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それからと言うもの、藍沢さんは仕事の合間を縫っては来店するようになっていた。
正直それが自分の中での楽しみになっていた。と同時に、いつ藍沢さんがファンに目撃されたらと思うと気が気じゃなかった。
ファンが店に入れば売上にもなるし良いのでは?と思うかもしれないが、それ以上に、その事が原因になりお店に来なくなってしまうのでは、という不安と寂しさの方が勝っていた。
そんな日々が穏やかに過ぎ、もはや半年程経とうとしていた。その頃にはもうすっかり友達のようで、僕自身も”お客様”ではなく、
“藍沢さん”と呼ぶようになっていた。
それに伴って藍沢さんも僕の事を”涙雨”と呼び捨てしてくれるようになった。
なんだかそれが、藍沢さんからただの店長じゃなく、親しい友達の様に扱われている証のように思え堪らなく嬉しかった。
そんな思い出に浸っていると、もはや21:30を過ぎようとしていた。このカフェの営業時間は12:00〜22:00。何故この時間帯かと言うと、単純に朝が苦手なのだ。
お客も居ないし、今日は早めに閉めようか、
と思ったとほぼ同時に店のドアが開いた。
『こんばんは、涙雨。閉店近いのに入っちゃってごめんね?どうしても来たくなっちゃって』
「いらっしゃいませ、まだ30分近くあるし大丈夫ですよぉ〜」
そこには、つい先程まで頭の中に居た藍沢さんが少し申し訳なさそうな、言う程反省してなさそうな表情で立っていた。
相変わらず、スタイルが良い。街ですれ違えば確実に振り返るであろうルックスに思わず乙女の様な気分になる。
「この時間ならワインですかぁ?っていうか、マスクしてないじゃないですかぁ…ファンに見られたらどうするんですか…?」
『ん〜、大丈夫。店入る前に外しただけだから安心して?あと、今日は酔いたい気分だからちょっと度数強いのがいいかな』
「そぉいう問題じゃなくてぇ…….珍しいですね、酔いたいって…というか藍沢さんって酔えるんですかぁ…?」
実はこのカフェは21:00からお酒も提供している。そのため、19:00辺りからはお酒好きのお客がよく来店している。藍沢さんもその1人でもあった。
が、僕はこの人が酔っ払っている所を見たことがない。会うようになってから月日が短いからなのもあると思うが、純粋にこの人はお酒に強い。
いわば酒豪、ザル等の類である。お酒はほぼ飲めない下戸の僕からすると、少しカッコよく思えた。
『流石に酔えるよ笑。ふわふわする位で終わるけどね、それぐらいが丁度いいでしょ?』
「確かにそうですけどぉ…でも僕、一口でも吐いたことありますよぉ?テキーラ飲まされて…」
『吐いちゃったかぁ…てか飲まされて、って任意じゃなかったって事?』
「まぁそぉですね…お付き合いしてた方に。
でもただの悪ふざけですから…」
『ふーん…そっか。』
「?…急にテンション下がるじゃないですかぁ……あ、悲しい事があったから酔いたい、とか?」
先程までの明るく、耳心地の良い声が少し暗くなったように感じ、グラスを差し出しながらもカウンター越しに顔を覗き込む。
近くで見ても綺麗な顔をしているのに変わりはなく、少し虚ろな目に吸い込まれてしまいそうだった。
『うーん、まぁ…悲しいことはあったよ笑』
「あらら……お話聞きましょぉか…?」
『いいの?ありがと。』
少し躊躇して、目を泳がせたのを見て踏み込み過ぎたかな?と心配になったが、ふわっと優しく微笑まれて杞憂だったかなと少し安心した。と同時に、藍沢さんに悲しい思いをさせることがあったと分かり自分も少し悲しくなった。
『俺ね、好きになった人が居るんだけど、 その人は俺がアピールしても気付かない…というか、そもそも俺に興味無さそうなんだよねー…』
「ははぁー…..アピールって例えば…?」
『んー…出来るだけ会いに行くようにはしてる。ずっと視線送ってみたりとか…』
「……藍沢さんってそんなに奥手なんですかぁ…….??」
思わず本音が出てしまった。
何度か元恋人さんの話は聞いてたし、その話を聞く限りは奥手な印象は微塵も無く、むしろすごく積極的な人だと思えたから。
『〜〜っ…….自分でも分かってるんだよ…意気地無しだな…って』
「意気地無しとは言ってないですよぉ…もっとグイグイ行きそうなイメージがあってつい…」
『多分それ、本気で好きな相手じゃないから出来てたんだよねぇ……別れてもなんとも思わなかったし、自分から告白した人とか居なかったから…』
「ってことは、今意中の方の事すごく好きなんですね……」
少し、その見知らぬ人が羨ましくなった。
その立場に自分もなってみたい、と思ってしまった。
『一目惚れ、って初めてだからさ。…どうしても欲しくって、ね。』
不意に、先程までグラスを見つめていた目に見詰められ少しドギマギしてしまう。照れ隠しのように、自分も微糖の珈琲を飲むことにした。欲しくなって。なんて普通は人に対して言わないのでは…?とも思った。まるで物のような言い方から、少し仄暗さを感じてしまう。
『…っていうのを、最近知り合いが結婚したせいで思い出して虚しくなってた。って話』
「要するにちょっとした嫉妬ですね…」
『ふはっ、バレちゃった。……涙雨はさ、好きな人とか居ないの?』
「………居ますよ。でも、その……恋愛がちょっと…」
『……..怖い?』
気まずい沈黙から優しい声で尋ねられて、思わず頷いてしまった。と同時に、何故嫌いだとか、苦手だとかではなく”怖い”だと分かったのかが不思議に思えた。
「なんで、怖いって分かったんですか…?」
『そりゃ、浮気されてた。なんて話聞いてたら誰だって分かるよ笑』
「確か、に……」
僕は元々、恋人に何度か浮気されていた事がある。 裏切られた怒りと悲しみ。勿論それも理由の一つでもあるのだが、他にも理由があった。
捨てられる、それが怖くて怖くて仕方ない。
見捨てないで欲しい。
僕だけ見てて欲しい。
愛が欲しい。
そう思って相手の言うことを鵜呑みにして、相手の無理にばかり応じる。これは僕の悪い癖だった。
その結果、都合のいいセフレのようになって、飽きられて捨てられる。それを繰り返してきた。
またそうなるのが、一番怖かった。
『涙雨は優しいから、それを悪用するような奴に好かれるんだろうね……何かあれば言ってね。撮影中でも駆けつける自信あるよ』
「えぇぇ……嬉しいですけど、撮影はして下さい…?お仕事なんですから」
『涙雨の方が重要だから』
「そ、そういう問題じゃなくてぇ…」
『ふふ。かわい…』
不意に呟くような小さな声で言われ、思わず心臓が跳ねる。今、なんて言った…?
藍沢さんはこんなに人にすぐかわいいと言ってしまうのか…。と冷静な自分と、かわいいと言われて軽くパニックになっている自分が居て顔に熱が集まるのが分かり、俯いてしまった。
『涙雨、こっち来て?』
カウンターの、隣の椅子をぽんぽん叩きながら呼ばれる。その声色がとても色っぽく感じて、今すぐにでも逃げ出してしまいたくなった。でも身体は自然とその椅子に歩みを進めていて、もはや手遅れだった。
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