葉で騒然とする廊下。
(あぁ……。今すぐこの場から消えたい……)
私の腰あたりに抱きついて、メソメソと涙を流し続けるひぃくん。
そのつむじを見つめながら、私は呆然と立ち尽くしたのだった。
◆◆◆
私の隣で、ニコニコと嬉しそうにお弁当を食べているひぃくん。私はそんなひぃくんに向けて、ため息混じりの声を上げた。
「ひぃくん。さっきのあれ……、何?」
メソメソと涙を流すひぃくんに連れられて、屋上へとやってきた私。すっかりとご機嫌になったひぃくんに反して、私は未だにさっきの出来事を引きずっていた。
怨めしい気持ちでひぃくんを見つめる。
(あの時、私がどんなに恥ずかしかったか……)
「え? だって……花音がスパに行こうとしてたから」
スパに行くのと、さっきの発言に何の関係があるのか……。私にはサッパリ意味がわからない。
ひぃくんの思考を読み取るのは、一生無理なのかもしれない。
「それと、あの発言に何の関係があるの?」
小さく溜息を吐くと、呆れながらひぃくんを見る。
「忘れちゃったの!? 花音!! 俺に初めてを捧げてくれたのに……っ!」
ひぃくんの言葉に、ピクリと眉を動かして反応を見せたお兄ちゃん。
そのままゆっくりと視線を動かすと、その瞳に私を捉える。
(えっ……。お、お兄ちゃん……私を見ないで。私だって、意味がわからないんだから……)
思わず顔が引きつる。
「花音! ……っ花音の公園デビューは、俺に捧げてくれたでしょ!? 忘れちゃったの!?」
私の肩をガッチリと掴んで、ユサユサと揺らし始めたひぃくん。
(あぁ……もう、嫌だ……。何て紛らわしい言い方をするんだろう、この人は。初めからそう言ってくれればいいのに……)
私の身体を揺らしているひぃくんを見てみると、泣きそうな顔をして私を見つめている。
(だから、泣きたいのは私だよ……ひぃくん)
ひぃくんの言葉で、あらぬ誤解を受けたであろう私。何で普通に話せないんだろう。やっぱり、ひぃくんはちょっと変。
ガクガクと揺れる頭で、そんな事を考える。
「──スパって何?」
私達の会話を黙って聞いていたお兄ちゃんは、ひぃくんの腕を引っ張るとそう尋ねた。
「さっき廊下で話してたんだよ……男の子と。……ねぇ、花音の初めては俺に捧げてくれるでしょ?」
お兄ちゃんの方をチラリと見たひぃくんは、再び私に視線を向けるとそう告げる。
さっきの発言からすると、初めてスパに行くのはひぃくんと一緒に。って意味なんだろうけど……。
(何でそんな変な言い回しをするの? ……わざとなの?)
目の前で瞳を潤ませているひぃくんを見て、思わず溜息が出る。
「それは無理だよ、ひぃくん。もう約束しちゃったもん」
そう答えれば、瞳を大きく見開いて固まってしまったひぃくん。
「花音。男と一緒に行くのか?」
「えっ? あ……、うん。何人かで行くんだよ」
お兄ちゃんからの質問に、チラリと横目でひぃくんを確認しながらもそう答える。
(ひぃくん、大丈夫かな……?)
ピクリとも動かなくなってしまったひぃくん。
そんなひぃくんのことを少し心配しながらも、お兄ちゃんの方へと顔を向ける。
「ダメ」
「へっ……?」
「危ないから、行ったらダメ」
素っ頓狂な声を出した私に、再度ダメだと告げたお兄ちゃん。驚いた私は、一瞬固まってお兄ちゃんを見つめる。
すると突然、固まったまま動かなかったひぃくんが大声を出した。
「花音っ!!」
────!?
ひぃくんに抱きつかれて、ゆっくりと後ろへ向かって倒れてゆく私の身体──。
気が付くと、私はひぃくんに押し倒されていた。
「花音……っ。花音……っ」
私を抱きしめたまま、胸元でスリスリと顔を動かしながら涙を流すひぃくん。突然の出来事に、そのまま呆然とする私。
ゆっくりと視線を下げてみると、そこに見えてきたのはひぃくんのつむじ。その更に下の方へと視線を向けると、私の胸元で泣いているひぃくんがいる。
(私の胸元で……。胸……、元……)
「っ……いやぁーーっっ!!!」
突然の叫び声で、驚きに身を固めていたお兄ちゃんが慌てて動き始める。
お兄ちゃんが私から引き離そうとしても、中々離れてくれないひぃくん。そんなひぃくんの姿を眺めながら、私は一人呆然と考えていた。
(そんな事で泣かないでよ……。ひぃくん、鼻水が垂れてるよ。あぁ……っ、私の制服にひぃくんの鼻水が……)
何だか急に阿呆らしく思えてきた私は、その場をお兄ちゃんに任せて身体から力を抜くと、ただジッと目の前の光景を眺め続けた。