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ずっと遠くで、暗闇の奥で何か硬いものを叩く音がする。

優しく包み込む暗闇の褥の上で観る者スムーピオは深い夢の水底から這い出てくる。

目覚めたばかりの眼には暗闇ばかりが映っていて、耳には幕が張っているかのように音がくぐもって聞こえる。何かが叩かれていて、その誰かは何事かを叫んでいるのだが判然としない。

暗い部屋の寝台の上で身を起こしたスムーピオは大きな藁人形だ。ただし王宮に伝わる由緒正しい占星術師の、紺の天鵞絨ビロード地に穴の空いた銀貨のような装飾を散りばめた長衣ローブを身に纏っている。


「スムーピオさん。いないのですか? お話があります」


スムーピオには聞き慣れた声だ。王宮の使い、からっ風レガートの声だ。ひっきりなしに吠える仔犬のような声だ。

隙間一つない部屋には少しの光も射し込んではいないが、まだ昼間、遅くとも夕暮れ頃のはずだ。レガートが訪れる時間ではない。とはいえ、スムーピオは王宮の使いの呼びかけを無視するような地位にいない。


スムーピオは呂律の回らない口で何とか返事をし、音を頼りにして暗闇の奥でレガートに叩かれている哀れな扉を探し求める。ようやく見つけた取っ手を引っ張ると確かにレガートがそこにいた。

少年と青年の中間にあるまだ若い男だ。その年頃の男の根拠のない自信が黒い瞳に輝いており、胸の内に燻っている行く当てのない情熱が言葉を通して熱を発している。


「こんな時間にどうしたのよ。早くない? 時間帯もそうだけど、今週の資料はまだ用意できてないわ」

レガートは藁人形スムーピオの肩越しに部屋を眺めて言う。「また助手をやめさせたのですね?」

スムーピオは欠伸混じりに憤慨する。「やめさせたんじゃないわ。きちんとした仕事を求めただけ」


レガートは冷ややかな眼差しを向ける。


「それでいじめて追い出したのでしょう?」

スムーピオは誰もいない背後に目を向けて言う。「多少は手厳しく言ったけど。でも確かな仕事を求めているのは貴方たちも同じでしょ? 雑な資料でも良いのなら私にやらせる意味がない」


レガートはこれ見よがしにため息をついた。


「分かりましたよ。とりあえず今できている分を提出してください」

スムーピオは大きな伸びをして答える。「資料は全部、塔の方だよ。ここはただの生活拠点」

「仮眠所のはずですが」

「さあ、行くよ。資料が欲しいんでしょ?」




二つの丘の間にある王国の、一方の丘には支配者たる王族の住まう王宮が建っており、地上に這いつくばる城下町を見下ろしている。一方の丘には天文台たる古めかしい塔が建っており、不遜にも天を睨み上げている。


仮眠所を出るとすぐそばに、それそのものが天に触れそうな巨大な天文台が聳え立っている。星々の世界に手を伸ばす遠大な理想を抱き、綻び一つない正確無比な計画のもと、赤子が天寿を全うする長い年月をかけ、大洪水にも劣らぬ汗を流して建設された立派な天文台だ。


中には天体を観測するための様々な器具が存在している。月、惑星、太陽、恒星、光も距離もその軌跡も意味するところも全て測定し、また予測するための知恵の結晶が所狭しと並んでいる。精巧な星把機械アストロラーベに天宮図、天球儀。この塔そのものともいえる天体望遠鏡とそれを操作するための把手や梃子、塔内部の状態を表す各種計器。


王国の賢者たちによる高度な魔術と技術の粋が溢れているが、一方で妙に雑多で生活感を露わにしている。書き散らかされた羊皮紙や製図器具はともかく、脱ぎ捨てられた衣、食べかけの林檎、染みになった床。


レガートは呆れた様子で見たくないものを見る時のように目を細めて言う。「スムーピオさん。こちらでも生活していませんか?」

「そんなことないわ」と言いながらスムーピオは慌てて物を片づけ始める。

「いつも資料受け渡しの当日だけ片づけていたんですね。知りたくなかったですよ」

「今、用意するから、黙ってそこに座ってて」


スムーピオが指し示した椅子も、未来さえ予測する知識と知恵の殿堂には相応しくない粗末な椅子だったが、レガートは何も言わずに麺麭パン屑を払って座る。


「ところで、最近」とレガートは切り出す。「占いの精度が落ちているそうです。星占いの精度です」

羊皮紙を掻き集めていたスムーピオが手を止める。少し不機嫌そうにレガートを見つめる。

「それが何だって言うの? 私のせいだとでも? 私は天体を観測し、その資料を提出しているだけよ。世界一精密な資料をね。そしてその資料を基に占っているのは宮廷占星術師。もしも占いの精度が下がっているって言うのなら、それは王宮のぼんくらどもに文句を言うべきよ」

