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見つけましたね?
マヌさんの問いかけに、うなずく。
「お客さん。あなたは大きな音がこわくて、たまらなくて、お家から逃げ出したんです」
ネコさんが驚いた顔で、私を見上げた。
「お家から? 私、──え?」
「逃げて、初めて地面を踏んだんですよね。いろんなところを歩いて、なんだか楽しくなって、きっと走り回っちゃって……事故にあった」
きっと、そういう話なんだ。──そういうことなんだ。
たぶん家の中から逃げ出せてしまったことが、運命の神様の想定外ってことなんだろう。
☆ お薬を渡しましょう ☆
理由がわかったら、お薬を出しましょう。
今回のお客さまに出すお薬は三つ
・肉体を元に戻すお薬 一滴
・迷わず帰れるお薬 一滴
・安全な場所に留まるお薬 一滴
地図を表示しますから、そちらを見ながら集め、処方してくださいね
驚いた。文字だけじゃなくて、地図なんかも出てくるんだ。
マヌさんさえ読めば、どんな人でもここでやっていけるだろうな。
篠上さんが言っていたのも、大げさじゃないのかもしれない。
「なんだか、水あめみたい……」
集めてきた薬ビンは、全部トロトロの液体が入ってた。開けただけで、なんだか甘い匂いがする。
スポイトが栓がわりになっていて、一滴ずつ出すことができた。
レジ台の中に入れられている、小さなお皿にポトポトと落とす。
「思ったより少ないけど……お客さんがネコさんだし、こんなもんでいいのかな」
あんまりたくさんあっても、飲みきれないもんね。
「あの、こちらは? なんだかとってもいい匂いがするのですけど」
ネコさんのおひげが前に出て、大きな目をキラキラしながらお皿を覗きこんでくる。
「あなたへのお薬です。でも、ちょっと待ってくださいね」
チラッとマヌさんを確認する。
☆ 最後はおまじないをかけましょう ☆
当薬局は、二度と同じあやまちが起こらないよう、お客さまには再発防止のおまじないをかけています!
お薬に向かって手をかざして、間違わないように、ゆっくり静かに唱えてください。
用意はいいですか?
「……いいよ」
呟いて、深呼吸する。
初めてのお仕事なんだもん、緊張しないわけがない。
ドキドキしながらお皿に手をかざして、口を開く。
「まっとうせよ、尊い命。たおられよ、君の行く道まどわす枝葉。あなたの天命が、ただまっすぐにありますように」
ふわっと、お皿に光が降った気がした。
さっきお薬を混ぜたときより、なんだかキラキラしている気がする。
「……これを飲んでくれますか?」
「飲んだら、どうなるのです?」
「きっとぜんぶ、うまくいきます」
私が真っ黒天使さんに、篠上さんにしてもらったとおりなら、きっとそうだ。
確信を持って言う。
ネコさんは少しだけ尻尾を動かして考えたあと──大きな目をにっこり閉じて、にゃあと返事をくれた。
ぴちゃっと、小さな舌が薬をなめる。
……それを眺めている私は、心臓が爆発しそうだった。
うまくできてるか、もし間違ってて、体に悪いものになってないか。気が気じゃないって、こういうときに使う言葉なのかもしれない。
シャバラとシュヤーマが両横に座って勇気づけてくれていたけど、私の手の中は、びっしょり汗でしめっていっていた。
お皿にあったお薬が、全部キレイになめとられる。
その最後の瞬間だった。
「わぁ……っ!」
ネコさんの真っ黒な毛並みが、パッと明るく光った。
ううん、光っただけじゃない。フワフワの体がふわふわ浮いて、光ると同時にゆっくり透けていっていた。
「あの、えっと、これは……!」
「魂が肉体に戻っていくだけだ。心配ない」
いつの間にか、私のうしろには篠上さんが立っていた。
なにがどうなってるのか混乱する私を落ちつかせるように、篠上さんの手が私の頭に置かれる。
「客の見送りだ。薬屋の店員なら、言うことがあるだろ」
ネコさんの体は、もう私の頭より高いところまで浮かんでいる。
なんだか気持ちよさそうだ。うっとり目を閉じて、ゴロゴロとのどが鳴っている音が聞こえた。
よかった、なんとかうまくできたみたい。
ネコさんはこれから家に帰れる。それなら確かに、私が言うべきことなんて一つだった。
「ありがとうございました! お大事に!」
こちらこそ、ありがとう。
ネコさんの体が消える直前、しっかりとそう聞こえた。
あとに残ったのは、キラキラとした光の粒だけだ。それもやがて消えて、静かで薄暗いお店だけが残る。
私はなんだか、体中の力が抜けたみたいだった。
「……終わった?」
「そうだな。初仕事終了だ」
「そ、っかぁ……うわぁっ!?」
わふんっと柴犬二匹が鳴いて、一斉に襲いかかられる。
全力でなめてくる顔の向こう側に、ちぎれそうな勢いでぶん回されているまぁるい尻尾がチラチラ見えた。
「ちょ、こら二匹とも! あはは、なめすぎ! くすぐったい!! ってかゥプ、犬くさい! わかった、いい子だから! もういいからぁ!!」
なんとか二匹を引き剥がせたのは、顔全体がべちょべちょになるくらいなめられてからだ。
……シャバラもシュヤーマもかわいい。かわいいけど。
さすがに、顔を洗いたい。
「手引き書は役に立ったか?」
とりあえずハンカチで顔を拭いている私に、篠上さんが言う。
もしかしたら、接客している間、こっちを気にしてくれていたのかもしれない。
でなきゃあんなにタイミングよく、お店に出てくるなんてないはずだ。
やっぱりこの人、ちょっとひねくれてるだけで優しいんだと思う。
「はい! これなら次も、なんとかやっていけると思います!」
「そうか。それならオレも、自分の仕事に集中できるってもんだな」
ああ、やっぱり気にしてくれてたんだ。
ぶっきらぼうだけど、篠上さんはホッとしたような息を吐いた。
「──よくやった。初めてにしちゃ上出来だ」
大きな手がまた私の頭に乗って、くしゃくしゃとなでていく。篠上さんはそっぽを向いたままだ。
ポカンと見ていると、ムッとした顔が私を見た。
「褒めろっつったのはお前だろ」
それだけ言って、篠上さんはさっさとお座敷に戻っていってしまった。
私の見間違いじゃないなら、ほんのちょっと。ほんのちょーっとだけ、ほっぺたが赤かった気がする。
「……やっぱあの人、優しいよねぇ」
なでてもらった頭が、なんだかくすぐったくて恥ずかしい。
だけどはしゃぐと照れ隠しで叱られそうだから、私はうずくまってニヤニヤするのが精いっぱいだった。