「スムーピオさんに落ち度はないと?」

スムーピオは小馬鹿にした様子で笑みを浮かべ、再び羊皮紙を集め始める。「当然よ。あり得ない。私は観る者スムーピオ。誰であれ、それが太陽や月、天体そのものであっても、私の観測を否むことはできない」


スムーピオは集めた羊皮紙の確認し、いくらか書き足し、何かをふき取り、レガートに引き渡す。


「まあ、お疑いなら検めればいいわ。貴方に星の神秘を読み解けるならだけど」


レガートは羊皮紙を見つめる。ただし今スムーピオに手渡されたものではなく、粗末な机の上に散らかっているものをだ。


「そこにある羊皮紙にも色々と書きつけられているようですが」

「これは違う。覚書とか、ちょっとした落書きよ」


スムーピオは机の方に戻って残りの羊皮紙をまとめ始める。レガートは疑わしげにその様子を見つめる。


「羊皮紙もただではなく、王宮の持ち出しですよ。覚書だというなら、それが王国に役立つものでなくてはならない」

「馬鹿言わないで。思考をまとめるのに頭の中は狭すぎるのよ。こうして吐き出して、広範囲を同時に検討する必要があって――」

「良いから渡してください」


観念したスムーピオは残りの羊皮紙もレガートに引き渡し、レガートは目を通す。


「なるほど。確かに覚書と言っていいものですが、その思考の道筋の先には宮廷占星術師たちの求めるものがなさそうだ」


スムーピオは詐欺師に出会った時のようにじっとレガートを見つめる。


「貴方ってただの王宮の使いじゃないの? その資料で分かることがあるの? もしかして占星術師の弟子だとか?」

「いいえ、違いますよ。誰にも師事しちゃいません。でも、へえ、面白いですね。色々と、何というか、天体の変わり種といったところでしょうか。こっちのこれは隕石ですか?」


レガートは羊皮紙の一角を指し示すが、スムーピオは目もくれることなく答える。


「ええ、そうよ。いずれアルダニ地方に落ちる。都市を吹き飛ばす勢いを持ってね」

「これは何です? 人?」

「人かどうかは定かじゃないけど、人の形の何かね。静止軌道上に浮かんでる。身動き一つしないから馬鹿な魔法使いの死体かしらね」

「これも星そのものじゃありませんね」

「呪いね。北極星に向かってる。誰が北極星に恨みを持ってるのか知らないけど、そこにたどり着く頃には北極星も動いているから、呪いを放った馬鹿は天文学に関してはからっきしだったんでしょうね」

「広範で、雑多だ。赤ん坊のような脊髄反射的好奇心でなければ、何かを探しているがそれが何かすらも分かっていない者の行動ですね」


スムーピオは深いため息をつき、手近の椅子に腰かける。そして観念したように口を開いた。


「そこまで分かるとは。意外とやる奴なのね、レガートって。私、実は、母星を探しているの。あるいは伝言メッセージか何か」


レガートはどう反応していいのか分からないといった様子だ。何かを言おうと口を開き、閉じ、また開く。


「母なる、星? 大地ではなく?」

「あくまで仮説よ。もしかしたら、そうなんじゃないかって、それだけ。私が尋常の存在でないことは分かってるでしょ?」


天鵞絨ビロード長衣ローブを着て、所々がほつれた藁人形が両腕を拡げる。人の形をしており、手指の造形や顔の表情まで藁人形にしては出来が良い。


「ええ、まあ、でも尋常でないものは世の中に沢山ありますよ。人間の得た知識なんてものは宇宙の秘密の極々一部に過ぎない」

「だけどその中でも特別に普通じゃないって私は思ってるわ。だから、それならここではないどこかを探すべきだって思ったの。ずっと昔にね。私は別の世界から来たんじゃないかって」


レガートはまだ混乱している様子だが、その混乱と少し距離を取るように言葉を紡ぐ。


「それらしいものは見つかりました?」

それらしいもの・・・・・・・はいくらでも見つかるのよ」


レガートは王宮に渡す必要のない資料をスムーピオに返す。


「つまり貴女は、スムーピオ、故郷を探している」

「ええ、そうね。故郷よ。生まれた場所を探している。そしてできれば父や母、いるならば兄弟姉妹を」

「それらの価値を否定するつもりはありませんが」レガートは言葉を探しながら口にする。「しかし貴女は他にも価値あるものを持っている。その能力、ここでの地位、事績。それに沢山の人が抱いている敬意。比較してどちらがどうのこうのと言うつもりはありませんが、負けず劣らず貴いものだ」


スムーピオは素直に、レガートの言葉に頷く。しかし問いかける。


「たとえば貴方って生まれた時は赤ん坊だった?」

「赤ん坊? 何の話です? そんなの当り前じゃないですか」

「でも今は赤ん坊じゃない。これまでの人生の間に肉体的にも精神的にも成長してきた。そうよね?」スムーピオはレガートの答え、相槌すら待たずに続ける。「でももしも貴方が今の貴方のまま生まれてきたのだとすれば、今の貴方のことをどう思う?」

「それはまあ、成長していないってことですね。でも、うーん。そんなたとえ話に何の意味があるんですか? ありえない仮定ですよ」

「ありえない、ね。そうよね。ひとは成長し、変化する。それは原点を知っているからじゃないかって思うの。原点からどれくらい離れられたか。それが分からなければ、実感しなければ生を全うしているとは言えないんじゃないかって」


レガートはスムーピオの言葉の一つ一つの耳障りを確かめるように頷く。


「原点。それがつまり故郷のことですか」

「あるいは由来、起源。原点が分からない者というのは己自身が原点であるかのように認識してしまう。自ずからどこにも行けない赤ん坊のように」

「だから観測している、と。正直言って気持ちの問題でしかないと思いますね」


レガートの言葉に突き放され、暗く澱んでいたスムーピオの心は緊張し、引き締まった。こんなことを話すべき相手ではなかったのだ。


「でも丁度良いですね」レガートは受け取った羊皮紙を丸め、懐に仕舞って椅子から立ち上がる。「実は今日の僕の主目的は資料を受け取ることではないんです。王宮は貴女に見切りをつけました。荷物をまとめて出て行くことを求めています」

「そんな馬鹿な!」スムーピオは勢いよく立ち上がる。「未来を知る頻度のために未来を知る精度を捨てるの? 私を見切っても、私の代わりになるものなんていない」

「ならば王宮は間違った判断をしたのでしょう」レガートは淡々と答える。「しかし僕にも貴女にもその間違いを、判断を覆す力を持ち合わせていない。彼らが頷くのは他者が己に同意を示した時だけです」


「馬鹿々々しい」スムーピオは吐き捨てるように言って、しかし名残り惜しむように天文台を眺める。そしてレガートの方を振り返る。「丁度良いって言うのは何? 何が丁度良いの?」

「ああ、それは単に僕の考えですが、何かを探しているのなら足を動かした方が良いですよ。この天文台なら宇宙の果てまで見えるかもしれませんが、すぐそこの山の向こうさえ見えないじゃないですか。貴女はもう少し地上にも関心を持つべきですね」

やはり馬鹿にするようにスムーピオは鼻を鳴らす。「まとめる荷物なんてない。すぐにでも出て行ける。でも、最後にもう一度だけ天体観測させて」


レガートは頷き、手でさし示す。

スムーピオは早速部屋の奥、多くの把手や梃子、計器の集う操縦席へと向かう。天文台であり望遠鏡でもあるこの巨大施設を一手に操作するための中枢部だ。

踏み台付きの高い椅子に腰かけ、計器を注視しながら把手を回し、梃子を捻る。天文台全体が獣のような唸り声をあげて軋み、目覚めたばかりのようにゆっくりと動く。全ての計器を確認した後、スムーピオは真鍮の装飾に覆われた接眼鏡玉レンズを覗き込む。


既に日は暮れていて無数の多様な星が瞬いていた。鏡玉レンズを覗き込みながら慣れた手つきで天文台を操縦し、星々を見つめる。

どれもが別の顔を持つ顔なじみたち。無数の星々が、恒星も惑星も、スムーピオの知る通りに狂いなく運行している。そして様々な形態で夜天を彩っている。こちらを見つめる環状星雲、呑み込まれそうな螺旋星雲、飛翔する竜の如き鱗状星雲、おどろおどろしい暗黒星雲。そして過去と未来を見通す想像さえも手の触れざる数多の銀河。


遥か彼方の、しかし別れを告げる必要のない隣人たちを見納めるとスムーピオは操縦席を離れる。

レガートが先んじて扉を開き、促されてスムーピオは夜空の下に出て行く。どこよりも澄み渡った空気の向こうに荘厳なる星々が煌めいている。

そして振り返り、名残り惜しむように、己の魔術に支えられた塔を見上げる。


「それじゃあね。レガート」

「ああ、待ってください。餞別です」


レガートは小さな羊皮紙を取り出し、スムーピオに手渡した。そこには地名と人名らしき言葉が連なっている。


「除く者、衛る者、癒す者……。これって」

「貴女と似たような、札を本体とする存在がこの大陸に散らばっているようですね。この王国には貴女の他にはいないようですが」

スムーピオは思わずレガートを抱き締める。「ありがとう、レガート。感謝しても仕切れない。お礼に良いこと教えてあげる」

「何です?」

「命が惜しければもう天文台には近づかないことね」レガートの表情を見てスムーピオは付け加える。「念のために言っておくけど、これは初めからそういうもので建設時に王宮にも伝えてある、資料と一緒に。彼らはもう少し過去にも関心を持つべきだね」

彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜

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